「失敗は成功の母」・・・とは!?
<諺>
「失敗は成功の母」とはよく聞く諺だが、自らの失敗を真摯に受け止め猛省し、一つ一つを克服して行けば、同じ失敗を繰り返すことは少なく、成功する可能性が高くなるということを謳っている。
逆説的に捉えれば、周囲の人たちや良い環境のお陰で、結果的に失敗が少ない人生を歩んできた人は、失敗の悔しさやとことん原因を追究するといった経験が浅いために、時には大失敗に直面し、凹むこともあろうかと。
勿論、万人に一人と言われる天才的な頭脳を持っている人であっても、大なり小なりの失敗の中から、成功への糸口を見つけては、成功に近づけるために努力しているのは間違いのない事実。
よって、筆者のような凡人は、失敗を一つ一つクリアし、それを糧として改良改善を行い邁進しない限り、成功への道は遠のくことになる。
<夢から覚めて>
昨日、仮眠していて、夢から覚めたのだった。若き筆者が登場し、米国の某大学院英語エキスパートクラスの受験準備をしていた夢だった。準備は万全と思いきや、受験票をどんなに探そうとも見つからない。結局、午前9時55分受付終了に間に合わず、断念したのだった。
今まで何のために一所懸命に学んできたのか、愕然とした瞬間に夢から覚めた。自己分析すると、日頃からの仕事への取り組む姿勢やしっかりと準備しているか否かの不安な気持ちが滲み出たものであろうかと。
昔、学生時代に留学の準備をしている中で、最終的には父や祖父から猛烈に反対され、留学の道が途絶えたことが、今も尚、心のどこかに恨み辛みとして、傷として残っているのだろうと思うばかり。(家長制度の名残り)
<優しすぎるが仇となる>
我が半生において、大きな失敗という失敗はなかったように思えるが、最近思うことは、周囲の人たちから指摘を受けてきた「優しすぎる」という性格が仇となり、いろんなトラブルに巻き込まれてきたことだけは否めない。
相談を受ければ、その人の立場に立って、そのトラブルをどう解決するかのシミュレート機能が自動的に作動する。それが邪悪なる輩からのパワハラのようなドローン攻撃であれば、「勧善懲悪」の精神にて、とことん撃ち落とすのが筆者の性格である。
そんなこんなを考えていると、外堀のシミュレーション能力には長けているものの、内堀については「優しすぎる」が仇となり、周囲には邪悪なる多くの輩を敵として対峙することになる。当然の成り行きだが、事が収まれば、結局、バカを見るのは自分自身である。
その繰り返しが延々と続いてきたのは、人のために何とかしなければの「要らぬお世話」が、自らの歩むべき道を閉ざしているように思える。母のDNAが思考回路をコントロールしているようで、その存在を否定はしないが、相談事に過度に反応することだけは止めることにした。
上は、失敗という失敗の繰り返しとは思っていなかった。ただ、性格的に盲点となっていた、人との距離感の問題として把握していたのである。しかし、相談事の大半は「愚痴」が多い。しかし、その「愚痴」は大切な人の「愚痴」ならば親身になって聞くが、他人の「愚痴」は流す程度で聞くがベストであるということだ。
<過去におけるトラブルシューティング>
過去において、何人もの「悩み」や「愚痴」を聞き入れ、解決していった経緯があるものの、相談事を持ちかけたほとんどの人たちは、当時の大変だったことなど、今や記憶の箱から消滅している。いい加減なものである。記憶力がないのか、感謝の念もないのかと、閉口してしまう。
無駄な時間とエネルギーを消耗したに過ぎず、従来のトラブルシューティングは、弁護士さんの本業のように思えてならない。そう思えば、我が半生における生き様のベクトルは、長期に亘り失敗の連続であったと、今更ながらに猛省しているところである。
<脳内作動装置を永遠にロック>
今年3月の話だが、某企業スタッフが面接時に約束された給与とは異なり、5万円も低い状態で3年間を過ごしてきたと言う。その相談を受けて、ナンバー2の人物にその旨を伝え、何とか引き上げに成功。よって、年間60万円給与が増えたことになる。今の時代、あり得ないゲットポイントである。
ところが、その相談をしてきた本人のリアクションは感激どころか、それ以来、素知らぬ顔して距離をおいているのが現状である。水面下における給与引き上げ交渉にどれだけエネルギーを費やしたのか、無意味なことをしてしまった。
結局は、「要らぬお世話」的扱いになっている。よって、金輪際、他人の「愚痴」や「相談事」には決して反応してしないよう、脳内作動装置を永遠にロックすることにしたのである。
サポート、心より感謝申し上げます。これからも精進しますので、ご支援、ご協力のほどよろしくお願いいたします。