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子ども時代に芸術文化に触れることが、優しい大人と社会をつくる

子どものための芸術文化活動について、以前もこんな記事を出しました。

このとき、なぜ、アート×子ども事業、公的に必要なの?というところで、

日本国民は、日本国憲法第二十六条で、教育を受ける権利を有すること、そして無償で教育を受ける義務があることが定められていますので、つまり、学習指導要領の基、無償で音楽、美術等の芸術について学ぶことの権利を有していることになります。

という理由を書きました。そもそも、権利がある、ということをここでは書いています。

今日は、子ども時代に芸術文化に触れることが重要なのは、優しい大人と社会をつくるからだ、ということを述べてみたいと思います。

最近、芸術文化活動の支援、芸術文化活動に関する調査研究等に関わっていると、少なからず、そういった活動への否定・非難があることを知ります。

やはりそれは、とても残念な気持ちになります。

芸術文化は不要不急。好きなことをやっているだけであって、社会にとっては不要。だからなくてよい、というような。とても強い否定の言葉を目にすることもあります。

そしてそれはとても、不可解だなとも思います。特定の相手や特定のことに対して過剰に反応するというのは、翻して考えてみると、関心が高い、気になっているということでもあると思います。

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前に「インナーチャイルド」という言葉を聞いたことがあります。

内なる子供、とも呼ばれ、要は、子ども時代の頃の記憶などで満たされなかった部分が、ずっと自分の中にいて、何か自分が満たされない感情に出会うと、その子が自分の中で暴れだす、という話だったような・・・

例えば、自分は本当は目立ちたい!と思っていたけれど、親や学校の先生に、「目立ってはいけないよ」と言われて、我慢し続けてきたから、大人になって、目立っている人を見ると、「自分だって本当は目立ちたいのに!」とインナーチャイルドが暴れて、「あの人は目立ちたがりだ」とか「大した実力もないくせに」とか。やっかんだり、意地悪を言ったり、というようなことです。

だから、なんかこう、否定・非難をするということは、きっと誰かのインナーチャイルドが、暴れているんじゃないかなぁと。そう思うことがあります。

要するに、芸術文化に対する否定的な言葉というのは、その言葉を言っている人が、子ども時代に、本当は好きなことやりたい!と思っていたけれど、好きなことを好きにやっていいよ、と言われなかったから、自分は我慢して、頑張っているから。大人になった時に、そういったことを実直にやっている人を見て、インナーチャイルドがばたばたって暴れだすんじゃないかなと思うのです。

だから、多くの人の子ども時代に、もっと、好きなことやったらいいよ、あなたはありのままでいいんだよ、と言われる機会を増やしたいなと思います。(もちろん、大人になってからも)

そして、芸術文化、特に創作活動をすることは、「あなたはありのままでいいよ」と言ってくれること

そこに正解はないし、上下もない。(もちろんコンクールとか、コンペティションというような芸術活動も数多くあるけれど。)

だからきっと、もっと多くの人が、いわゆる自由な表現・創作活動を推進する芸術文化に、子どもの頃に出会えれば、将来、「ありのままを認めてもらえなかった」というインナーチャイルドを抱く大人が減っていくと思うのです。

実際、私が関わってきた子どもに向けた芸術文化活動でも、いわゆる「自己受容感」が高まった傾向がみられることが、多くあります。

例えば、児童養護施設で行っている演劇ワークショップ。オノマトペのワークショップで、大人が思いもしないような言葉を思いついた子どもの発想を、みんなが喜んで、楽しんだことで、今まで笑わなかった子どもが笑ったり。

エル・システマジャパンが福島で行っている、藤倉大さんによる作曲ワークショップ。今まで見たこともないような、三味線の奏法を見て、必死になって面白い音を見つけて、楽譜に書いて、その場で生演奏してもらえて。正解も間違いもない、ただただ新しい・面白い音楽に、4歳の子から、高校生の子まで、みんながその場で称賛し合う。

芸術や文化に関する教育の重要性は言われているし、子どもへの教育は、もちろん公的にもあります。こういったワークショップや現場を見てきて、子どもたちに向けた芸術教育は、もっと内容・質の意味で、真に拡充してほしいと思います

単にベートーベンの生まれた年や、作品の年号を覚えるのではなく。それぞれの感じたことを、互いに認め合うような場があれば、「○○は不要不急で、社会には不必要」というような、誰かの存在を否定してしまう言葉を言う人は、減っていくと、私は思うのです。

子どもに向けた芸術文化教育の機会が重要なのは、子どもにそれが必要だから、というだけでなく。大人も含めて社会全般が、より健康に、健全に、豊かに生きていくために、優しく生きるために必要だから。だれ一人取り残さない社会になるために、必要だからだと、私は思います。

読んだ方が、自分らしく生きる勇気を得られるよう、文章を書き続けます。 サポートいただければ、とても嬉しいです。 いただきましたサポートは、執筆活動、子どもたちへの芸術文化の機会提供、文化・環境保全の支援等に使わせていただきます。