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義父が転院するらしい<7>

そういえば、紙おむつの現物支給を一旦止めなきゃな、と思って葛飾区のHPを見たら、変更の締め切り25日だった。
来月も来ちゃうー。

敵ではないが味方でもない(定期

病院から出て、少しの間、義父と夫を乗せた介護タクシーの後ろを走っていましたが、どうやら義父の手が動いているのが見えます。何か話をしているのかな。
どうも、母が亡くなる前、ベッドの上で腕をパタパタさせていた(せん妄に伴う動き)のに似た動きなのが気になりましたが。

介護タクシーとは途中で別れ、義実家によって荷物を放り込み、スマホを無事回収。

ルート的には、いつも通る高速を途中で下りて下道、のはずだったんですが、グーグル先生が親切にギリギリまで高速に乗せようとしているのに途中で気づき、慌てて高速を下りる。遠いのか近いのかさっぱりです。

なにもない山の中を走りながら、時折目につく彼岸花なんかを眺めていたら、なんとなく叔母が横に座っているような気分になりました。
義父が行く病院を、義母の代わりに見にいってくれるような。今日はいろんな人が会いに来てくれます(脳内

病院の駐車場では、T某がちょうど同じくらいに到着したようでした。介護タクシーはまだかな、と見回したら、病院入り口に夫の姿があり。
おや、早いな。でもちょうど良かった、入院前じゃ無きゃ面会できないって話だったし、と安心していたら、
「じいさん、中入っちゃったよ」

なんですって?
入院前なら面会できるって言ったのは自分では? そのためにT某は早退してきたのに、なんでひとこと言って止めないの。ということを、私とT某が同時に喋るモノだから、夫もしどろもどろ。
本番に弱く、応用が利かない、周りの空気に流されやすいのはよく判っていたつもりですが、どうして大事なところを押さえられないのか。

T某は、物事の感覚が私に近いので、同じようにモノを申します。
で、夫に改めて、義父を引き渡した病棟担当の人に、孫に会わせたい旨を言いに行かせると、検査が一通り終わるまでお待ちください、とのこと。それを、最初にちゃんと聞いておきなさいよ。

その間、私は受付で保険証の提示やらを済ませ、介護タクシーの方には料金の支払い。

てか、今までいた病院の、一ヶ月分の入院費くらいかかってる。これもまたびっくりです。
(回収できないか葛飾区のHPで調べましたが、『移送費』は、緊急の要項に該当しなければ支給されないとのこと。今回は無理ぽい)
年一回の義父のペースメーカー点検も、点検そのものより、介護タクシーのほうがお金がかかっていたのでした。介護保険でなんとかならないのかなぁ。贅沢な希望かも知れませんが。

最初の提示を終え、今度は病棟で入院の手続きです。あらかじめ書いてきた用紙を提出するだけなんですが、ここで夫が、連帯保証人の項目をT某に書かせていたのが発覚。
普通ここは私では? 金銭的に不安はないよう手はもちろん打つけど、患者の孫に名前書かせんなよ。と私に叱られる。
しかも、連帯保証人は必然的に、緊急時の連絡先二番目になるとのことで、いやいや、そっちに連絡が行ってもなにもできないからと、別に連絡先の用紙を書くことになりました。
なんだか、もう。

毎度思うのだけど、この人は敵では無いけど味方でもない。
油断して信用したら足元をすくわれかねない場面が多々ある。夫が一人で転ぶならまだいい、巻きこまれて困るのはこっちなのです。先回りして予防線を張る洞察力を日々試されます。

残りの時間は

なんとか必要な用紙を書き、保証金も払い、あとは待つだけ。

一度担当さんがペースメーカーの手帳を確認しにきたので、検査が終わるまでどれくらいかかりそうか聞いたら、
「移動してきた直後なので、興奮されているみたいです。ちょっとお時間かかってます」

まぁ、びっくりするよね。
一時間ほど待って、やっと病棟に移ったというので、声をかけられました。病室のある階の、入院患者が最初に入るお部屋らしく、今だけ個室状態。

だいぶ落ち着いたというか、介護タクシー内でも手をパタパタさせてたし、疲れたんじゃないのかな。T某に話しかけられ、曖昧に反応していましたが、すぐに眠ってしまいました。
一方で、担当医さんが来られたとのことで、話を聞きに行く。
ていうか、T某、帰りたがるかと思ったら、ちゃんと同席しました。

先生とは、今後の方針の確認。胃瘻も高カロリー輸液もせず、できる限り口からの栄養摂取と、水分点滴が方針です。
でも、今のように、ほとんど食事もとれない、点滴だけの状態では、半年持たないかも知れないことでした。
私たちは、本人が嫌な思いをしないよう、無理させないでくださいと、再度確認。

退出前に再度顔を見ましたが、義父は眠ったままでした。
まぁ、息子とドライブ(そんな楽しいものではなかったろうけど)もしたし、孫にも会えたし、良かったのではないでしょうか。
私自身は、T某に直接会ったのだから、もう頑張らなくてもいいよくらいには、思っちゃってます。

帰ってきて、今までいた病院の、明細を見てみました。
この明細、日付はないのですが、必要になったものが順番に記載されているらしい。
8月は、だいぶ安定しています。点滴も少ないし、食事の回数もそれなりにあったようです。
それが、9月になると急に、点滴の本数が増え、検査の項目が増え、逆に食事の回数は減っています。

今日入院したA病院からもらった、診療計画書では、
「ADL」も「嚥下機能」も「意欲」も全て低。
認知症状 有 になっています。

義父は、高齢に伴う理解力の低下はあったけど、入院直前まで、認知症の兆候はありませんでした。入院してからも、しばらくはそれなりに話をしていたはずです。
入院中、それも9月に入ってからの体調の急変で、一気に認知機能も低下してしまった、と推測できます。
このタイミングで転院したことで、息子と孫と、最後ともいえる直接の対面が出来たのは、良かったのかも知れないですね。金銭的にはちょっと痛かったですが、まぁ義父のお金ですし。

残り時間がある程度明示されたので、私としては逆算して義実家の整理計画を淡々とすすめていきましょう。

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