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#Opus2 矢印(オープンダイアローグ) 

毎回のオープンダイアローグでは2人の人の話を聴いて
それぞれの対話を一緒に紡いでいきます。
今回のダイアローグ、一人目の方(仮名Aさん)は最近の日常でふと、感じたことを。それから、二人目の方(仮名Bさん)は自分のモヤモヤについての話をしてくれました。

Aさんとの対話は日常のエピソードから見えてきた、Aさんにとっての「価値観やクリエイティビティ」という場所へ。
Bさんはモヤモヤの中にある問いかけから「自分の成長」という場所に自然に着地していました。

「価値観、クリエイティビティ」や「自分の成長」というテーマは
聴いていて、相手を励ましたい気持ちにさせてくれます。
「状況わかるよ、だから、こうした方がいいと思う。私はこうやったよ。良い結果だったからやってみたら?」
でもね、こもしかしたら、
この励ましは相手にとってお節介かもしれないのです。
オープンダイアローグで話し手方の話を
聴き終わった時に見るべきことは
「私はどこに軸を向けているのか?」
この問いかけは言い換えれば
「相手の違いを受け入れているのか、いないのか?」
わかりやすいバロメーターのような気がしています。
私の中で「こうした方がいいと思う。私は〇〇風にやったよ。やってみたら?」「だって、あなたはどんどん成長しているよ!」
こういうことを言いたくなってる時は
相手に完全に軸が向いてしまっている気がします。
自分と相手を比較して相手をジャッジして出てくる私のアドバイスです。
アドバイスと感じたことを感想として伝えることは感覚的に全然違います。理由は根拠のない違和感なのですが。。(笑)

オープンダイアローグ中に、もし見えない矢印があるとして、
その矢印が自分ではなく相手主体になってしまうと
自分への問いかけが見えなくなるのかもしれなません。
それとは逆に自分に矢印が向いていると、相手から受け取ったものから
自分の感じる感情をしっかり受け止め、自分一人では気がつけないことが見えてきたり、確認できたりする瞬間に出逢うことが多いと感じます。
オープンダイアローグに参加してくださる方、オブザーバー(リフレクション)チームの皆さんから教えてもらうのは、「答え」を見つけるられるのは
自分であり、その「答え」を選ぶのも自分という
とてもシンプルなことです。
シンプルだけど深い!

投げた言葉を受け取ることは、一方的なキャッチボールではなくて、
自分でそのボールのことについて考える余白があります。その余白には
既に、自分と相手の間に無理のないゆったりとした時間が流れはじめていて、新しい対話が生まれていく瞬間もまた、始まっています。
イメージとしては騒音の中にある静けさから生まれる「対話」という音の螺旋を一緒に時間が許す限り空間に描いてく感じです。
静寂の中で無音という音を紡いでいくように。

今回のオープンダイアローグでとても記憶に残った言葉は、
ボランティアという言葉を私がどう理解していたか?でした。
「ボランティアの語源は、自由意志を意味するラテン語「voluntas(ウォランタス)」である。そこから、喜びや精神を意味するフランス語「volonte(ボランテ)」が生まれ、英語「volunteer」となった。」
( 語源由来辞典より。)
私はボランティアを奉仕するというイメージで捉えていましたが、語源を紐解いてみると別の解釈が見えてきて、そちらの方がしっくりきました。
相手がいるからこそ、自分に気が付ける。
オープンダイアローグは自分への問いかけを絶えず創り続けてくれる
そんな、温かい場所だと思います。

ピアニストのキースジャレット。大好きなジャズピアニストです。
彼のKöln Concert(ケルンコンサート)のアルバムを聴いた時、
これ、本当に即興なの??
即興だと信じられませんでした。
見えない道を自分で問いかけ旅していくことの喜びとは?
今回のオープンダイアローグで彼の楽曲を思い出していました。


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