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【職業論】専門に「法律」がおすすめな理由

事務所を辞めるタイミングで「自分のこれまでの選択が正しかったのか」ということをたくさん考えた。

自分が「社会的評価」というものに大きく影響されていた、縛られていたことは自覚したけれど、じゃあその中で選んできたもの、大学は、法律という専門は、弁護士という職業は、職場は、果たしてどこまで正しかったのかということは、また別の問題だと考えた。プロセスの適切さと、結果の適切さの区別というか。
それで、「どの選択まで遡るか」というのを決めるためにも、結構考えた。

わたしは仕事を休むようになってからずっと「弁護士は続けるか分からないけど、法律は続ける」と言っているなぁと思い出した。
正直、かぎ括弧付きの「弁護士の仕事」みたいなものにはほとんど魅力を感じなくて(もちろん「企業法務弁護士の仕事」にもほとんど魅力を感じなくて)、弁護士を続けるコストは高いから、これじゃあ弁護士会費と固定費を稼ぐために働くことになっちゃうよ、弁護士やめね?とか思っていた。
では、「法律は続ける」と断言していた理由、そこに迷いを感じなかった理由はなんなのだろう?

単純におもしろい

まずはここ、普通に面白い。
生活の中で一番面白いまでは(どう頑張っても)いかないけど、自分の人生の一部を継続的に使っても良いと思うくらいには面白い。図書館に行ったらフラッと法律の本を選ぶ日があるくらいには、法律が好きだ。

学問としての成熟性というか、地盤の硬さというか、掘っていったらちゃんと掘りがいがある、最終的にちゃんと輪っかになっている、みたいな、そういう安定感がある。
法律の抽象性と、そこに詰まっている具体性みたいなのが、きれいだなーと思う。
条文の中に、いろんな解釈とか事案を詰めていく作業が、楽しいなーと思う。
すべての「法」というものを貫く価値観が果たしてあるのか、あるとすればどんなものなのか、知りたいと思う。

あと、いわゆる論理的思考みたいなのが上手くなっていくのも楽しい。
話を組み立てるのが、説明するのが、どうしても上達する。
抽象と具体、事実と評価の行き来をする学問だから、世の中の事象を、そのあたりの仕分けをしながら考えることができるようになる。
千葉雅也さんは『勉強の哲学』(←神作)の中で、専門性を身につけることを「新しい眼鏡を獲得すること」みたいに表現してたけど、まさにそんな感じ。

職業としての安定感

続いて、法律には、一生をかける安心感、学問/職業としての安定性みたいなものがある。

それは、①法律家の専門性の高さ/個人の独立性の高さ/個人でどれだけ完結するかってところと、②法律という学問/職業の安定感/歴史があること/自然発生的であること、みたいな2点に集約されるんじゃないかと考えている。以下、詳述します。

①について

これは言い方が悪いかもしれないけど、1つの企業で、その企業にだけ通用する知識や経験を得ることは、なんか、コスパというか「還元率」みたいなのが悪すぎると思っている。
PayPayで1000円の買い物をしたら30ポイント返ってくるように、10時間の仕事をしたときに、どれくらいの割合で「自分の身になるか」みたいな意味合いで。

何が言いたいかというと、法律家は、弁護士は、仕事の「還元率」みたいなものが高いんじゃないかと、そう思う。
普通の企業に勤めている人が、10時間かけて仕事をしたときの還元率が5%くらいだとしたら、弁護士は30%くらいだと思う。わたしは企業法務の歯車をしてたけど、それでも15%くらいは還元されていると思う。

なんか数字がちゃんと低くて伝わらないかもしれないのだけど、とにかく、「企業が重視される時代から、個人が重視される時代へ」という流れのある現代においては、組織に所属するにしても、この職業的な「還元率」というものが、「専門性」というものが、キーワードになるんじゃないかと、そう思ってるわけです。

②について

最近、何かにつけて「これは、自然発生的なものか?」つまり、当該制度とか思想とか事象が「文化とか時代とか政治の種類とか、そういうのによらずに発生するのか?」と考える。この疑問を持つことが、その正当性というか「人間というもの、社会というもの、自分というもの」を考えるときに有益だと思っている。

学問や職業も、この「自然発生的か?」で、安定性みたいなものが計れると思っている。
これはちょっと「安定性」について本気すぎる気もするけど、でもなんかさ、わたし、「この仕事は、吹いたら飛んでいっちゃいそうだな」と思うことが度々ある。
角が立ちそうだし、自分の理解が正しいかも分からないから、具体的な職業名は出さないけど、ここ数年(数十年)のトレンド領域とか、最近名前が付いた職業とか、人間が作り出した工程でお金を稼ぐ職業(仲介の仲介の仲介みたいなの)とか、そういうのってなんか、安心できない。
自分が生きている間に職業として成立しなくなっちゃうかもしれないし、地盤がゆるくて、怖くて掘り進めることができない。それなら自分で地盤を作っていこうみたいには、ちょっとまだ思えないし。

えっとそれで、わたしは、法律は自然発生的な分野だと思っている。

人の集団には、必ずルールが、「法」が生まれると思う。
オフィシャルなルールとしての「法」には、それを司る人、法律家が必要になると思う。そこには一定の専門性が、論理性が、知性みたいなものが求められると思う。

ちょっと前に、同期から「〇〇(←ぼく)は、弁護士向いてるよ。だって〇〇は、人が好きだから。」と言われたことがある。そのときは、「はにゃ?」と思っていたけど、今はちょっと分かる気がする。
法律というものには、古今東西の法律家たちの叡智みたいなのが詰まってて、人間の集合としての社会の大部分みたいなことが書いてあって、法律を学ぶことは、究極的には「人」を知ることなんだと思う。(まあ普段はここまで思ってないけど、突き詰めて考えればね。)

ということで、法律は、変わっていくけれども、根本は普遍的である。(ついでに言うと、これは自然法的発想なんだと思うけど、貫く価値は不変的である。)
簡単に消えないし、変わらない。勉強する上で、研鑽を積む上で、これ以上の保証はないです、多分。

距離感がちゃんとある/趣味にはならない

わたしはどっちかというと、文学とか哲学とか心理学とか精神分析とか、そういう方が好きで、趣味として面白いと思うし、知らないと生きていけないというか、学ぶ動機みたいなのが強い。
その点、法律は(わたしの場合はですが)趣味にはなり得ない。
正直、お金が発生しないのなら、ニーズがないのなら、勉強しないと思う。
でもそこが良いというか、わたしの内心、深い部分みたいなのと適切な距離感があって、ちょうどよくドライというか、法律に傷つく(傷つけられる)ことは、あんまり想定できない。
趣味を仕事にすると楽しくなくなるなんていうけど、それもきっとこの距離感みたいなのに影響されていて、私が言いたいこととも近い。

ちなみに「職業」って言葉は、「労働」とか「仕事」とはなんとなく使い分けていて、「職業」は「個人と社会のオフィシャルな繋がり」的なニュアンスで使ってる。
「労働・仕事」はどうしても現代の働き方を想起させるというか、資本主義とかいろんな前提を含む気がするんだけど、「職業」は多分、それこそ「自然発生的」だと思ってる。
まあそれで、自分と社会を結ぶ、オフィシャルな線として、法律という専門は、なかなか良いなと思っている、ということ。便利だし。

おわりに

今回は、あえて抽象的に書いてみたというか、具体論を抜いた方が整理できるかなと思ったのですが、ほんとに面白いんだよってことは今後も書いていこうと思います。

てか、こんなに書いてしまったことに、草不可避です。なんだ、こんなに考えていたのか、結構好きじゃん。
じゃあやっぱり、わたしの専門は、これからも法律だね〜。

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