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SAKE UTSU

寝過ごす。
最寄駅に着いたのは午後14時をまわってからのこと。
何線の何駅から乗って、降りなければいけない駅を何回何周したのか全く覚えていない。


街はクリスマスムードで、こういう時だけは浮かれてる人達がやけに煩く感じる。

メイクの下地がもうほとんど役割を果たしてくれていない事なんて分かりきっているから、停まっている車の窓の反射とか、自分のスマホの黒い画面はあえて見ないように遮断する。

朝の終わりは午後の始まりを告げ、午後の終わりは明日の始まりに繋がる。

朝帰りではなく、昼帰りでもない、夕方帰り。
1日が半分も終わっている。

家に帰ると誰もいない。
犬さえ玄関まで迎えに来てはくれない。
中学生の頃、夜中にそっと家に帰ってきても愛犬がワンワンと吠えて尻尾を振りながら迎えに来てくれたのを思い出した。
おかげで母からは夜中まで遊んでいたのがバレ、激怒され、そっと家に帰るなんていう試みは一度も成功した事が無かった、なんて事も思い出した。

年老いという儚さに急に切なくなった帰宅だった。

類は友を呼ぶ。
昼過ぎまで踊りながらのんでいた私の友達、みんな最高だ。
だとすれば、わたしも最高なのだ。
自分が自分で良かった、と感慨深くなる。

彼氏ができてから、洗顔とトリートメントと化粧水を変えた。
下着もそろそろ新調しなければマズイ。
いつも”適当”を謳っている自分が案外乙女な事に気づいて面倒くさくもなってきた。

こんなチャランポランでいいのだろうか。酒鬱あるある自己嫌悪モード発動。
答えはノーでもありイエスでもある。
まだ吠えられる時に吠えたい、吠えていたいというのが正直な意見だ。愛犬と同じように。

「季節限定フラッペ」とか、「月見」とか「グラコロ」とかいう、季節を代表するチェーン店の味覚は中々1人では堪能する気が起きなかったのに、彼氏が出来てから3日で物凄く久しぶりに「季節限定」たる飲み物を飲みに行った。

彼氏と、「カップルってスタバ行きがちじゃない?」という話になって、やけにクリスマス仕様にデコられた赤い容器を手にした渋谷を練り歩く若い2人の男女が完成されていて、あまりにありきたりに見えてなんだか悔しくなった。

久しぶりに飲んだスタバは甘すぎて最後まで飲むことができなかった。


街中に、なんだか似たような顔の女の人達が増えてきたように思う。
少しだけとかじゃないくらいの、似てきてしまう程の”顔替え”だ。
そして彼女たちは毎度、オジサンという名のポケモンも連れて歩いている。

彼女達なりの美学。
避難なんてしない、否定も。
その顔に計り知れない努力が募っているのも私は知っている。

ただ、私は自分の欠点をも愛してくれる人と生涯を共にしたい、と思う。

欠点も、総じて美だと思うからだ。

そもそも”完璧”なんてものは存在しないのに、彼女たちは何を追求しているというのだろうと思ってしまう。

「きっと彼女たち自身が思うより、”素の自分”は元々綺麗で素敵なんだよ」
もし彼女たちが行う”顔替え”が他の誰かによって自信を無くされて行っている行為なら、私は彼女たちを抱きしめてそう言ってあげるのにと思う。
そんな事をわざわざ思ってしまうから、新宿という街は嫌いだ。
こんな事を赤の他人である私が彼女たちに伝えてもなんの効力にもならないし、街中で勧誘をしてくるホストに「お前らのせいだよ」と思ってしまう自分も嫌になるから歌舞伎町という街にはあまり足を踏み入れたくないとも思う。
そう思ってしまう自分が嫌になるのは、ホストだって人間で、仕事で、頑張っているのも又、知っているからだ。



街中や最終電車の中で行われる「あ、今年は今日で最後かな?もしかしたら。また来年、良いお年を!あ、その前にメリークリスマスか!またねー!」の会話。

この会話、毎年恒例でなんか好き。

「また来年!」という挨拶を交わして本当にまた来年会う人達もいれば、その「また来年!」はもう一生来ない人達もいるのだろう、とか考える。

今年もたくさんの人達に逢えました。
また来年!の人もいれば、そうじゃない人達も、きっといます。

いや、でもできれば今年逢った人達、全員、できれば全員とは、また来年!と挨拶をしたいです。


酒鬱から始まる朝も、昼も、夕方も、夜も、
感慨深くなって色んな事をダラダラと振り返られるから悪くは無いです。


それでは皆様、また来年





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