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【ネタバレ注意】赤狩りのメタファーとしての「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ!夕陽のカスカベボーイズ」

先日「シェイプ・オブ・ウォーター」のレビューで東西冷戦のことを書いたら今度はハリウッドに吹き荒れた「赤狩り」ついても書きたくなったので2004年公開のアニメ「クレヨンしんちゃん」劇場映画シリーズ(通称”劇しん”)12作目「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ!夕陽のカスカベボーイズ」のレビューを書きます。

劇しんの傑作と言えば「オトナ帝国」「戦国大合戦」はもう定番中の定番ですが、私はそれらに次ぐ傑作がこの「夕陽のカスカベボーイズ」だと思っています。
劇しんは大人の鑑賞にも耐えうる傑作揃いで知られており、ストーリーもさることながら「これ絶対子供は分かんねーだろ!」という、どう考えても子供ではなく子供を映画館に連れてきた保護者向けのパロディが差し込まれているのも見どころの一つです。もちろんそれらが分からなくても十分楽しめますが、元ネタも知っているとより楽しめる。そんな落語的面白さがあるのも劇しんの魅力です。
この「夕陽のカスカベボーイズ」のストーリーは、かすかべ防衛隊と野原一家が廃墟の名画座「カスカベ座」のスクリーンから映画の中に取り込まれてしまい、そこから脱出して現実世界へ帰る方法を探すというもの。映画の世界は、モニュメントバレー風の景色の中にポツンと存在する西部開拓時代の町「ジャスティス・シティ」で、知事の「ジャスティス・ラブ」が圧制を敷いて町民を暴力的に支配していました。他の町民も「カスカベ座」のスクリーンから取り込まれてしまった春日部市民でしたが、なぜか皆が記憶を喪失しており、西部開拓時代の生活に馴染んでしまっています。そしてしんちゃんの両親とかすかべ防衛隊のメンバーさえも徐々に町に馴染んでいき、それぞれに与えられた役割を”演じる”ようになってしまいますが、しんちゃんとボーちゃん、謎の研究をしている「オケガワ博士」だけは町の空気にもジャスティス・ラブにも屈せず反抗し続けるのでした。
本作のモチーフはこのストーリーからも分かるように「西部劇」。まずタイトルの「夕陽のカスカベボーイズ」というタイトルからしてマカロニ・ウェスタンの傑作「夕陽のガンマン」のパロディだし、「映画の世界へ入り込む」という劇中劇のプロット自体「カイロの紫のバラ」、「ラスト・アクション・ヒーロー」、「カラー・オブ・ハート」など多くの作品で使われている定番設定です。

本作最大の特徴は映画の、特に西部劇のパロディがてんこ盛りなこと。おそらく劇中のパロディネタ数では歴代シリーズ随一でしょう。加えて、銃撃戦あり、蒸気機関車と自動車部隊の激しいチェイスあり、しんちゃんの本気のラブロマンスあり、終いには巨大ロボットとスーパーヒーローのバトルも展開したりとあらゆる映画の要素が詰め込まれ、パロディネタが分からなくても娯楽作品として普通に楽しめる傑作です。しかし中盤、本作のヴィランであるジャスティス・ラブが姿を現したところで本作のもう一つの、というか真のモチーフが見えてきます。それは1950年代にハリウッドで巻き起こった「赤狩り」(マッカーシズム)です。

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このジャスティス・ラブ、ご覧のとおりキャラクターデザインがどう見てもジョン・ウェインなのです。

「赤狩り」は1950年代にアメリカで発生した東西冷戦を背景とする反共産主義に基づく政治的運動です。ソ連の力、特に共産主義に強い脅威を感じたアメリカ右派のジョセフ・マッカーシーを筆頭とする政治家たちは、世論の喚起を狙いアメリカ国内の共産党員および共産党支持者(と見られる人々)を厳しく排除、迫害しました。その際、当時最も人気のある大衆娯楽だったという理由だけで映画が標的となり、反米の言動をする者を炙り出し、排除、処罰する「非米活動委員会」によるハリウッドの映画業界人に対する聴聞会が行われました。ここで映画人がとった行動は、アメリカを見限って海外に逃亡する、徹底抗戦する、非米活動委員会側に寝返る、の三種類。この時、喜劇王チャップリンは故郷のイギリスに帰省したタイミングで事実上アメリカから追放状態となりスイスに移住せざるを得なくなり、徹底抗戦して実刑まで食らった脚本家のダルトン・トランボは完全に仕事を干され、友人の名前を借りて「ローマの休日」の脚本を執筆、撮影も赤狩りの嵐から逃れるためわざわざローマ現地でロケをしなければなりませんでした。

前述のジョン・ウエインは西部劇の大スターで、西部劇の定番であるつばの広いテンガロンハットや大きなバックルのベルトなどを定着させた人ですが、プライベートでは右翼で保守のタカ派で、左派でリベラルな映画人を迫害していた人でした。彼はハリウッドに赤狩りの嵐が吹き荒れた際、非米活動委員会に積極的に協力し、率先して非米活動委員会に睨まれた映画人がハリウッドで仕事できないように監視・妨害しました。中でも有名なのは、共産主義者として非米活動委員会のブラックリストに載った脚本家のカール・フォアマンが脚本を執筆した「真昼の決闘」がアカデミー賞を獲得しないように裏から手をまわして妨害工作を仕掛けたこと。もっとも、監督のフレッド・ジンネマンがブラックリストに載っていなかったこと、主演のゲイリー・クーパーもジョン・ウェインと同様に非米活動委員会に協力している映画人と見なされていたことが功を奏したのか、アカデミー主演男優賞、アカデミードラマ・コメディ音楽賞、アカデミー歌曲賞、アカデミー編集賞を受賞しました。

この「真昼の決闘」を改めて観ると確かに「赤狩り」の影響が伺えます。本作は一応西部劇ではありますが、保安官が悪党に立ち向かおうとしているのに協力者が真っ先に逃げ、守ろうとしている町の住民すら誰も手助けせず、自分の嫁さえ自分を応援してくれない、という孤立無援の状態からストーリーが始まります。そして決闘するのは本当に最後の最後で、シーンの大半が協力者を探して町を彷徨う保安官の姿。血沸き肉躍る描写がなく、それまでの西部劇にあった正義のヒーロー像も、一緒に戦う友情も、開拓者のチャレンジ精神も何もありません。ある意味非常にリアルな人間描写で、しかも脚本を書いた人が赤狩りでブラックリストに載った人。もうどう考えてもカール・フォアマン自身の体験が反映されているとしか思えません。俺がブラックリストに載って仕事を干されたのに他の連中は誰も助けてくれなかったじゃねえか!という。共産主義に対抗するために人々を監視し、反米・親共と思しき者を炙り出し、一方的に決めつけて追い込むその仕組みは皮肉なことに共産主義国がよくやる手口そのもの。冷戦下では結局西も東も変わらなかったという皮肉。人間の正気や良心がいかに脆く弱いかがよく分かる事例です。

これを踏まえて改めて「夕陽のカスカベボーイズ」を振り返ると、どうも「赤狩り」と「真昼の決闘」が舞台設定とストーリーの下敷きになっているのでは?という気がしてきます。ジャスティス・シティに取り込まれてしまった人々は、しんちゃん以外の野原家の人々やかすかべ防衛隊のメンバーも町に馴染んで現実世界に帰ろうという気持ちを失っていきます。おまけに彼らが取り込まれた映画世界には時間経過という概念がなく、空はいつも晴れ渡り太陽が真上に登ったままです。つまり「真昼」。タイトルは「夕陽のカスカベボーイズ」なのに。

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夕方のシーンはラストにほんの少しだけ。

しんちゃんとボーちゃんは町に馴染まず記憶も失わず、どこまでもジャスティス・ラブに反抗し、他の人々の記憶を呼び覚まして皆で元の世界に帰ろうと呼びかけますが、それがなかなか上手くいかず、かすかべ防衛隊の団結にも亀裂が入ったままで、最後の最後まで「かすかべ防衛隊ファイアー!」の掛け声が出てきません。この、しんちゃんの親にも友達にも頼れない孤立無援っぷりは「真昼の決闘」の保安官の姿と重なります。

なお、「真昼の決闘」が気に食わなかったジョン・ウェインは、そのアンチテーゼ作品として右翼仲間とつるんで「リオ・ブラボー」を製作しますが、この作品もまた「夕陽のカスカベボーイズ」の元ネタの一つだったりします。

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本作でしんちゃんは襟付きのシャツにベルトとちょっと大人っぽい服を着ていますが、これは「リオ・ブラボー」でジョン・ウェインが着ていた服と配色が同じなんですね。一方風間くんは最も早くジャスティス・シティに馴染んで保安官になりジャスティス・ラブの圧政に加担しますが、その服が前述の「真昼の決闘」のゲイリー・クーパーとほぼ同じ。彼がジョン・ウェインと同様の右翼とされながらもブラックリストに載った脚本家が手掛けた「真昼の決闘」で主演したことを考えると、本作の風間くんのキャラクターそのものの元ネタがゲイリー・クーパーである可能性があります。

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ちなみにジャスティス・ラブの手下の保安隊の服も「リオ・ブラボー」のジョン・ウェインの衣装と同じなんですが、こんな個人名すらないモブキャラなのになんと声の担当は玄田哲章さん。本作は洋画吹替で活躍している声優さんが多数出演しているのも特徴の一つです。

ここから本格的にネタバレなのですが、ジャスティス・ラブの正体は、自分が主人公の映画を永遠に終わらないように人々を取り込み、役割を演じさせて映画世界を維持し続けようとする「映画のキャラクター」でした。それは現実と乖離した「俺が考えた理想的な映画」「俺の中の理想的なアメリカとアメリカ人」を生涯表現し続け、それを他者にも求め、それに反する映画人を迫害したジョン・ウェインそのものなのかもしれません。しかし、街の住人が映画世界の真実に気付いた瞬間に真昼のままだった太陽が動き出し、かすかべ防衛隊が友情を取り戻し力を発揮すればするほど、徐々に典型的かつ理想的な西部劇の世界観が崩れていき、ラストにはジャスティス・ラブ本人の顔も崩壊してしまいます。

それにしてもただでさえ映画(主に西部劇)の細かいネタがてんこ盛りで子供はおろかその親ですら分からなそうな内容なのに、ハリウッドの赤狩りも盛り込まれているとしたら更に”分からない”映画になってしまいます。子供のじいちゃんやばあちゃんが分かったらラッキーぐらいなネタですよ。ハリウッドの赤狩りは1950年代の出来事なんだから。
ところで、ジャスティス・ラブの声を担当したのは御年87歳の大御所・小林清志さん。今でこそ氏は「ルパン三世」シリーズの次元役として知られていますが、もともと洋画の日本語吹き替えの黎明期を支えた名優中の名優で、本作のパロディの元ネタになった西部劇のほとんどに出演しており、かつリアルタイムに東西冷戦と赤狩りの時代を目撃してきた歴史の生き証人にしてLiving legend。おそらくパロディもキャラクターに込められた意味も全て分かって演じていたでしょう。

おまけ

最後に本作のパロディの元ネタを思しきものを列記していきます。旧作映画の多くは現在Amazonプライムで配信されているのでよければご覧ください。

■キャッチコピー「しんちゃん、カムバ~ック!」

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もはや言わずもがなですが、ラストの「シェーン!カムバーック!」の「シェーン」です。

■「農作物ばかりを狙う泥棒集団め!」

本作はかすかべ防衛隊のみんなが鬼ごっこをするシーンから始まりますが、最初に鬼になった風間くんが上記の台詞を叫びます。西部劇で「農作物を狙う」ときたら「荒野の七人」!これはラストのバトルシーンへの伏線にもなっています。

■映画世界の風景

「カスカベ座」のスクリーンには、場内が無人にも関わらずアメリカのモニュメント・バレーの風景と思しき映像が延々と流れており、かすかべ防衛隊と野原家はそれを見続けたことによって映像と同じ風景が広がる映画世界のに取り込まれます。西部劇でモニュメント・バレーといったら、やはりジョン・ウェイン主演の「駅馬車」でしょう。これ以降、モニュメント・バレーおよびその周辺は数多くの映画に使用されました。

■へんな顔の男

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本作の敵側の小悪党の1人ですが、個人名が無く本当に「へんな顔の男」というキャラ名です。野原一家が映画の世界へ入り込んだあと一番最初に遭遇する敵で、その後も何かと野原家とかすかべ防衛隊の前に立ちはだかるのですが、その顔のデザインがどう見ても俳優のクラウス・キンスキー。非常に個性的な顔をしており「夕陽のガンマン」でも小悪党を演じていました。

■マイク水野

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野原一家が映画世界の中で初めて出会うまともな春日部市民ですが、デブで福耳というキャラクターデザインがいかにも水野晴郎。氏は生前”マイク水野”の愛称で知られており、日本ユナイト映画在籍時に「夕陽のガンマン」の邦題を考案した人でもあります。彼は劇中を通して解説役のような形で野原家やかすかべ防衛隊に関わりますが、映画解説者として活躍した水野氏にピッタリの”配役”です。

■オケガワ博士

ジャスティス・シティに於ける数少ない”アンチ・ジャスティス”の1人で、毎日何かを研究してはジャスティス・ラブの手下に見つかり馬で引きずり回されるというハードな拷問を受けるキャラです。彼は自分からは名乗りませんが手下達から「オッケー(OK)」と呼ばれており「OK牧場の決斗」へのオマージュではないかという気がします。

■歌手のみさえ

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ジャスティス・ラブによって満足な報酬も無いまま強制労働させられているひろしに代わり、生活費を稼ぐためにみさえが酒場の歌手として働き始めます。その時の格好がどう見てもマリリン・モンローで、顔がアップになるとソフトフォーカスになります。本作はやたらとキャラクターの顔がアップになるのですが、これも俳優の顔のクローズアップを多用していたセルジオ・レオーネのオマージュだと思われます。

■アンチ・ジャスティスの七人

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終盤、ピンチになったしんちゃん達を助けるかのように「映画世界のアンチ・ジャスティス・ラブ」のガンマン7人が登場しますが、冒頭の風間くんの台詞の伏線回収かキャラクターデザインがそのまんま「荒野の七人」。しかも全員にちゃんと名前があり、それも「荒野の七人」と同じならば台詞のあるキャラクターの担当声優もオリジナル吹き替えと全く同じです(クリス→小林修さん、オライリー→大塚周夫さん、ヴィン→内海賢二さん)。

■機関車と自動車のチェイス

ラストでしんちゃん達が乗った蒸気機関車とジャスティス・ラブの自動車部隊が激しいチェイスを繰り広げますが、これは「マッドマックス3/サンダードーム」のラストとほぼ同じです。「マッドマックス」シリーズはオーストラリアで作られたディストピア映画ではありますが、西部劇から多大な影響を受けているのは知られた話です。

■「ストレンジャー!」「レンジャー!」「インターセプター!」「ペキンパー!」「イージーライダー!」
現実世界の記憶を失いイマイチ心が一つにならないかすかべ防衛隊が気合いを入れるかけ声「かすかべ防衛隊ファイアー!」を思い出す際にいろいろな言葉を叫ぶのですが、細かくいろいろな映画ネタが入っています。「ストレンジャー!」はクリント・イーストウッド監督・主演の「荒野のストレンジャー」、「レンジャー!」は「ローン・レンジャー」もしくは「炎のテキサス・レンジャー」、「インターセプター!」は「マッドマックス」シリーズの主人公マックスの愛車(フォード・ファルコンXB GT)、「ペキンパー!」は”最後の西部劇監督”として知られるサム・ペキンパー、「イージーライダー!」はそのまんま「イージーライダー」。

オススメ

赤狩り時代に海外逃亡と徹底反抗を選択した当時のハリウッド映画人の背景やその後の運命について克明に描いている本です。チャップリンが全ての戦いと殺人を否定する「殺人狂時代」を製作したこと、たまたまイギリス国籍からアメリカ国籍に変更していなかったことに付け込まれて国外追放されたという事実から、当時のアメリカがいかに狂っていたかが伺えます。

ハリウッドの赤狩りは10年も続かずに終息し、ダルトン・トランボも自分の名前で仕事ができるようになりますが、赤狩り時代のうっ憤をぶちまけたかのような小説「ジョニーは戦場へ行った」を執筆し、ベトナム戦争真っ只中の1971年に映画化し高く評価されました。ただし「ジョニーは戦場へ行った」も反戦小説として政府に目を付けられ、アメリカが戦争を起こすたびに発禁処分になるいわく付き小説となります。

その1971年の映画版「ジョニーは戦場へ行った」をメタリカのドラマーであるラーズ・ウルリッヒが観て感銘を受け、後に名曲として知られるようになる「ONE」を製作しました。ダルトン・トランボはMVに劇中の映像を使用することを全面的に許可。このMVもまた高く評価され、この曲にアワードを与えるため、それまでヘヴィメタル系の部門がなかったグラミー賞に「ベスト・メタル・パフォーマンス賞」が創設されました。

「ONE」はこれに収録されています。

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