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「学校祭」の「後悔」について

私は、衣装パート長になった。
1年生の時も、2年生の時も、衣装パートだった。

服を作るのが好きだ。
もともと、「手芸」が好きだった。
縫物も、編み物も、クロスステッチも、
基本的には、できるし、好きだ。

「手芸」をすると、「無」になれるのだ。

手芸をしながら、後ろから、テレビの音が流れる。
その時の「ドラマ」の音だ。

母が観ていた。妹が観ていた。
それだけ、だった。

私は、無我夢中で、手芸をしていた。
それだけ、だった。

なのに、
母はドラマの内容を全然覚えていない。
「それで、あの続きは、どうなったの?」
と私が聞くが、いつも、
「わからない」
と答える母

「え、観ていたんじゃないの?」と思い、
心の中で呟くが、届かない。

きっと、人生には、そういう事がたくさんあるんだろう。

私は、集中すると、本当に周りが見えなくなる。
リーダーなんて、全く向いていない。

でも、「大好きな服」のためなら、
リーダーになってみようか、
と ふと 思った。

私は、本当に、自分に自信がない。
今でも、新しい事を始める時、緊張する。

みんなは言う。
「絶対、やった方がいいよ。向いているよ。」

私は、心の中で呟く。
「えー、絶対、無理だよ、、、 できないよ、、、」

でも、ある日、
「衣装パート長になって、成功したら、
大学受験も成功するかも?」
と、ポジティブ変換した。

結論から書くと、
結果は、大失敗。
いろんな人たちに迷惑をかけて、泣きながら、演説した。
「こんなリーダーでごめんね。
でも、みんなと過ごせた時間は、私の宝物だ。
私にとっては、最高のメンバーだったよ。」

今でも、ふと思い出して、辛くなる瞬間がある。

でも、大人になって、
「彼ら」や「彼女ら」に会うと、なぜか癒される。

私と一緒に、戦ってくれた仲間がいる。
その事実は、「変わらない。」
今でも、親友で、超・格好良い、親友の子もいる。
ずっと、親友を続けてくれている。
同級生から、大人になった、
「あなたと話したい」と告白されることもある。

私の担任の先生は、
とにかく、「いいかげん」な大人だった。
「好きなように生きろ」しか言わない。

けれど、学校祭の結果が2位だった時に、
こう言ってくれた。

「1位の気持ちもわかるし、それ以下の気持ちもわかる。
だから、良かったんじゃないだろうか」

私は、その言葉に救われて、感動した。
青春時代は、結果ばかり、突きつけられる。

「過程」が大事だと、
先生たちは「口々」に言うが、その時はわからない。

後になってから、
あぁ、そうだった、と思い出すだけだ。

人は、これを何と呼ぶのだろう。
「黒歴史?」「青い春?」「猪突猛進ガール?」
なんだろう・・・?

私たちの世代の仲間が、
私にたくさんプレゼントしてくれた。

「想い出は色褪せない。」

私のフォトアルバムは、
「彼らや彼女らの笑顔」でいっぱいだ。

つくづく思う。
私は、「黒子」がよく似合う。
「進路」についての悩みは尽きない。
これが、「永遠のテーマ」っていうやつなのかもしれない。
「手に入った瞬間」、「別の世界が見えてくる」

とっても不思議だ。

私は、心底、「人」に興味があるのだろう。
「答えのない問い」について、
向き合うことに、向いているのだろう。

私は、何になれば、良いと思いますか?

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