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「がんばって」生きなくてもいい。


もうこの世に生きていたくないと思うこともあって、でもこの世に生まれたから、私は彼らに出会うことができて、彼らを知ることができた、でも彼らと「会う」ことは一生なくて、そのことを美しいとさえ錯覚していた。
本当はそれがどんなに幸せなことなのかも、不幸せなことなのかも、誰にも判断はできないことなのに、現世に乗り遅れてやってきた宇宙人みたいな気分で、「まぁ仕方ないよね。私の本当の居場所はここじゃないんだし」と、遠い過去からやってきたような顔をして諦めている。そんな自分がとても可愛くて、可哀想で、少し怖いとも思ってしまう。一体何に怯えているんだろう。私は。

「生きるべきだ」と、簡単に言ってくれるな。
がんばって生きるなんて、間違ってもしたくない。
生きることをがんばりたくはない。
夢とか目標とか抱負とか、うるさいよと思う。そんなものがあってもなくても生きているという事実は変わらないのに、そうゆうものがない人にはまるで生きる価値すらないと言わんばかりの目で見られて、見られるどころか透明の烙印を勝手に押されてしまう。
人の生き様に、勝手に判を押すなよ、馬鹿者。
お前はそんなに偉いのか。


夢は獏に食べられました。
目標は高すぎて首を痛めました。
抱負は3日で忘れました。
それでも、私は腹が減るし排泄するし笑うし恋をする。寝て起きてまた寝て酒を飲んで文章を書く。喋る。黙る。怒る。演じる。演じる。笑う。疲れる。書く。
これを生きていないというなら、この世は演劇でできているのだろう。


がんばらないよ、生きること。
だって何をしても何をしなくても、どうせ私は「ここにいる」んだし。どうせここにいる。生きている。
それだけでいいと思えるまでに、35年かかりましたけどね。

生まれてきた意味とか、かんがえなくていい。
神様は乗り越えられない試練は与えないとか、意味のないことなんてないとか、なんで疑わないんだ。会ったこともない奴のこと信用するなよ。知らないやつについていくなと、あれほど言われてきただろう。


明日も、死んでないから、死なないから、だから生きなきゃいけない。それだけ。それだけで君は、生きる価値がある。生きる理由がある。君は、生きろ。君が夢や目標とか何も持っていなくても、生きるに値する命に変わりはない。君は、生きれる。明日を。無駄に探すな。ないものを。どうせいつかは死ぬ。焦るな。過ぎる時間を。
生きたくなんてないと思い続けた今日がまた終わる。
生きたくなんてないと思う明日が来る。
明日は来る。
それだけで生きているという判子をもらう。皆勤賞だよ。毎日ちゃんと生きてるもん。



何にもなくていい。
だから君は、生きろ。


生まれた日より前を。






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