見出し画像

過去の自分の写真を見るとまるで別人だった。


Instagramを開くと、
「おすすめ」ユーザーの欄に懐かしい名前を見つけた。

過去、演劇活動をしていた時期に仲良くしていた人物だった。

一時期は毎日のようにLINEをしたり、飲みに行ったり、お互いの家を行き来したり。
彼女とは友人とゆうよりは、姉妹のような間柄だった。


しばらくして、「合わないな」と思うことが増えていった。

初めは、小さな違和感だった。

けれどもその違和感は徐々に大きくなっていき、気づいた時にはカチコチに固まった雪だるまのように膨らんでいた。


『もう関わらない方がいい』。

連絡を取るたび、会うたび、私の心がそう知らせてくるので、私は徐々に彼女とは会わなくなっていった。今では全く連絡を取っていない。



私には、こうゆう、
「一時期あんなに仲良かったのに…」と回顧する元「元」友人が沢山いる。

それは演劇活動で出会った仲間だけでなく、中学や高校の頃から、いや、思い返せば小学校の頃からいた。

いずれも毎日のように遊んだりしていたのに、
ある日突然「あ、もう無理だ」と反旗を翻すかのように自ら関係を絶ってしまう。

勿論、クラスメイトだったり舞台での共演者だったりすれば、いきなりパッタリ会わなくする、ということはできないからしばらくは会うことにはなるが、その関係性は「1番の仲良し」から「まるで他人」へと急降下。そのスピード感たるや、自分でも驚くほどだ。気づいたらフェイドアウトして、パッタリと連絡を取らなくなる。そして、会わなくなる。





よく、「急に合わないと感じるようになった」ということに、「波動が合わなくなった」という言い方をしたりする。

目に見えない、空気感のようなもの。
言葉では表すことができない、違和感。
そうゆうの。
私はこの「波動が合わなくなった」「波動が変わった」という表現がとても好きでよく使うのだけれど、本当にそれしか言い表せないかのように、私の「あ、もう無理」は急にやってくる。
波動、というぐらいだから空気感が見えずに振動しているってことなんだろうけど、もうすこし穏やかな波でやってきてほしい。
本当に本当にいつもいつも、突然現れるビッグウェーブ。自分でも乗りこなすのがやっとだ。


話を元に戻すが、
冒頭に書いたInstagramを見ていて思ったことがあった。


それは、

【あの頃の私は、今とまるで顔が違う】

ということ。


数年の時を経ているから、物理的に老けたり髪型や肌質、服装なんかも変わっている、ということは勿論ある。だけどそれを差し引いたとしても、本当になんとゆうか、人相が違う。まるで別人なのだ。
彼女とツーショットで写っている過去の自分を見て、しばらくそれが自分だと気づかなかったぐらい。それぐらい今の私とは違っていた。



写真というものは怖い。

そこに、確かにそこに存在した

という事実を問答無用で突きつけてくるのだから。それは時としてとても残酷なことだ。



自分だと気づかないくらい変わってしまった私。

でもあの頃の私も、確かに私。私の過去。
通り過ぎてきた道筋。



あの頃。


少なからず「何か」波動共鳴するものが有ったから、あれだけ四六時中一緒にいたんだろう。
それは必要な時間、必然だったのだろう。


だけど今、その時時間を共にした人たちとは、共に生きてはいない。



みんな、元気にしているだろうか。


私が急に離れたことを、当時は不思議に思った人もいれば、怒った人もいるだろうし、同じように私に対して違和感を感じて同時に離れた人も、色々といるだろう。


でも、一時期だとはいえ何かしら縁があって共鳴した関係。大嫌いになったわけではないから、できればみんな元気でいてくれてたらな、と思う。

いや、中には「だいっきらい‼︎」になった人もいるけれど…(苦笑)

出会ってくれて、一瞬でも関わってくれて、

ありがとうございました。


今はただただ、そんな気持ち。


とても懐かしくもあるけれど、
だけどもう戻りたくはない。


今の私と、あの頃の私は、
価値観も好きなものも心地よいと思う関係も、全部全部違う、別人なのだから。


しばらく自分だと気づかなかった「過去」の自分を写真で見て、「今日」の私は、そんなことを思った。



パッタリ会わなくなってしまった人への疑問でこんな日記も書いてました↓

この記事が参加している募集

今こんな気分

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?