見出し画像

【エッセイ】少女漫画で育った女に降りかかる災厄と祝福

このnoteをわざわざ訪ねてくれたあなたに問いたい。

あなたの精神の礎は、りぼんから?ちゃおから?なかよしから?


キングダムハーツというRPGのゲームでは、最初に「攻撃の剣」「防御の盾」「魔法の杖」から、自分がほしいものと差し出すものを1つずつ選択させられる。

選んだ道具によって、主人公の成長の仕方に影響が出る仕様で、中盤以降は装備等によってリカバーも可能となるものの、その影響は馬鹿にできない。

もうお分かりだろうか。

幼女たちにとって、どの少女漫画を手にとるのか、という選択もまた、同じなのだ。

人生の序盤では非常に色濃く、そして意外にも尾を引くこの選択。

りぼんを選んだ者は、「トラウマカウンセリング能力」を得る代わりに「クラスの人気者に素直に惹かれる心」を失う。

なかよしを選んだ者は、「闘う女としての矜持」を得る代わりに「変身グッズ系玩具収集がなければ貯まっていたはずのお小遣い」を失う。

ちゃおを選んだ者は、「少女誌としては珍しい学校で堂々と使える豪華で実用的な付録」を得る代わりに「顔面積に対し瞳が占める正常な割合を見極める力」を失う。

何かを得るためには、同等の対価が必要なのは世の理であり、魔法少女はそのふしぎな力と引き換えに普通の女の子としての生を失った。

ここまでの論調ですっかり滲み出てしまっていると思うが、筆者は生粋のりぼんっ子である。

比較的ポップでキュート、そして少女文化誌的な立ち位置を築いたちゃおを「世俗的・ミーハー」と厭い、りぼんに描かれる「複雑な家庭環境」「垣間見える大人の事情」「学校での陰惨な事件」「Cookieへと移行するのに十分な専門学生的オサレ」に頭の芯まで魅了されていた。中二病への進化は待ったなしの特待生の完成である。

少女漫画が与える影響において、恋愛観は当然のものとして、ギャグセンスへの影響もまた無視できない要素である。

年齢層の高いりぼんでは、さくらももこ、岡田あーみんのレジェンドは言わずもがな、比較的ポップなもの、津山ちなみのHIGH SCORE、森ゆきえのめだかの学校、前川涼のアニマル横丁といった作品を振り返っても、ギリギリ少女に意味が伝わるようなもの、ちょっとブラックなギャグが長続きしていたように思う。矢沢あいや小花美穂などの顔ぶれを思い返すと、ストーリー漫画に差し込まれるギャグについても同様の特徴が見受けられる気がする。

なかよしはと言うと、正直なところ、わんころべえという少女ギャグ漫画界の覇王ときんぎょ注意報くらいしか浮かばなかったが、その他ストーリー漫画におけるギャグと共通して、他2誌と比してほんわかした雰囲気とファンタジー的設定、圧倒的動物のマスコットキャラの登板率が特徴だろう。

ちゃおに関しては、こっち向いて!みい子、ミルモでポン!、めちゃモテ委員長などの他はポケモンやたまごっちとのメディアミックス系が想起され、破天荒ドタバタギャグの傾向を色濃く感じる。また、ストーリー漫画内のギャグには比較的お色気要素がある印象を持っていたが、実際に連載一覧を見返しても特にそういった傾向は見られなかった。キューティーハニー掲載誌だからだろうか。(比べると、なかよしのぴちぴちピッチとか読みきりとかのがそういった要素は多かった。)

恋愛と笑いといえば、かなり長いスパンで人生を彩る要素である。

ジャンプかサンデーか、プレイステーションかセガサターンか、ファッション誌は青文字か赤文字か、人はそういった類いの選択を重ねて自己を形成し、認識していく。

わたしは前回記事にて「人への関心が半端ない」と話した通り、上記のような選択についても心惹かれるものがある。

あなたが手にした少女漫画誌は、姉妹の有無や親の経済観念によって、やむを得ず手に取ることになったものかもしれないし、情報量の多すぎる表紙や放映アニメの足早なCMから受け取った何かが琴線に触れたのかもしれない。

今回の記事を読み返すと、90年代~00年代にわりと限定した語りになってしまったが、これを面白いと思った方はもう今はとうに成人して人格も出来上がっている頃だろう。

気が向いたらぜひ、今一度過去のときめきを思い出し、自身への影響を振り返っていただきたい。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?