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エッセイストの肩書きほしぃ。 Vol.3 「社会人ってなんなのさ。就職活動と2つの会社で学んだこと〜派遣社編〜」

正社員時代、「デザインの勉強をしたい、デザインの学校に行こう」と思い立ち、会社を辞めようと決心したのは、確か年末頃だった。ただ、イラストを学びたいのか、デザインを学びたいのか、明確にわからず、自分はどの学校の、どの学科に行けばいいのかと、迷っていた。会社を辞めて、すぐ何かしらの専門学校に入ることもできたけど、お金がかかるし、入ってから「なんだこれ!間違えた!」みたいなことは、もうしたくない。じっくり考えたいと思った。でも、何もせずに1年を無駄にしたくない。そう思って、わたしは美術基礎を学べる桑沢の基礎造形(夜間で週2)に入った。1年間学んでみて、ゆっくりと準備してみようと思ったのである。

学校に通うことは決めていたけれど、その条件は、「働きながら、通える」ことだった。なので逆に言えば、私が働ける必須の条件は、「学校に通えて、ある程度収入がある仕事だということ」。時間的・精神的に正社員は無理だし、アルバイトも難しい。学校は18時からだし、残業もできないな。あとはできるだけ、学校に近い職場にしよう。総合的に考えて、私には派遣社員という道が一番フィットするなと思った。派遣会社に登録し、条件に合う派遣先を選んで、エントリーをした。その会社は港区にあったのだけど、せっかくなら港区で働いてみるか、東京っぽいしな、みたいなノリもあった。職場見学(面接とは言ってはいけないので)は3月末くらいの話だったと思うけど、意外にもトントンと話が進み、是非うちで働いてください、とその日のうちに返事をもらった。すごくホッとして、そのあと昼間から友達と飲んだ。

そんな流れで、2021年4月初旬から、ある会社で事務職員として働くことになった。有期の派遣社員は同じ派遣先で3年間しか働けないけど、私にとっては桑沢基礎造形1年間+どこかの専門学校但し夜間2年間(結果として桑沢の夜間に2年間通うことになる)なので、むしろ好都合だった。

私は前職で、逆の立場(派遣社員を受け入れる側)だったので、自分が派遣社員として働くのは、新鮮で、何というか、嫌なところにも目がつくものだった。私が正社員だったらもっとこうするな、とか、いやここは準備するべきだし、やらなきゃ駄目だけどな、みたいなことは、申し訳ないけどあった。その会社にとって、派遣社員がどのくらい労力として、重宝されているかみたいなところも、肝だと思う。あと常々思ったことだけど、どっちが上とか下とかなくて、役割が違うだけだと思う。そして、私の名前は「派遣」でも無ければ、「派遣さん」でも無い。

とは言っても、「ありがたかった」という気持ちが大部分を占めている。きっとあの会社だったから、学校にも通い続けられていた。1年生までは(自称)ショートスリーパーを名乗るくらいピンピンに元気だったけど、2年生になってからじわじわと、睡眠のリズムがうまく取れなくなった。同時にいろんなところにボロが出て崩れだし、身体的にも精神的にも不安で、不健康だった。仕事に関しては、やることはやっているし、自分なりに考えて成果物を納品しているという自負はあったけど、それを考慮しても、色々多めに見ていただいていたなと思う。会社の人のだいたいは、私が学校に通っていることを知らなかったので、「ちょっと変なおかっぱだな」くらいにしか思っていなかったと思う。私がやっていることは、全部自分が決めたことで、自分のやりたいことのためにやっているから、特別英雄視する必要もないけれど、それをわかっている上で、どこか褒めてほしいと思っている自分がいたのも、確かだった。調子が悪くて寝込んだ時とか、会社でうまく振る舞えない時、「私社会人なのに、社会不適合人間になぜか真っしぐらだな」とよく思ったけど、学校に行ったら、だいたい元気になった。それはそれで、よかったと思う。

この会社で働いていてよかったことの一つに、Hさんとの出会いがある。Hさんは、年齢も近くて、キュートで、一見穏やかそうなのに、歯に衣着せぬ物言いが良くて、いい意味で、かなり変。好きな食べ物を尋ねると、「披露宴のパン」と言っていた。よくランチにも行ったし、クリスマス前には飲みに行ったりもした。会社の愚痴とか、恋愛のこととか、色んなことを話した。私の展示にも来てくれたことがある。私はよく学校のことを話したんだけど、その話を聞いている時のHさんの目といったら、それはものすごく真っ直ぐで、この人は人のことを馬鹿にしたりしない人だなと思った。当初Hさんは3年満期で働くつもりだったらしいのだけど、色々考慮して私より早く退社することになった。ある日のランチで、Hさんが今月いっぱいで会社を辞める旨を私に伝えてくれた。「○○さん(私の苗字)と会って、大人になってからも、こういう風に好きなことを勉強して、頑張っている人もいるんだと思って、すごくびっくりしたんです。ずっと昔からやりたいことがあったんですけど、私もこれから挑戦してみようと思って。だから辞めます。」

色んなことがあったけど、無事私は学校も卒業し、無事3年の満期も迎え、退社した。辞める時に、「え。この人が」みたいな人からメールをいただいたり、わざわざ直接挨拶してもらったりと、色んな人から声をかけてもらい、思ったより感謝されて、驚いた。なんか申し訳なかったなと思う反面、「ああ、私、社会人だったんだな」と思った。ボロボロで、自分を肯定できなくなっていたけれど、私、結構頑張っていたのかな。

ニートがどうとか、限界OLがどうとか、働き方・生き方に対するテキスト、漫画、動画を目にする度、社会人てなんだろうと思う。就活編の冒頭でも書いたけど、ググると「社会人とは…である」と検索結果が出てくるわけで、社会で生きていれば、それは社会人なのだろうけど、社会をどこに定義するかにもよるし。社会人というと、なんかサラリーマンを連想しやすい。学術的なことで定義づけられているとは思うが、体感として、自分は社会に属していると感じれば、その人は社会人だと思う。ずっと家にいようが、アルバイトだろうが、正社員だろうが、自分が何らかの組織・コミュニティに繋がる「窓」みたいなもの(別にドアでもいいけど)を持っていて、自分のやったことに対するレスポンスがあれば、それは誰かに影響を与えることになり、自分は孤独から解脱し、同時に自分の機嫌やルールだけでは生きることが難しくなる。日々、物々交換だ。給料と労働力ならわかりやすいけれど、目に見えないものだって、きっと毎日交換している。若干スピったけれど、社会人とは、交換です、と思う。

私は4月から、新しい派遣先で、事務職員として働いている。もうすぐ1ヶ月経つけれど、今のところいい感じ。在宅勤務もできて、自分の調子を整えやすい。仕事内容も今までとは少し違くて、コツコツとやりがいみたいなものも感じている。制作も捗りそう。私は制作の窓と、働くことの窓を切り分けないとダメな人間だと思う。今後は、制作の窓を大きくして、その窓一つだけにしようとは思っているけれど。所謂『社会』のオーソドックスな道は外れ、私は色んな寄り道をしたけれど、NENEのリリックを借りれば「あの時の誤算も、幸せの予算に」。私が歩いている道は、誰がなんと言おうと一本の道だと思っている。

私の周りには、色んな方法でお金を稼ぎながら、やりたいことをやりながら、生活している人がいる。自分とは違う生き方をしている人を見ると、羨ましいなとか、その手もあったか、と思うけれど、きっとその人はその人で私とは違う苦労を沢山してきたんだろうな。今の私には、今の働き方がフィットしていて、これから状況はどう変わるかはわからないけど、変わらずに、自分がやれるようにやるだけだ。ここまで長々と自慰っぽい文章を書いてきたけれど、とにかく私が言いたいことは、私みたいな感情ジェットコースター人間でも、いくらでも働き方があって、術はあり、ペース・タイミングは様々だということ。だから、これを読んでいるあなたには、うんと安心してほしい。あなたのような生き方、働き方は、あなたにしかできないものだから。社会人はスピード勝負でもなんでもない。そういうわけで、みんな色んな物を社会で交換しているんです。社会人とは、交換です、と思います。









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