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夏休みは「好きになれる私」に還ろう。

今日の国際人権法のテストが過ぎれば夏休み(*ˊᵕˋ*)੭ ੈ❤︎

こんにちは!ちはるです。

まず聞いてほしいことが一点。
6月からメンタルが絶不調でした。現在進行形ではありますが、ありえないくらいに絶不調。笑

毎回テスト期間はメンタルが急降下することでお馴染みですが、テスト期間のもっと前からメンタルがヤンニョムチキンだったんです。

わたし、よく頑張ったね。笑
約1万字の自殺対策基本法についてまとめたゼミのレポートを提出し、非情な日本社会の現実と向き合い続ける福祉政策の授業とテストも頑張り、社会教育主事課程の重い授業もやり切り、ヨーロッパ政治とEU法のレポートも提出しました。

え、ありえないくらい頑張ったよ。私としては。
(こういう事書くと、当たり前のことだろって非難されることもあるのですが、声を大にして言いたい。
当たり前のことを愚直にやり切ったことに対して自己評価することの何が悪い!笑)

第一関門をクリアしたわけですが、私は思うのです。

なぜ私は、こんなにも長期間メンタルが絶不調だったのか。

死に損なった15歳と同じくらいメンタルが絶不調だったんです。明らかにおかしいんです。

自分の過去や特性と照らし合わせて考えてみました。

①イレギュラーな事件。

私事ですが、6月に徳島の第3のおじいちゃんが亡くなりました。

第3と言うのは、実際に血は繋がっていないけど、本当の孫のように愛してくれた大切なおじいちゃんなので。もう1人おじいちゃんが増えたかのような感じです。

このご時世でも無かったら、全て休んで徳島に飛んでいくくらい大切な存在です。

この一文で察しのいい方はわかる通り、私と私の家族は徳島に行くことができず、お別れも何もできなかったんです。

これが私にとってのイレギュラーな事件であり、大きな後悔になりました。

私はこのご時世になる前、徳島の自殺希少地域である旧海部町に行くと同時に徳島のおじいちゃんおばあちゃんに会いに行く計画を立てて、プチ浪費家の私に珍しく貯金をしていました。

そうでもしない限り、かれこれ徳島には2-3年は行っていなくて。
また徳島は私にとって、生まれた場所で大事なルーツで、大好きな場所なので、行きたかったんです。

行けたはずの徳島に行けなかったこと。
会えたはずのおじいちゃんに会えなかったこと。
最後にお別れができなかったこと。

こういう背景がありました。
そして今もこの3つの後悔をどう拭えばいいのかわからずに、苦しさを持っていたりします。

②ポジティブ至上主義にのまれた。

物事の並べ方が思いつくままで下手くそなので申し訳ないのですが。笑

SNSのポジティブ至上主義な雰囲気に心が飲まれて苦しくなってしまったのも一因かなと思ってます。

私が元々ネガティブな人間で、不安になりやすいという気質を持っていることもあり、意図的にポジティブでいることには大きな労力を費やします。

ポジティブでいること、小さなしあわせを見つけること。もちろん精神の安定には重要な観点です。

私も今日良かったなぁと思うことをほぼ日で書いたりするんですが、メンタル絶不調だとこう叫ぶ私が目の前にいます。

「なんで私は『辛い!生きづらい!』って叫んでるのに、幸せを作ってかき消そうとするの!?」

私は知らぬ知らぬの間に、昔の私が1番苦しんでいた「本当の感情を押し殺すこと」「周りが良い評価をする感情を演じること」をやっていることに、最近気づきました。

昔のブログにこんなことが書いてありました。

私は、不幸だった過去は、不幸だったって片付けていいと思います。
不幸だと思ってることを、不幸じゃないって片付ける方が苦しいんですよ。
大嫌いなピーマンを、お母さんが「あなたはピーマンが大好きだ」って暗示を唱えて口の中に入れようとすること一緒です。()

https://note.com/chiharu_shv2/n/n45ad672f20be

あ〜きっと、私は私自身の感情を押し殺すことが一番生きづらいんだ、恐怖心を覚えるんだって再認識しました。

だから、ネガティブはネガティブのままで持ってていい。望まれたとしても人工的なポジティブを演じなくてもいい。

と思いたいけど、それが認められないのではないかという恐怖と戦ってます。

③物思いに耽ける・1人でいるができない。

私の一番の至福は、1人でのんびりお布団にくるまったり、お風呂に入ったり、手を洗ったりしながら、物思いに耽けることです。

物思いって言うとぐるぐると不安なことを考えるイメージになりますが、
私にとっては変なこと、不思議なこと、突飛なことをぐるぐると考えて、ふふふっとする感じです。

例えば、
「頭のネジが飛んでるってよく言うけど、頭の中がロボットみたいな感じだったら、ネジが飛んだところで中のロボットが持ってきてくれるんじゃない?どんなロボットが頭の中にいるんだろう?ふふっ」
って感じです。笑

それが出来なかったのが今です。
え、そんな簡単なことも出来なくなってたの??
そうなんです。笑

自分がダメだな、本当に上手くいかない人間だなってネガキャンをはじめると、辺り一面が敵に囲まれてるような気持ちになるんです。

そんなことないのに。

しかも意地悪いことに、敵に囲まれてることを実感したくて、自分宛に届いた非難コメントを見漁ったりしてしまうんです。

見なきゃいいのに。笑

そして、人が怖くなって、大切な人や仲良くしたい人とも距離を置いてしまう。

ほんま何やってんねん。笑

この一端があって、人を感じることが著しく増えて、情報量も多くなってしまいました。

私は元々、内向的かつ沢山の人を感じると疲れてしまうHSPという気質があります。

昔、ほぼ日で東京に出て人に会いまくるということをした時期もありましたが、頻繁に体調も精神も悪くなっていました。笑

これを続けてると、私らしいにも、こうなりたい私にもマッチしないことで、私が大嫌いになっていきました。

結論:「私じゃない私」を嫌いになってきていることが原因。

私は常日頃から「私じゃない私になりた〜い」と言っているのですが、願望である「私じゃない私」と現在陥っている「私じゃない私」は全くの別物です。

おそらく願望の方の「私じゃない私」は、肩書きを持たない何者でもない、フラットな私なんです。

現在陥っている「私じゃない私」は、私が変わりたいと願って活動し始める前の「大嫌いな私」です。

もっと噛み砕きましょう。どの要素が大嫌いなのか。

周りや社会に望まれている形に矯正しなければ、生きていけないという強迫観念に陥っている部分。

散々、自分の気持ちに大事にと活動している私自身が、私の感情をいじめ抜いている事実とのギャップ。

誰にも嫌われたくないと思いながら、距離をとって人と関わらないようにする天邪鬼さ。

何より、私だけではなく、大切にしたいと思うものすら、大切にできてない現実。

これを考えると思うのです。
……私、私のこといじめすぎじゃない?

いじめすぎて、私が大切にしている軸すらもブレブレです。

だって、文章の前では素直に表現するという軸も無かったんだもん。
そりゃブログもTwitterも楽しくないよ。

……というわけで、この夏は「好きな私」に還ってみることを目標にしてみます。

この夏は「好きになれる私」に還ろう。

まず諸事情で強がっていますが、この「還る」という漢字が私は好きです。

この漢字には、元に戻るという意味があります。
人間誰しも産まれたては、まっさらで善し悪しも無く、フラットです。
善い人間も違う目線からすれば悪かもしれない、その逆も然り。だからフラットに私は惹かれます。

だから「還」という漢字が好き。

あぁ、話は脱線しましたが、
こういう感じで「ぷいっ」と強がったり頑固になったり天邪鬼になったりする自分をやめて、
きっと私自身が好きな「素直な私」になってみよう!ということです。

そして、好きなように休息しよう、やりたいように声に出そう。無理にポジティブにもネガティブにもせずに。

また、「こうしなければならない」じゃなく「私はこう思うからこうだよね」を大事にできるように。

この夏休みはリハビリです。

実はこのメンタルの絶不調を相談したりもしていて、
殆どの人に「やらなきゃいけないとばかり思うのは重症だから、休息しなさい。」と言われていました。

それを突っぱねて動き続けた跳ね返りが今来ていると思うので、
夏休みは休息とリハビリで「好きになれる自分」に還ります。

もちろん、やりたいことは継続して続けます。
私はわがままなので、やりたいことが出来ないと萎んでしまうんです。

テスト期間中インターンをお休みしたけど、すごく寂しかったし辛かったので、きっと全部をストップするのも良くない笑

ということです!

大学3年とは思えない夏休みであることをお許しください。笑

私にとっては、健康的な幸せをもって生きることが1番重要なので(๑ ́ᄇ`๑)

(昔みたいに顔文字を使ってみる💕)

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