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斎藤氏が説き続ける「3.5%の人達が本気で立ち上がれば」


抱いている疑問がいくつかあります。
その一つが、このところよく耳にする 「そもそも若者の母数が少ないんだから 投票しても意味がない」といった声に対するもの。

年齢によって意見がくっきり分かれるというわけでもないだろうし、何かムーブメントが起これば民意は大きく流れるし、何より そう言って手放したしっぺ返しは大きそうだけどいいの?って。
加えて群集心理に分け入る仕組みが強固になったこの社会では、売れ筋とか選挙とか似た感じで動いてる(みたいだ)から、願った方に流せるかもしれないし。

マルクス研究で知られる経済思想家の斎藤幸平氏も「3.5%の人達が本気で立ち上がれば社会は大きく変わる」という発信を続けているので、能天気と言われるかもしれないけど それだけで裏打ちされた気になるのです。


ドイツの経済学者で「資本論」の著者であるカール・マルクスのイラスト
「資本論」の著者である
ドイツの経済学者 カール・マルクス
…… のつもり


―当事者ではないと考える側が、少しでも問題意識を持ち始め、共に考える「共事者」となって解決への輪が広がっていく― そう語る斎藤氏。

そうであればと思うものの、何かに気付くって案外なさそうで
誰の目にも明らかになろうと、楽観的過ぎる・面倒くさがる・ただただ好転を願っている、自分は逃げ切れると思っている・人の出方を横目で見てる(※含重複箇所)等々 ”ゆでガエルバイアス”とでも総称すればいいのか、良くない方向でひたすら「どうぞ、どうぞ」してる感じだから社会はなかなか変わらないんでしょう。そう言いながら 映し鏡になるところはあるはずなので後ろめたいんですが。



酷暑のなか開催されている事に起因するオリンピックの問題を、スタジオでスーツにネクタイを締め 汗一つ流さずに報じる局の姿勢は変わらず、内容が頭上をかすめていきます。そこまで室温を下げなきゃいけない機器でも使ってるんでしょうかね。
オリンピック云々じゃなくても それは続いてきた事だし、安価で大量の食べ物を絡めた番組が溢れてる一方で温暖化や生活習慣病を問題視したアナウンスをするから違和感が募るし、運営的な事を考慮する気も失せます。


斎藤氏は(社会に対して)「絶望するにはまだ全然早い」とも言っているけど、沈むスピードをどれだけ緩められるかという状況にしか思えない私は、そこには頷けないんですよ。せめてそう言うしかないのかもしれないと思いつつ。

企業広報が未だに「地球にやさしい」とか お為ごかしの極みを言ってちゃ間に合わんだろって、それともただバカにしてんのかって溜息しか出なかったり、この不況下でSDGsにつながる行動への移行が多く見られるけど、意図しないものなら状況次第ですぐ戻りそうだし。


もっとも、氏の著者をちゃんと読み込めば、違ってくるのかもしれません。


斎藤幸平氏の著書「人新世の『資本論』」「SLOW DOWN」のイラスト
そもそもが違ったりもするけれど ともあれこの配色を目にして
安易に「ノルウェイの森」を想起するのは 私だけではあるまい


子供の頃は日に数冊の本を読み漁り、成人してからは書店で一度に10冊ほどの単行本を買い、図書館に足繫く通ってもいた自分でしたが、激務のため寝に帰るような生活となり、9年ほど前に描き始めてからは、目が辛いのと極度の睡眠不足で何も読めなくなってしまいました。


斎藤氏が「うちに閉じこもらずに」と言うように、何か活動をすべきだし、歩きたいし、読みたいし、観たいしと思うけど、エスカレーターに乗っている時、睡魔に襲われるくらいなんですよ。
なのに眠り続けられず 寝ても4時間くらいで起きちゃうのは、何より1作でも描いておかないとって思うせいに違いないから、打つ手がありません。



閑話休題。


成田さんと対談した頃の斎藤氏は、肩書に即した感があるヘアスタイルでしたが、その後イメージチェンジ。


ブロッコリーとフィルターをかけたブロッコリーのイラスト

こちらを描いてた頃 斎藤氏の髪のフォルムはややブロッコリーに近付き
少し長めになった今は遠く離れた もっともそんな風に感じているのは私だけに違いない


人新世という言葉を初めて目にした時
漠然と異世界なイメージを抱く


経済思想家の斎藤幸平氏と氏の著書とドイツの経済学者カール・マルクスのイラスト

― 斎藤幸平 ― by chiffon 2024



対談のひとつで、「少しずつ前進しているのに、渋滞しているから逆走しようとしている論理に思える」と成田さんは話していたけど、斎藤氏は「目的地へ向かうには別の方法にした方が良いよね」といった感じで話し続けてきたように、私は受け止めていました。

脱成長を一気に実現可能だなんて斎藤氏も思っていないだろうし、成田さんが「より根本的な変革が必要なのは、むしろ自分の方じゃないか」と言っているのは、そこに思えちゃうんですよ。


また成田さんが「生活基準が下がる」と 基準を決め付けて話すところに、根本的な違いがあるはずで、そこから「貨幣がない経済」に変えたとしても、何であれ人は理解を深めようと数値化し、整理するためにカテゴライズし、 それぞれの価値観でソートするでしょう。

続いて提唱する"個人の活動記録を価値化する"といった案については、― 問題が起きてたけど 中国がしてるよね ― と思ったら、斎藤氏も軽く触れていたし、― 指標を決める仕組みが変わらなければ、似た構造にしかならなさそう― と思ったら、成田さん自身も似た感じの補足を続けていて、近いところをぐるぐるしてるみたいに思えます。


さらに成田さんが論じる「アルゴリズムによる正当性」は、前記事の最後にも綴ったように、何にせよ捉え方は人それぞれな事に加えて変化するものだから、難しいというより無理なんじゃないかと。
そう言いだしたら何も進まなさそうではありますし、イギリスのブレグジットから学びを得て、考えてみること自体は大切だと思います。


私なんかが身の程知らずに書き連ねるのもなんですが、成田さんの考えもわからなくはないし、嫌いなわけでもないし、なんなら描かせてもらいたいお一人でもあるんですよ。
(斎藤氏、成田さん、としているのも何となくの感覚でしかありません)


はじめにひねくれた感じの言葉遊び、もとい、選びを意図的にしていた成田さんですが、対談を深追いすると性善説で成り立つ世界をピュアに提唱しているとさえ捉えられそうな内容で、いつもは淀みのない喋りに重複表現があったり、頻繁にペットボトルへ手を伸ばしたり(単に飲みすぎた翌日なのかもしれないけど)、いつも通りの落ち付かない部分もちょっとあって、私の目にはむしろ斎藤氏の方が冷静な受け答えをしているように映りましたし、何よりお二方が真摯に向き合っていると感じました。


にもかかわらず、視聴前に対立構造を匂わせる言葉をどこかで目にした事があったのは、満たされない何かを紛らわせたい人や固定観念で捉える人達が並べた事から仕立てられたようなので、そういった人達こそ脱資本により救われるかもしれないのになぁと思うのです。


善悪の捉え方も人によって違うけど、殆どの子供はそのグラデーションの中でも善側に寄った育てられ方をしたと考えれば、多かれ少なかれ心の底には「善」が根付いてそうで
だったらその「善」を無視してとる行動は、きっと自らも痛めるはず。


紛らわせるって自分に噓をつく事だったりしません?

嘘をつくと後が大変って聞くけど
自身に対してなら もっと厄介なんじゃないのかな。




理想と現実。


それらの擦り合わせを急がないと、後悔しきれない惨状を 早晩 皆が突きつけられるんでしょう。


その感覚さえないままの 強制終了を想像すれば尚のこと、傍観者としてではなく 共に3.5%を超えるしなやかな瞬間に立ち会いたいし、それは遠くない先にあると思いたいのです。


こちらを参照させていただきました。

―「希望はマルクスか、アルゴリズムか?」成田悠輔×斎藤幸平 初交錯の二人が〈22世紀の資本主義〉を語る ― 

https://www.youtube.com/watch?v=q7QMFk3nCzw





前回綴った「正解の無いクイズ」ですが、その直後の回で奇才さんがヒット!私が政治ネタ好きなのはさておき。


録画がダメになってしまったので同じ方かは不明ですが、奇才さんからは以前にも響く回答があったはずなので、またいつかと思っていたんです。(なのに覚えてないのが情けない…)

「みんなで考えよう」って深い。
誰も気付かないようなひらめきを、誰もが持っている。



3.5%を超えるヒントは、そこにあったりするかもねー



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