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大学生自転車日本一周旅九日目:弘前駅から秋田駅へ

本編

 この日の道のりは、弘前市から山を越えて大館市に行き、北秋田市を通って能代市の東から南下して秋田市を目指すというものだった。天気予報はもともとは雨だったけど、弘前のホステルで確認したときには曇りに変わっていて、何とか雨は降らずに逃げられそうだった。ここ三日間雨に打たれているわけだし。さらに、仙台を挟んでその前の山形でも雨に打たれいていた。そろそろ雨やんでくれよって思ってたから、「雨が降らないかも」というだけでも朗報でテンションアップ。

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 もちろん大館市までの山越えは楽ではなかったが、特別何かがあるわけでもなかった。昼頃にはある程度山道を抜けて、ちょうど道のそばにあったすき家で昼ご飯を食べていた。

 食べ終わりかけの時に、おばさんとおばあちゃんの二人組が入店して、うな重かなんかを頼もうとしているのを見て、やっぱりいろんな客層が来てるんだなーとかしょうもないことを考えていた。その流れのまま目線を動かし、ふと外を見てみると、あれ、土砂降り。降っても一時間に1㎜も行かない程度のはずなのに、明らかにその雨量ではない。しかも、まだ道のりの半分も行っていないのに。今日の行程自体にも暗雲が立ち込めてきた。

 ただし、店内にいるときに雨が強まったという点はラッキーだった。昨日散々びしょぬれになったわけだから、また同じ目にはあいたくない。少しすき家で時間をつぶして雨が弱まってきたところで(とはいえ普通に降ってはいる)、まずは北秋田市へ。レインスーツ四日連続の出勤。だんだん臭くなってきている。

 ここら辺は盆地ということもあって田舎だし、上り下りもあるから楽ではないが順調に通過していった。雨にももう慣れてきていた。北秋田市の中心部である鷹巣駅あたりの横は通らなかったから、横目に市街地を眺めながら漕いでいた。その市街地もだんだんと視界から外れていった頃、事件は起きた。

 それは雨の上り坂であった。連続するアップダウンに体力をコツコツと削られ、精神的にも疲れが出始めていた時に、奴は追い打ちをかけてきた。後輪から急に鳴った、ブシューという音。一瞬にして状況を把握した。最悪。それは、気持ちが一気にしぼんでいく様に効果音をつけているかのように強まったのち、小さくかすれていくように消えていった。奴の正体はどうやら鉄の細い棒らしい。自分が原因じゃないってことが無性にウザい。雨の田舎、上り下りの多いところでパンク。しかも目的地までは遠い。急いで近くの自転車屋をマップで検索したところ、先ほど横目に見た鷹巣に戻るか、自転車で順調にいって一時間半の距離にある二ツ井というところの個人店に行くか、二択だった。

 普通の人だったら冷静に鷹巣まで戻って修理をお願いするだろう。店もいくらかあったし、二ツ井よりは近い。だが、何のプライドか後戻りしたくないと思って、鷹巣には戻らずに二ツ井まで行くことを選択。福島の時も1時間半パンクした自転車で凌いだし。

 だが、ずっと上り下りが続く。ただでさえ楽ではない道なのに、後輪がパンクしている影響で進みが悪く、スリップにも気を付けなければいけないから、なかなか目的地に近付けない。また、パンク状態で漕ぐのは中のチューブも良心も痛む。結局そこそこ押し歩いた結果到着まで二時間ほどかかってしまった。商店街みたいなところで閉まっている店も多く、結構ひやひやしながら店の前までゆっくりと漕いでいったが、その店は営業してくれていた。ほっとした。空いてなかったらマジで詰んでた。

 店主に早速自転車を見せて修理を始めてもらった。パンク修理は、穴を特定するためにチューブを水に浸けて泡が噴出してきたらそこを塞ぐっていう方式で進んでいくみたいなんだけど、一か所塞いでも二か所塞いでもまだ泡が出てくるようだった。確かに、パンクした後にも無理に漕いでいたら、石を踏んだのか何度も「ボスッ」みたいな音がしていたから不思議でもない。で、せっかく二か所塞いでもらったのに、チューブごと交換する方が今後のリスクが低いということでチューブの交換をしてもらった。店主にはめちゃめちゃ労力をかけさせてしまった。

 請求されたのはチューブ交換の修理代だけだったから、非常にやさしくしてもらえたように思う。ちなみに、なかなかに訛りが強かったから所々何を言っているかわからなかった(修理費用も2回ぐらい聞き直した)し、感情も読み取りにくかった。地元の人が来てその店主のお母さんの話をしているときなんかは、何を言っているかちんぷんかんぷんだった。

 修理も終わって無事再出発できた。しかし、パンクのせいで押し歩いたのと修理の影響で時間は押していたから急ぐ必要があった。さらに、雨も止んでおらず、不運なパンクの仕方だったから内心イライラしており、ちょっと焦りながらまずは東能代あたりを目指した。特に障害となる場所はなく、国道を走りながら東能代駅の近くのT字路みたいなところまできた。

 そこに至るまでの道は右しか歩道がないところがあって、その名残で右の歩道を走り続けていた。だけど信号のところで、右側は渡り切るのに二つの横断歩道を越えなければいけず、しかも赤信号にぶち当たってしまった。一方で左側は横断歩道すらなかった。あの時は変に気持ちが急いていた。赤だったけど車も来ていなかったし急いで左側に移動しながら歩道に乗っかろうとした。だが、運悪く後ろから車が近づいてきていたから、急いで縁石と縁石の間を抜けて左の歩道に入ろうとした。何日か前にも似たような縁石と縁石の間をすり抜けていたから、今回も行けると踏んだのだ。

 いざ歩道に入ろうとした瞬間、「ガガガガガ」と音が鳴って、後輪が引っかかってしまい、バランスを崩して転倒。早く渡ろうとしていたせいでスピードも上がってしまっていて、思いっきりけがをしてしまった。車道じゃないだけ良かったけど、雨の中ひざと手のひらをすりむいた。雨だったからもれなく泥もついてきた。

 またも予定が遅れる事案を自ら発生させてしまった。すぐ使くのコンビニ(右側の横断歩道を渡った先にあるというのが何とも言えない)に自転車を停めて、ティッシュで拭いて絆創膏を張りまくった。まじで何しよるんやろ。誰がどう見ても焦っていた自分に問題がある。反省と改善を自分に誓った。急いだって大幅に所要時間が縮まるわけでもないし、死んだら笑えないし。焦る気持ちは分かるけどね。

 雨に打たれ、客観的に自分の今日を振り返りながら秋田市までの道のりを南下し始めた。雨のせいで白神山地のきれいな景色も全く見えないし、車からも見えなくなるから危ないし、横はずっと田んぼでつまらないし、雨で視界が悪くて危険な上に寒いし、何もいいことはなかったけど、それでも、必死に前を向いてこぎ続けた。何時間も。

 日は落ちて危険度が増し、疲労はピークをとっくに超し、雨は強まったようにも思えるし、早く今日の行程を終わりたい。だけど、ここで終わってしまったら、雨に打たれながら孤独な田舎道の真ん中で野宿をせざるを得なくなる。結局もう漕ぎたくないという自分自身を救ってあげるには、今必死にこぎ続けて目的地に到着するしかないということに気が付いた。漕ぎたくないけどそのためには漕がなきゃいけないというジレンマ。

 自転車に限らず、生きてたら逃げたくなることはあるし、もう苦しいことはしたくないとも思う。だけれども、その先に目標があるのであれば、結局苦しみぬかなければいけない。だからそこまでの道のりはつらいし困難であるけど、その先の景色は格別なんだろう、とかを思いながら漕ぐ足に一層の力を込めた。雨は当たり前のように強まったまま止みはしなかった。

 福島を彷彿とさせる街灯がほとんどない道に突入。まるで山登りかのように登り道が続き、逃げたかったし危なかった。雑草が生えまくっている場所もあって漕ぎにくかった。市街地に入るとそれまでと違って道が複雑になった。夜、道を知らないうえにあまり辺りがはっきりと見えずうまくは進めなかったが、何とか暗い中今日の宿に到着できた。20時を超えており、かつ雨の中だったから、秋田県庁どころか秋田駅にも行けなかったけど、転がり込むように旅館へ入った。

 前日に引き続き初めてシリーズということでビジネス旅館に宿泊した。部屋は和室で、トイレや洗面所は共用。昨日に比べたら人も少なかったからまだ気楽だった。自転車も旅館の前の庭みたいなところに留めさせてもらえたからよかった。

 この日は本当にしんどかった。自分が招いたミスもあったが、いくつもの困難が一日のうちに降りかかって、本当に苦しかった。だからこそ、気づけた部分も多かった。

 もし、人生が波のようであれば、そして今回がその波の底であるならば、これからは上がる一方。焦らず、じっくりと道を進めば必ず今日よりもいい旅になる。そう信じて、旅館のおかみさんの気遣いで当ててもらった、一人にしては広すぎる和室の床にポツンと敷かれた布団にくるまって、ゆっくりと目を閉じた。

ルート

 国道7号線で大舘市→北秋田市→東能代駅あたりまで行った。その後は秋田駅方面へ南下していった。おそらく、東能代を出た先で田舎道を通った後に国道7号に合流し、秋田市内で県道に乗り替えたと思う。

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