見出し画像

摂食障害から救ってくれた心療内科医

20代前半の時、摂食障害を発症し、かなり危険な状態になったことがあります。
食欲が全く出ず、ほとんど何も食べられない日が続き、一日につき1kgのペースで体重が減少していきました。
当時、専門学校に通っていたのですが、倒れそうなほどにフラフラで、完全に日常生活にも支障を来たしていました。

胃の病気に違いない。
そう確信して、私は病院で検査を受けました。
何の病気だろう? 痛みはないけれど、ここまで食欲が減退するなんて、きっと悪い病気に違いない…

ところが、想像に反して検査結果は異状なし。
医者からも、何の問題もないとのお墨付きをもらったのでした。

普通であれば安堵するところなのですが、私は「そんなわけはない」と絶望に近いほどの非常に大きなショックを受けていました。
病気ならば治すことができるけれど、そうでないのならば、どうやって食欲を戻せば良いのか。このまま痩せこけて、そう遠くない未来に命を落としてしまうに違いない…
それくらいに事態は深刻でした。

医者は、戸惑う私の様子を見て、
「精神的なことが原因ではないですか? 何か思い当たることはない?」と聞いてくれました。

精神的な問題…?

逡巡して「もしかしたら、あれかな?」という悩みがいくつか浮かんだものの、それが体にここまでの影響を及ぼしているとは到底思えませんでした。
結局、釈然としないまま、絶望感に苛まれながら、私はまた日常生活へと戻ったのですが…。

ある日のこと。
「あ、今日は何だか調子がいいかも。御飯が食べられそう」
そう思って、学校帰りに友人たちとファミレスへ行きました。
注文を終えて料理が来るのを待つ間、いつものように、とりとめのない話をしていたのですが、友人の一人がその場にいない別の子について、あれこれと悪口を言い始めました。

その時です。
ついさっきまであった食欲が、嘘のように一瞬で消え去り、全く何も食べたくない…という状態に変化しました。
頭を思い切りバットで殴られたくらいの衝撃で、瞬時に悟りました。

私はメンタルを病んでいる。

そうしてよくよく顧みてみると、当時の私は大きく二つのことに悩んでいました。
一つ目は、田舎で一人暮らしをしていた高齢の祖父が病気で倒れ、入院したこと。
二つ目は、前述の友人が他の子の陰口を叩く一方、その子を目の前にすると、ニコニコベタベタして振る舞う二面性に嫌悪感を感じていたことでした。

私は小学生時代から友人たちが喧嘩をすると、仲直りできるように奔走したり、場の空気が良くなるようにふざけたりと、ピエロのような役割を演じてきました。
そして、自分がいないところで他人から悪く言われることに対しても、非常に強い恐怖心を持っていたのだと思います。
そんな私にとって、その友人の行いは私が大切にしているポリシーを粉々に打ち砕くものでした。

とても些細で取るに足らないことに思えますよね。
私もまさかそれが摂食障害に繋がっているなんて夢にも思いませんでした。
でも、自覚してからというもの、その事実に猛烈に打ちのめされることになるのです。

頬がこけ、ガリガリに痩せて、このままだと本当に呼吸も止まってしまうのではないかという不安を抱くような状態になった私は、命の危機を感じ、助けを求めて母に電話をかけました。
ずっと疎んでいた母。たしか、アパートの住所もこの時初めて知らせたはずです。
詳細は話しませんでしたが、体調が悪いので来てほしいというような伝え方をしたかと思います。

母は料理を作ってくれました。まともな会話もせず、母が帰った後、一人でなんとかその料理を食べたように記憶しています。
「お母さん仕事もあって大変だから、これくらいのことで呼ばれると困るわ」と母は言い残して去っていきました。

私が死にそうな状況だとは知る由もないので仕方ないかもしれませんが、ああ、やっぱりね、と嫌悪感を覚えたものです。実際、ビルの管理人もしていたわけですから、本当にしんどかったのでしょうけれど。

ともかく、やっと食事をとれて身動きが取れるようになった私は、急いで心療内科を探し、受診しました。

初めての心療内科。
どんなところなのかわからず、普通なら緊張するのかもしれないのですが、体調が悪く切羽詰まっていた私はそれどころではありませんでした。
部屋に入ると、思ったより若い男性の医師が椅子に座っていました。

けして愛想が良いとは言えない態度で、医師は「どうしましたか」と尋ねました。私は説明するより前に、突然堰を切ったように涙が止まらなくなってしまい、しばらく話をすることができませんでした。

そこにあるティッシュを使ってください、と言う医師の様子は、やはりどう見ても不愛想でした。
けれど、それにショックを受けている心の余裕もその時はありませんでした。それどころではないくらい、自分の状態に困窮しきっていたのです。

何とか落ち着いて、鼻をすすりながらこれまでの経緯を説明すると、医師は「学校の友達とか、誰か相談できる人はいないの?」と問いました。
そもそも友人が悩みの原因ですし、その子と関りがある別の友人に相談することはできなかったので、私は「いません」と答えました。
田舎にいる高校時代の親しい友人にも、状況説明は困難で、問題を解決できるだけの助言をもらえるとは思えませんでした。
気のせいかもしれませんが、医師は少しあきれた顔をしたように見えました。

祖父が病気であることを説明する時も、話しながら涙が止まりませんでした。
幼い頃から沢山の愛情をくれた祖父母。高校の3年間は祖父と二人暮らしでしたし、その存在は特別以上のものでした。
祖父が私の心を支える一番大切な柱だということに、私はその時やっと気が付きました。

ひとしきり話を聞いた後、医師はいくつか質問をしました。
そして最後に「もし、おじいさんが亡くなってしまったら、どうなるの?」と聞きました。

重たく、かつ少々予想外の質問に対し、私はうーん…と診察室の壁を見つめながら、しばらく考えました。
ずっと嗚咽と涙と鼻水が止まらない状態で医師とのやり取りを続けていたのですが、その質問に対し回答する時、自分でも意外なことに、なんと笑顔を浮かべていました。

「う~ん…。おしまい?」

すると突然、医師の態度が変わり、少し慌てた様子になったのを感じました。
おそらく、追い詰められた状態で笑う、というのが危険な状態の信号なのかもしれませんね。

医師は、霊感があるという、とある患者さんの話を始めました。
要約すると、輪廻転生のお話でした。
亡くなった人は必ず生まれ変わる。そこで終わりではなく、次の人生があるのだ、ということをその患者さんは言うのだそうです。
だから、祖父も亡くなったとしてもそれで命が終わるわけではない。
生まれ変わって、次があるから悲しまなくて良いのだ、と彼は言うのでした。

はい、はい、と私は相槌を打ちながら話を聞いていました。
診察室を出る時には、心が幾分軽くなっていました。

そして、それから摂食障害の状態も改善され、学校が長期休みに入ったので田舎に帰り、病院で祖父の付き添いをしました。
号泣するような大変ショックな出来事もありましたが、最終的には持ち直し、元気になって退院してくれました。

また、もうひとつの心を病んだ原因である友人とは関わることを避け、なんとか危機的な精神状態から脱することができたのでした。

ちなみに…
そのころ、私は不運な目に会うことが多く、人生で最もメンタルを病んでいました。
辛くて酒を飲み、自傷行為をし、どうしたら死ねるかを真剣に考え、想像していました。
摂食障害は最近を除いては、その時一度きりでしたが…

自覚がなくてもメンタルが体に影響を及ぼすことは間違いなくあります。
もし何か体に異常を感じたら、内科での検査はもちろん、皆さんもメンタルに問題を抱えていないか、今一度自分の心の状態を顧みてみるのはいかがでしょうか。

外では雨音に加えて、雷が鳴り始めました。明日も出社です。。。
きちんと見直しもできていない状態ではありますが、乱文にて失礼いたします。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?