3.11 間もなく10年。私たちが学ぶべきこと。
2011年3月11日 14時46分
東北三陸沖でマグニチュード9.0という、地震大国・日本が経験したことのない規模の超巨大地震が発生した。
最大深度7という地震は、1995年阪神・淡路大震災、2004年新潟中越地震以来のもので、日本での観測史上3度目のもの。
阪神・淡路大震災の1,450倍ものエネルギーを放出したこの地震は、直接的な揺れの被害はもちろんのこと、海という巨大な水の塊にとてつもないエネルギーを転移させた。
大きく揺さぶられた海という水槽の水は、お互いにぶつかり混ざり合って、水槽の外へと逃げ出そうとする。
地震発生からおよそ30分後、三陸沖をはじめとした沿岸部各地に、10mにも迫る津波が押し寄せ、陸を飲み込む。
津波は一度だけでなく、何度も。
ここまででとどまっていれば、10年を迎える現在「復興」だけに留まらず、被災地は更なる発展を遂げていた。。
地震と津波による被害を受けた福島第一原子力発電所では、莫大なエネルギーを発生させる「核分裂」を活用した発電、いわゆる原子力発電を行っていた。
本来であれば核分裂によって生み出されたエネルギーは各家庭の電力に変換されるのだが、停電や送電線分断によって、移動手段を失った核分裂のエネルギーは原子力発電所内に蓄積されていく。
最大限、安全に配慮された原子力発電は、エネルギーの分断にも対応できるよう、核分裂の減少や停止をする機能を持つが、津波によってそれがまともに機能しなくなっていた。
核分裂は、制御しない限り止まらない。
生み出され続ける莫大なエネルギーは、原子力発電所の許容量を超え、文字通り「爆発」した。
こんにちは。
谷塚総合研究所の塚本です。
今日は、間もなく10年を迎えようとしている「3.11」。
東日本大震災の一連の悲劇から、私たち日本人が忘れてはならないこと。
「放射線」がわたしたちに与える影響。
わたしたちの身体というのは、細胞の分裂・増殖によってつくられていて、その繰り返しが、私たちを生きた健康の人間にしています。
細胞が増えるために「どのような細胞を作ればいいのか?」という、いわゆる設計図のようなものがあり、それを遺伝子と呼びます。
遺伝子は、わたしたち人間の身体を作る設計図であり、細胞分裂とともに遺伝子は細胞にコピーされ、私たちの身体の最も小さい部分の一つ一つが設計図を持ち、それぞれが設計図通りに細胞をコピーします。
もちろんまれに遺伝子のコピーは失敗するのですが、コピーに失敗した遺伝子・細胞というのは他の通常な細胞がカバーし、それはすぐに消えてなくなります。
いわゆる「放射線」というのは、とても小さく、高いエネルギーを持っていて、それが身体に当たることにより、間接的に遺伝子を傷付けるのです。
傷ついた遺伝子は、多くの場合そこで役目を終え、細胞分裂は停止します。
つまり、非常に多量の放射線を浴びた身体は、細胞が分裂することなく朽ち果て、私たちは文字通り死を迎えます。
浴びる放射線の量が少なければ、正常な細胞が異常な細胞のカバーをすることが出来るので、身体が死ぬことはありません。
ですが、細胞や遺伝子自体が傷ついていることに変わりはなく、私たちは普通に生活出来ていても、身体の内側では異常事態が発生している。
ごくまれに、一部が傷ついた遺伝子は、設計図が書き換わってしまい、細胞分裂のコントロールが効かなくなることがあります。
分裂する必要がないにも関わらず、制御されずに分裂を繰り返すのです。
その異常な細胞はどんどん増殖していき、私たちの正常な細胞さえも飲み込み、身体全体を支配していきます。
これが、いわゆる「がん」です。
放射線は、私たち人間の細胞・遺伝子を傷つけ、がんや、血液のがんである「白血病」のリスクを増大させる。
放射線とは、私たちの目に見える「可視光線」の外側の光であって、私たちは専用の機材なしには、放射線量を知ることが出来ません。
もちろん遺伝子が傷つくことによる設計図の書き換えは、異常な細胞分裂だけに限らず、様々な状態異常。
特に親から子へと遺伝子を受け継ぐ際に、重大な設計ミスが起こります。
放射線被ばくによる異常というのは、蓋を開けてみないと分からない部分が多く、恐怖を助長しますが、私たちは正しい知識を身につけて、やみくもに恐れるでもなく、きちんと放射線と向き合っていく必要があります。
地震における「防災」とは、ただただ命を守ること。
3.11の経験から学び、再び訪れるであろう大震災への備えを改良したのは、なにも私たち個人だけではありません。
政府や自治体、自衛隊から電力会社、通信会社やボランティア団体など、上げればきりのないほどの団体が3.11から学び、おおくの改善を施しています。
わたしたち個人に出来ることは、何も数週間分の食料を備蓄し、大型の発電機と燃料を蓄えることではありません。
まずは、いま、命を守ること。を学ぶ。
大きな揺れが起きた時、自宅で・職場で・学校で、最も安全な場所はどこですか?
揺れの発生と同時に、その場所が頭に浮かぶよう訓練する必要があります。
自分だけでなく、大切な家族とともに。
揺れが収まったのなら、何を持って何を置き、どこに避難しますか?
台風なんかと違い、地震はいつやってくるかを予知できません。
常にシュミレーションを頭に置いておく。
そのために私たちは、せめて節目となる日を無視せず直視し、震災から命を守るための「防災」を再確認する。
これが私たち個人に出来る「震災を忘れない」ということ。
私たちに出来る被災者への追悼の形は、祈るだけでなく「生きる」というものも含むことだと思います。
「忘れない」ことが私たちに求められる。
私は震災時も現在を関西に住んでいて、東日本大震災というものを「テレビの向こうの世界」のようにとらえています。
被災した人との温度差も大きなものだと思います。
ですが、地震の発生はいつどこで起こるか分からず明日は我が身という意識もあって、遠くで生きている私が被災者に出来ることは募金やボランティアにとどまらず「忘れずに教訓にすること」だと考えています。
「東日本大震災」というくくりに含まれる、地震・津波・原発事故から私たちは、10年という時を経てすでに多くを学んだことだと思います。
ですが、それを忘れてしまっては同じ過ちを繰り返すことになる。
3.11という日にせめて私たちは、自らの身を守る。大切な人のたいせつなものを守るために、思い出す必要があります。
浅はかな文章だと自覚はありますが、少しでも誰かの「生きる」ことに繋がると考え、ここで終わります。
最後までご覧いただき、ありがとうございました。