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【引き寄せの法則】最終日・バカ

この記事は、上記二つの統合記事です。

よければ先に、上記のマガジンをご覧ください。


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こんにちは。

谷塚総合研究所・預言者の塚本です。

今日は、引き寄せの法則とちょっと賢い奴シリーズの連載まとめ。


最も純粋なバカは、最も世界から愛されている。

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信仰のない科学は不完全だ。科学のない信仰は盲目だ。

信じること・理解すること。

これらふたつは、どちらが先とかいう話ではなく、どちらもそろってはじめて人生に活用することが出来る。

私たちは現代、多くのことを知ることが出来る世界に生きている。

様々な情報や過去、知識に瞬時にアクセスでき、そしてそれらと相反する情報でさえ同時に獲得できる。

相反する二つの情報を手に、私たちはいったい何を信じればいいのか?

神は存在する・存在しない。信じていれば救われる・救われない。

いったいどちらが正しいのか?
間違いを間違いと気づく洞察を手に入れることは可能なのか?

実はそれらは、どちらが正解であっても構わないのだ。
問われているのは、問題への回答ではなく、私たちが何を信じるのか?

科学の第一歩は、世界に疑問を持つこと。
なぜ、どうして、そうなるのか?

疑問なくして科学は成立しない。
仮説を立てて実証し、ときにはその仮説の根幹でさえ捨て去る。
科学者が愛しているのは、自論ではなく真実だ。
そして、偉大な科学者はもれなく、真実に愛された。


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およそ語られうることは明晰に語られうる。
そして、論じえないことについては、人は沈黙せねばならない。

ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン

私たちの思考は、世界のあらゆる部分まで網羅することが出来るのかもしれない。
でもそれを、経験しないうちは信じることが出来ない。

どれだけ深く思考を凝らしても、結局最後は「信じるかどうか?」という問題に行きつく。
信じることなくして、前には進めないのだ。

知性とは、方法や手段に対して鋭い鑑識眼を持っているが、
目的や価値に対して盲目である。

私たちの身の回りには、目的地にたどり着くまでに使うことが出来る道具が、おおく存在する。
だが、目的地は自分自身で選択しなければならない。

誰かの決めた目的地というのは、誰かの人生のものであって自分のものではない。
オリジナルでなくても構わない。
自分がこれだと思える目的地を選択する。

どこに向かうかを決定したのなら、私たちは沈黙し前に進まなければならない。
立ち止まって考えていても、時間は待ってくれないのだから。

人生には
たった二つの生き方があるだけだ。

一つは奇跡などないかのような生き方、
もうひとつは、まるですべてが、
奇跡であるかのような生き方だ。

私たちは自らの能力を過信しすぎてはいないだろうか?

立ち止まって自ら考え想像し、目的地までのルートを詳細に思案する。

それが役に立つこともあるのだが、実際は経験こそが絶対的に正しいものであり、私たちが存在する現実世界というのは、私たちの想像を超えて実際的であり、より現実的だ。

そもそも、この世界の一部として生を受けているわたしたちが、この世界そのものより賢い。と考えること自体がおかしくはないか?

私たちはもっと、現実世界から学ばなくてはならない。
そのために経験は欠かせない。
そして何より、この世界を信頼し、ある程度委ねる度量が必要なのだ。

この世界を信頼せずに、自らの思考だけで人生を乗り切ろうとするのは、とても無理な話だ。
私たちは、この世界の一部なのだから。
賢いものは、そのことを理解しなければならない。
論じえないことについては、沈黙し行動する勇気が必要だ。

世界は行動を通して、経験として私たちに教えてくれる。
この世界は、友人のように優しく、私たちを愛してくれているのだ。
まるで全てか奇跡であるかのように生きるのであれば、世界は私たちを見守っている。
経験が、世界から私たちへのメッセージだ。

この世界を信頼し、まるで赤子のように委ねることが出来るのであれば、世界は私たちにすべてを与えてくれる。
あらゆる宗教はそのことを伝え、この世界が私たちを愛し、見守っていることを伝えている。
それらが心に響くのは、それが真実だからだ。


「思う存分、考えたり疑って構わない。
だが、それに飽きたら進んでみよう。」

引き寄せの法則の究極は、世界を愛し信頼することであり、
私たちは、考えることをやめ、バカになって世界に自らを委ね、進まなくてはならない。