見出し画像

【SNS】「発信する」を考察する。

こんにちは。

谷塚総合研究所、ソーシャル部の塚本です。

今回は、SNS初心者の私が、SNS初心者だからこそ考えるSNS

「発信する」ことについて。

情報を発信するのって、怖くないですか?

情報を発信するにあたり、自分が得た情報や知識を「自分だけが理解でき利用できるもの」から、「多くの人が理解でき利用できるもの」に変換するわけです。
そのためには、自分が利用していた情報を分解整理する必要があります。
それには、自身の情報を様々な角度から検証・実証・比較する必要があります。

私の好きなガジェット、例えばスマホのレビューであれば、スマホの性能を体感で比較する際、ハイスペックスマホからローエンドスマホまで、様々な種類のスマホをより多く利用していることによってはじめて、「このスマホのスペックはこのくらいで、価格を考えるとお買い得である」とか、「カメラ性能はこの程度で、他のメーカーと比較するとあまり良くない」とかレビューが出来るわけです。
今まで3万円のスマホしか使ってこなかった人が、10万円のスマホを使うと当然「とても性能が良い」わけです。
ですが、10万円程度のスマホのなかで、どの程度の性能で強みはどこか?と答えることは出来ません。
もちろん、知らないからです。
逆もしかりで、今まで最新版のiPhoneを使ってきた人が、格安スマホを使うと、「性能が悪い」となるのです。


他にも様々な問題を自分に投げかけます。

「私にとって有益な情報なのだけれど、一体なぜ、この情報は私にとって有益だったのか?」
「私がこの情報しか知らないだけで、他の情報発信者はさらに有益な情報を持っているのではないか?」
「私の持っているこの情報は、他の情報発信者から得たものであって、その情報を私が発信することに意味はあるのか?」
「発信したい情報に対して、私より良く知っている人、私より上手に説明できる人、私より面白おかしく発信できる人、私より影響力を持って説明できる人、私より多くの検証を行う時間やお金のある人、こんな人が多くいるのに、私が情報を発信することに意味があるのか?」

「私もあの人みたいに情報発信したいな。」という考えが頭をよぎることも数多くありましたが、いつもこんな風に考え、私が情報発信した際の受け取る側のメリットを感じませんでした。
そして、その考えは今もまだ残っています。
こんなの、私が発信する意味ないじゃん。と。
私がいつも見ている情報発信者のように、私も情報発信が出来るか?
私自身の答えはノーです。

ですが、私自身が楽しみにしてみている様々な情報発信者を観察してみると、私の考えが少し違っていたのかもしれないと思うようになりました。

「知らない」ということを知れば知るほど、自分の無知に気づき
最終的には何もできなくなる。

情報発信についての私の間違い


私にとって、情報発信とは「真実を発信すること」だと思っていました。

スマホの例だと、一つのスマホをレビューしようとするなら、他の多くのスマホに対して、知識と経験がなくてはいけません。
それも、あらゆるメーカー、様々な価格帯・年代、ソフトウェアの更新等によってもユーザー体験は大きく変わります。
それらを比較検証できるのは、そのジャンルのプロの人か、熱中して時間とお金を惜しみなく投下できる人だけだと。

「間口の広いSNSだが、有意義な情報発信が出来るのは限られた人なのでは?」
と考え、SNSでの情報を発信するというのは、自分には縁のないことだ。と。
ですが、よく観察してみると、それは違ったものだと最近は思うようになりました。

私はYouTubeをよく見ていますが、私が見ているYouTubeの動画配信者の多くは、動画編集者でもあります。
動画編集をする際、大半はデスクトップパソコンを使用します。
私は、デスクトップパソコンに対して多少の知識があります。
よくYouTubeなんかでは、「私の配信環境」なんかの動画がありますよね?
その中で、「私の動画編集マシンは、こんなパソコンです。」みたいなのを見ると、

「あれ、なぜそのパーツを選んだ?そこにお金をかけるのなら、こっちのパーツをワンランク上のものにすれば良かったんじゃないの?」とか。

「動画編集に必要なスペックはこの程度です。」とか言ってるのを見ると、

「そんなの趣味で動画編集したい人には高くて買えないよ。この程度まで性能を落として、こっちのパーツを良くしたほうが日常使いにも幅広く使えるのに。」とか。

いくらハイスペックだからと言って、こんなの買えないわけで。

これはたまたま私が、パソコンに対しての興味と知識があるからひとりでツッコミを入れているだけであって、動画配信をしている人みんながパソコンに興味があり深い知識があるわけではないです。
動画配信という実用上仕方なくパソコンを使っている人も多くいるでしょう。
ただ、私がツッコミを入れたくなるパソコン環境を解説している動画を見ても、私自身、不快感はありません。

おかしいじゃないですか。私から見ると間違った情報を発信しているのにですよ。
そこで、「もしかすると、情報を発信するには、全ての面で様々な角度から比較検証する必要はないのかもしれない。」と感じ始めました。

例えば、「自作パソコンのプロが教える、最もコスパのいい動画配信パソコン構成」とかって動画で、アンバランスな構成のパソコンを紹介していたのなら、私のツッコミも冷酷なものになっていると思います。
なぜ、いつもダラダラ見ている動画配信者のパソコン紹介なら、小さな一人ツッコミで済むのに、「自作パソコンのプロ」が同じような構成を紹介すると冷酷になるのか?

ここでハッと、

情報を発信しているのが誰か?

という点も、視聴者にとって重要なのだと思いました。

誰が、その情報を発信しているか?

情報は、比較検証を重ねた上で、正しいもののほうがいいに決まっています。
ただ、その情報の発信者が誰なのかによって、情報の真偽を問わず、視聴者はその発信を楽しみながら見ることが出来るのだなと。

スマホのレビューを例に出すと、
「格安スマホしか使ってこなかった私が、初めて新型iPhoneを使ってみた」
という発信なら、

「やばいやばい。何なんだ、このカメラ性能は。。」
「ネットサーフィンって、こんなにも快適だったのか!」
「ゲームがサクサク動作している。今までの格安スマホより軽くて小さいのになぜなんだ?」

みたいな発信でも、見ている側からすると楽しい記事であり、同じように格安スマホばかりを使っている視聴者であれば、そのレビューは有意義なものになります。
むしろ、「一世代前のiPhoneと、最新のiPhoneとの違い」とか説明されるよりしっくりきます。
「3万円のスマホから最新のiPhoneに乗り換えるとヤバいんだな。。」といった感じに。

それなら、私にだって、私の情報発信が出来るのではないか?
私が誰であるか理解していれば、その私から情報が発信出来るんじゃないか?

自分の立ち位置を明確に

数日前、スマートウォッチのレビューをしたのですが、スマートウォッチ自体、私は初めて使用しました。
なぜなら使い道が分からなかったから。
なので「使い道の分からないスマートウォッチを、使い道の分からないまま使ってみた」というような記事にしました。


今読んてもらっているこの記事にせよ、「SNS初心者が、SNSで情報発信する前に考えていたことと、実際にSNSで情報発信し始めたきっかけ。」の説明です。
SNS初心者の私が、SNSについて語っているなんて、以前の私なら考えもしなかったのですが、「SNS初心者である私」が記事を書くからこそ、その記事は有用になるのではないか?と。

SNSのベテランが「ブログとnoteの違い、徹底解説」という記事を掲載していても、SNS初心者の私にとっては、おそらく何を言ってるのかわかりません。
なので、自分が「SNS初心者」である。と理解したのであれば、思ったことや気づいたことを、SNS初心者が記事にすればいい。と思っています。

そのように考えると、私を含めすべての人には、記事にするジャンルや内容に対して、自分の立ち位置があると思います。
私がパソコンについて記事にするとき、それは「パソコンオタクが書く」記事であり、私がSNSについて記事にするとき、それは「SNS初心者が書く」記事です。
それなら、自分自身が日常で関わるものは、大抵の場合、記事になるのではないかと思います。

私が何者であるのか?それに気づき、
立ち位置を表明しながら記事を書く。

そうすれば、初心者であろうとベテランであろうと、同じように情報を発信出来るのだと。

もしかすると間違っているのかもしれませんが、初心者である私が気づき感じたことを記事にしました。

最後までご覧いただき、ありがとうございました。

スキやフォローしていただけると嬉しいです。