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外と通じる五感

バガヴァッド・ギーター
第12章 第5節
”知覚を超え、あまねく遍満し
捉えがたく、不変不動である。
この未顕現の様相を完全に崇拝するものは
書簡かくを制御し、誰に対しても公平で
万人の幸福のために活動し
最後には私のもとに来る。”

バガヴァッド・ギーター あるがままの詩/クリシュナ意識国際協会創設者 A.C.バクティヴェーダンタ・スワミ・プラブパーダ著


至高主クリシュナを直積的に崇拝しなくても、
間接的な方法で同じ目的に知達しようと挑んでいる人も、最終的にはシュリー・クリシュナーという同じゴールに行き着く。
「何度も生まれ変わったのち、ヴァースデーヴァこそ全てなりと知った賢者は、私に保護を求めるようになる」いくつもの誕生を繰り返して、知識と学びを積み重ねる。そして、これが満ちた時に主クリシュナに身を委ね、到達する。
これには、感覚を制御し、誰にでも仕えて、命ある万物の幸せのために生きなくてはならない。これには、心も体も苦痛を伴うことも少なくない。
ここの魂の中に宿る思考の魂を知覚するためには、見る、聞く、味わう、動くなどの感覚的行為を止めなくてはならない。物質的なものに覆われたものではなく、魂を見るからである。


自分の中に、全てが存在する
ということが、この理解になる気もする。
"一般の人には非常に難しい。"とあるけれど、人間として生きる今
五感から離れるというのは、必要不可欠に等しい気もしてしまう。
だからこそ、この存在自体を含め、五感を通して得るもの全てが尊く、自分の中の一部であるような気がしている。
そうでないと、この教えをいただくこともできなかったし
これを表現するというのも、難しい気もする。
連日の教えの通り、全てはクリシュナに通じている気がするのです。



【バガヴァッド・ギーター9日目-21/11/10】

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