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世界一やさしい自己肯定感のはなし


「自分が好き!」でも「とてつもなく嫌い…」と思う。

「もう一度生まれ変わるなら私がいい」けれど「今すぐ消えてなくなりたい」瞬間もくる。

「愛嬌はある方だし自分の顔も好き」だけど「誰かに見られるのがひどく怖い」日もある。


どういうこと?と思われるかもしれないが、自己肯定感って有るとか無いとか、高いとか低いとかじゃなくって。


こんな自分も許してあげよう、と思えるかどうかな気がする。


私はこの〝許す〟というのがかなりヘタクソ。


「なんでちゃんと出来ないのー!!」と自分を責めてしまうのも、(失敗は許されない…)という謎のプレッシャーも、結果ダメで(もう終わりだ…)と思う完璧主義みたいなのも、自分を許せないから湧き上がる気持ちだと思う。


もちろん反省して直そう!と思う気持ちは必要だけど、それと自分を責めてしまうのはまた意味が違ってくる。責めるのは傷つけることに繋がってしまう。


それに、もし自分以外の誰かが私と同じような失敗をして、同じように思い詰めていたとしたら(そんなに自分を責めなくていいのに…全然気にしなくて大丈夫だよ)と思う。


じゃあなぜ、自分を許すのは難しいのだろう?

残念ながらその理由を特定するのもまた、難しい。性格や今までの経験、受けた言葉などがぐるぐる絡まりあって現在の自分になっている。

人は良くも悪くも忘れる生き物なので、この絡まりを今から一つずつほどいて調べて解決して…なんてことは出来ないし、原因はコレ!だから解決策はコレ!お薬出しときますね数か月でよくなるでしょう、お大事に~ともならない。


というか、もしそれが出来たら私は今頃無敵の人になっているはず。笑えるほどなってない。


絡まりの中には普段は思い出せないような記憶が隠れていて、嫌なことがあった時にその断片的な感情や言葉がぬっと姿を現し、ご丁寧に塩を塗っていく。

なかなかに厄介なヤツ。


でもそれって、そう、お気付きでしょうか。
これから生きていく中で出会うものや人、言葉も、どんどんぐるぐる絡まって自分になっていくってこと。


これまでの絡まりは、きっとほどけない。

ならば、更にぐるぐる巻きにしてやればいい。


私がお手本にしている人で、自分が大好き!という次女から言われた言葉を借りると〝過去の記憶は、新しい記憶で更新する〟ほかない。


言われてみれば、高校生の時にタマゴサラダロールパンにどハマりして太ったことは覚えてるけど、その時の自分がどんな思考だったかまではあまり思い出せない。

購買のパンって美味しいよね。

それはいいとして。


例えば、昔の友人と数年ぶりに再会したら全く話が合わなくなっていたというのはよく聞く。それは自分がどんな環境に身を置いているかで、考え方が変わっていくからだ。


大人になると責任を手に入れ、自分の好きな場所を探して選んで〝いいな〟と感じた方に進んでいけるようになる。

この選択と決定は大小問わず一日およそ3万回にも上り、私たちはそれらの多くを無意識で決断しているらしい。


じゃあ試しにちょっとだけ、普段より無意識のアンテナを意識してのばしてみたら。

すれ違うこどもの会話
たまたま手に取った本の一説
お菓子の箱のウラのメッセージ
好きな人のおかしな口癖
SNSで見かけた言葉


なんだっていい。
いつも通り転がっているそれらに、おや?と思えるたのしい発見とか、こわくて受けとる勇気がもてなかった愛情に気づくはず。


〝自分が嫌で仕方ない〟
〝どうしたらいいかも分からない〟

と、頭の中で一生懸命考え続けている頑張り屋さんに伝えたい。


ほんの少し、少しでいい。
自分から目線をあげて辺りを見回して、そこにあるものや人、大好きなこととかにふれてみてほしい。

そんなのない、って人はこれから探せるし、たくさんじゃなくていい。急にいっぱいは抱えきれないし、思い出せないだけのこともきっとある。


そうして、いろんな好き!とか素敵!とか大切だな〜と思えるものとか、実はいっぱい転がってた、誰かからの愛情とかでぐるぐるになる度に、


「こんなわたしも、捨てたもんじゃないな」


と、きっと少しずつ自分を許していける。


時間はすごくかかるだろうけど、私はそうやって歳をとっていけるのなら、それはそれで嬉しいしこれからが楽しみになってくる。


「それも含めてあなただよ~!」って言ってくれる人が居てくれるということ、大好きだと胸をはって言えることがあるということを、ずっと覚えていたい。


なにより、誰かにとってのあなたもそんな存在だという事実も、どうか覚えていてほしい。

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