生きる理由は死ぬ覚悟をしてから2時間で分かった
「あ、なんか、このまま死んでもいいな」
突然、そういう感覚がふってきた。
よく晴れた気持ちのいい日の昼下がり、さっき起きたばかりで、まだ覚めきらない頭のままぼーっとソファに転がっていたら、急に。
確かに生理前でやる気は何にも起きないし、ここ数日いろいろあって泣いたりもしてたけど、それにしたって自然なかたちで、いやな感じひとつなく、むしろ「いますごく心地よくて、とっても幸せだなあ」と思ったほど。
いつもなら、とてつもなく落ち込んで消えてしまいたい…と思っても「まだ死にたくない、死ぬのはこわい。やりたいことも会いたい人もたくさんなのに!」と、おもいきり泣いて、気持ちがひとしきり波立ったら、しだいに落ち着くのだけど、今日はちがった。
なんだか、ガラスのように透明で、とてつもなく澄んだ気持ち。
「おもえば、とっても楽しくてしあわせな30年だった。人にも恵まれ、楽しいこともたくさんして、抱えきれない愛情をもらって、生まれてこれて本当によかった。生まれ変わってもまた、わたしがいいな。」
やさしい記憶を反芻させながら、このまま目をとじたらわたしはもう起きないかもしれないから、家族や友達に連絡でもいれとこうかな、とかいやに冷静に考えたりした。
でも、急にそんなことを言うのも変だし、最後に交わした言葉も成仏できないようなものじゃなく、いつも通りだったし、大丈夫か。と、こぼす。
本当に驚くほど潔い気持ちだった。
首を切られる覚悟の決まった武将とかが最期に笑っていることがあるのは、こういう気分だったのかな?とか、のんきに考えたりした。
この心地よいまま、ソファで眠りにつこうかとも思ったけど、恋人のいるベッドに向かった。最期は、誰よりも短い時間のなかで、本当に信じられないくらいの愛情をくれた、彼の隣で眠ろうと思った。
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