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人生、山あり谷ありハッピーあり


しなやかで、かろやかで、心にすっと沁みていく、寒い冬の朝にのむスープみたいな、そんなあったかい人になりたいと願う。でも、実際はなかなかそうもいかない。


3月はとにかく辛かった。何が?と聞かれたら困ってしまうくらいのことなんだけれど、理由もわからず気持ちが下向きになってしまう日が多く、不安に煽られて恋人のこともたくさん困らせてしまった。誰のせいでもないけどどこかに吐き出さないとやってられなくて、自分勝手だと分かりながらもやめられない。そうして後からまた後悔して、を繰り返していたように思う。

とにかく不安の正体をさがした。
不平不満ではない。逆に恵まれすぎているから?そんなバカな話があるかと思ったけど、どうやら事態は、もう少し内向きなようだった。


わたしが今この瞬間、誰の役にも立っていないという感覚。この世界にわたしがいる理由が分からないのが怖い。


贅沢すぎるが、主婦は向いてないのかもな…と思う。恋人にはいつも助かってる、ありがとうという言葉をもらっているにも関わらず、それでもこんな風に考えてしまう理由は何か。たぶん、わたし自身がそのギャップを満足に埋められていないからだろう。助かってる、と言ってもらえるほどのことを何もしていないという後ろめたさと、申し訳なさ。わたしが家でぬくぬくと家事をしている間、彼は大変な思いをして働いている。そんな自分を許せていない。


これは困った、どうしたもんか。このまま負の感情をばら撒き続けるわけにはいかないと思い悩むも、行き詰まる。経験上、こういう時に一人で悩んでもどんどん悪い方にしか進まないことを知っているので、敢えて恋人に聞いてみることにした。


「あの、たいへん勝手な話でごめんなんだけど。」

「はい。」

「なんだか、毎日あなただけが大変な思いをしているようで、わたしあまり役に立ててないって申し訳なくなっちゃって、それで気持ちが落ちてるのかもしれない。」

「そうなの?」

「うん、仕事も始めるけど、それでもその差は埋まらないだろうし、頑張りが足りていないというか頑張れていないというか、わたしは誰の役に立ってるんだろうって考えちゃって、」

「なんでそう思うの?」

「なんで…なんでだろう…」


なんでと言われても、わたしが不甲斐ないから、という感想しか湧かない。事実そうだと思ってるし。


「俺はにほが役に立つとか立たないとか、そんなのはどうでもよくて、もっと別の次元で考えてるんだけど。」

「別?」

「うん。俺が帰る家があること、一緒に暮らしたいと思う人がいること、その人がにこにこ健康で暮らしてくれていること、だから頑張れる。にほが存在する理由はそれではいけないの?」

「とてもとても、嬉しい、けど…それはあなたに何のメリットもないような…」

「にほは、メリットデメリットで暮らしてるの?」


違う、そんなわけない。
メリットデメリットっで生活が左右されているのであれば、わたしたちはとっくに終わっている。そういう組み合わせだ。でもそんなつもりはさらさらない。


「違うね、そうじゃなかった。ごめん。」

「そうでしょう?一緒にいる理由をたくさん並べることに、大した意味はないよ。そうじゃなくて、お互いありがとうって、宝物だと思って暮らせていれば、それ以上必要なものはないんじゃないの。」


この人には本当に、敵わないと心底思う。
わたしがもし彼から同じ相談を持ちかけられていたら、彼が同じように悩んでいたら、こんな言葉をかけられだろうか。それだけ、自分本位な考えだったなと大反省。それと同時に心がどんどん軽くなる、彼こそが心のあったかスープ師匠だった。


こうして、わたしの気持ちはまた少しアップデートされた。今はやれることをやって、またこんがらがったら、紙に書き出したりして整理して。まずは気持ちの波の原因を見つめることから始めよう。そう思ったら急に心も軽くなって、さっきまでのどんより…がハッピー!に変わった。こんな時は自分が単純な人間でよかったなと思う。ハッピー!


それと、〝こうでなければならない〟という考えもゆるめようと思った。部屋はいつも綺麗でなければならない、毎日栄養バランスがいい食事でなければならない、笑顔でいなければならない…ならない、ならない、ならないを積み重ねた先にあるものが理想の自分だったとして、その理想は誰のためのものだろうか。

ベターではなくベストを求めすぎると、自分の決めたことに頭を支配されてしまう。あくまで決まりは自分が楽しく暮らすための指標であって、周りに強制したり、自分を追い込むものではない。本来探していた楽しい暮らしが窮屈にならないように、自分たちがほがらかに暮らせるようにという根っこを、頭の真ん中に置いておく。


毎度、忘れては思い出しを繰り返すとやっぱり嫌にもなる。けどその昔、とても尊敬していた人が同じことを何度もわたしに言い聞かせてくれたのは、それだけ大切なのにそれでも人は忘れてしまうことを分かっていたからなんだろうなと、今は分かる。人はそういう生き物だから、その度に暮らしもわたしに言い聞かせてくれている。なんだかそう思うとちょっと情けないけど、世界は思っているよりずっと優しいのかもしれない。


だから忘れてしまっても大丈夫、間違えてしまっても大丈夫。探していればきっとまた、暮らしが思い出させてくれる。そうしていつか、誰かにとってのあったかいスープになれる日を、懲りずに夢みて過ごす。


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