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罪を重ねて詰みとなる復讐劇の結末に待ち受けるものは、愛だった。『将棋図巧・煙詰-そして誰もいなくなった-』観劇の記録

『ラチカン』で東雲あずささんが共演していたキャストの皆さんは、終演後も友好を保っており、Twitter上でリプを送り合っているのが実に微笑ましかった

彼女にとって大切な人は、僕も大切にしたい

共演していた皆さんへ感謝を伝えることと、新しいステージを見たい興味が一度に叶えられる機会として、心待ちにしていた『将棋図巧・煙詰-そして誰もいなくなった-』

僕は4月9日、金班→銀班の順で観劇するスケジュールを考えていた

当初1日に留め置くつもりだったのだが、感謝の意を形にしたいキャストさんが多数いることから、4月16日の金班、大千穐楽も予約を取ってしまった

そして迎えた9日、上野ストアハウス

R5.4.9 12時過ぎ 上野ストアハウス

主人公である玉将が、中学時代に受けたいじめの復讐劇を、詰将棋の煙詰とリンクさせた物語

『ラチカン』から予測できていたことではあるのだが、今回も「生」と「死」を扱った太田氏の脚本に心を掴まれ、言葉が溢れてくる感覚に陥った

結局、16日の銀班も追加、両班の千穐楽を見届けることにした

舞台セット

僕は将棋に詳しくないので他の方に譲るが、物語の進行に合わせて駒を動かし、時に台詞があり芝居にも関わるアンサンブルのメンバーは、裏の主人公なのかもしれない

銀班では、既に存じ上げている『ラチカン』高松優奈さん、浅香のんさん、『さかいめ』得田澪花さんの3名ともアンサンブルだ

最も体力を使う役目だが、彼らがいなければ成立し得ないステージだ

ストーリーに関わるキャストさんは皆初めて拝見したが、演劇の楽しみとしては、初見だからこそフラットに見ることができるということもあると思っている

金班と比較すると、全体的に、華があるというか、力強いというか

中学生から大人になる間に、それぞれの抱えている闇が増幅されてより陰湿になった印象だ

千穐楽ではベートーベンの第9のマイナーアレンジが流れる、この物語最大の狂気を感じるシーンで涙腺が緩んでしまった

金班では、『ラチカン』橘明花さん、真田林佳さん、真白ゆうみさん、志水もえのさん、横山乃々香さん、『さかいめ』松本麻梨香さんの6名は存じ上げている

知っているが故に先入観を持って見てしまいがちなのだが、これまでと異なる役柄をどう表現するかが楽しみであり、できる限りフラットに捉えようとは努めたつもりだ

特に真田林佳さんの看寿は、僕の知る限りのシェイクスピア(堂本光一『Endless SHOCK』劇中劇『リチャード3世』)を彷彿とさせる狂気を感じ、癖になりそうだった

真田林佳さん 金班 看寿

銀班と比較すると、登場人物は中学時代の幼さをそのまま引きずって生きてきたような印象を受けた

ここからは僕なりの解釈と、ストーリーに関わる感想とを述べる

いじめの内容や登場人物の口を突いて出る言葉は陰湿で、精神を蝕まれてもおかしくはない気がした

各キャラクターの印象を簡潔に述べておく

玉将……既に精神崩壊した彼女を支えるものは、怨念のみ

飛車……冷酷無比、感情より理論派

歩兵……最も幼く自分の意志が確立していない

金将……優等生だがロッカーや内申点の心配をするあたり、事なかれ主義

桂馬……別人格を演じ続けるうちに本当の自分を見失った

香車……群れるより孤独を好み、我が道を行くタイプ

と金……感情直結型で飛車より強烈な陰湿さを持つ

角行……唯一の真人間だが異常が尋常と化している中では逆に異常に映る存在

玉将はまず、いじめの主犯格であった飛車を手に掛ける

その方法は頸動脈を切りつけるというものだ

「二度と後戻りできない、罪を重ねる詰みへの序章」復讐劇はこうして始まる

この殺害方法について、僕は違和感を抱いた点がある

何故かと言えば、玉将が直接手を下した相手では飛車以外には用いられることはなく、最期、追い詰められた自分自身に対して用いることになったからだ

ここに僕は複雑な人間模様と入り乱れた感情を見出だした

玉将が自決した後に残された角行は、玉将に倣って頸動脈を切り自決するのだが、角行は中学時代から見ているだけで何もできず、玉将を救えなかった贖罪という意志からの行為だと説明がつく

一方で玉将が、手に掛けた飛車と同じ方法で自らを葬るのは、不可解であり説明がつかないように思われる

ただ、玉将は飛車を手に掛けた後、自作自演のボウガンで自らの犯行を隠蔽する件で、金将を助けるような流れになったことから「ありがとう」と感謝される

殺意が揺らいだことを看寿からも「皆と仲良くなる別の未来を期待しているのではないか?」と詰られる

また、終盤と金が果てた後で「これでよかったのかな…」と角行に対して漏らしてもいる

玉将は遂に角行を自らの手で殺めることはしなかった

玉将は、やはり飛車や皆と仲良くなる未来をずっと望んでいたのかもしれない

しかし自分を解放するための他の手段は、中学時代に失われていたのだ

「後戻りできない」ところまで来てしまった、犯した罪への贖罪と、「本当は仲良くなりたかった」飛車への愛と追憶の表現が、同じ方法での自決だったのだろう

『ラチカン』も救いのない物語であったという印象だが、「死」を「解放」と考えれば、玉将の魂は浮かばれるのだろうか

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