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chen_kana
2021年8月31日 20:57
お盆だからという理由で帰省するのは初めてだった。今までTV業界にいたため、なかなか決まった期間に休みが取りづらかったのもあるが、自分の中で「お盆」というイベントがそれほど重要でなかったことが一番の原因だと思う。令和元年の12月24日、お盆という期間が一気に身近になった。そのため、今年は夏季休暇を取得し、実家に帰って一泊した。コロナウイルスが猛威を奮っているので高齢の祖父母が住む家に戻るのは心配
2019年12月29日 22:58
12月29日 父親の葬儀が終わり、日常が帰ってくる父は、死んだのではなく、生まれ変わった。「終わった」のではなく、「新しく始まった」のだと思う。私たちの身体は、この世で生きるための入れ物だ。身体が運悪く使い物にならなくなってしまっても、あの世で別の身体をもらって、また元気に暮らし続けることができるのだと思う。新宿でバイトをしていた時、女の子の魂を持つのに男の子の身体に生まれてしまった人
2019年12月24日 09:05
12月24日 パパが天国へ行く。56歳だった。午前2時まで父の隣で起きていたが、呼吸が落ち着き安定したため、安心して隣で寝ることにした。午前3時30分ごろ目覚めた。寝息が聞こえないので心配になり、顔をのぞいた。呼吸をしていなかった。父は、静かに息を引き取っていた。最期の時、隣にいることができたが、その瞬間を確認することはできなかった。父は、きっと私が眠ったのを確認して、安心して自分も眠
2019年12月20日 21:56
12月20日 徐々に血管がもろくなり、点滴に耐えられなくなって来ていることが分かる。ちょうど1カ月前、延命をどの段階まで行うかについて主治医と話し合った。このノートにも書いたように、私たちは無理な延命をしないという決定をした。しかし、経口摂取が困難になった当初は、あまりに意識がはっきりしていたので、そのまま命が終わるのを黙って見ていることはできなかった。そこで、人間の自然な死に逆らわず、痛
2019年12月18日 19:09
12月18日 内臓の機能がかなり落ちていることが分かる。口の粘膜がだいぶ弱くなり、少しの刺激でも出血するようになった。そして、何も食べていないのに下痢気味の日が続き、今日は血便が出てしまった。胃や腸も、口と同じように少しの刺激で出血し、ただれている証拠だった。そろそろ覚悟を決める時だと言われた。容態の急変が十分にあり得る時期に差し掛かってきた、と。一気に死が身近になった気がした。今
2019年12月16日 11:34
12月15日 目を開けている時間が殆ど無くなるここ3日間、父親ははっきりと目を開けなくなった。以前のように大きく目を見開いてびっくりしたような顔もあまりしなくなった。そのような表情らしい表情は、1日のうちに5分見られるか見られないかだ。こちらが話す内容をわかってリアクションをとることも、一切無くなった。あるといえばある気もするのだが、それはきっと希望を持っているからそう見えるだけだろう。看護師
2019年12月11日 21:45
12月11日 父親の意識がはっきりする時間が長く続く夜中ぐっすりと寝ていた父親は、朝の5時半ごろに飛び起き、下半身がベッドから落ちてしまうほどだった。まだこんなに動けるとは思わなかったので、驚くのと同時に嬉しかった。看護師と一緒に体を整えると、それから7時ぐらいまでまたよく寝ていた。7時ぐらいから唸ったり動いたりし始め、9時頃にははっきりと目を開けていた。私の方を見てニカッと笑ったり、「誰
2019年12月6日 23:32
12月6日 激しい手足の動きが戻ってくる。父親は最近、以前のように何かの拍子で手足が大きく動くというよりは、突発的に呼吸筋がけいれんを起こすことの方が多くなっていた。しかし今日は、何度か手足も大きく動かし、ベッドから落ちそうになることもあった。こんなに大きい全身の動きは、もう一週間近く見ていなかった。これを見た祖父母はショックを受けたようだが、私は嬉しかった。まだこんなに動けるんなら、もうしば
2019年12月4日 09:47
12月2日 安定剤を中止する。父親は、今日もほとんどの時間を眠って過ごしていた。ミオクローヌスの動きもだんだん小さく、少なくなってきたので、夜間の安定剤は必要なくなった。夜中に起きてしまうことも無くなり、ぐっすりと眠れているようだった。逆に言えば、夜中にあれだけ寝たのに、昼間も夕方もほとんど眠っていた。父親が出す声もだいぶ小さくなった。以前は部屋の戸を閉めていても、声を出せば遠くから看
2019年12月2日 02:28
11月30日 点滴を中止する。父親は、格段に起きている時間が減った。反応もあまりないので、それに伴ってここに書くことがなくなってきた。とても寂しいことだと思う。介護拒否や、本人に病気を宣告するかについて悩んでいた時期が懐かしくなった。懐かしいと言っても、まだほんの2週間前の話なのだが。父親の腕は点滴の管が通っているにもかかわらず、勝手に激しく動いてしまっていた。抜けてしまったり、漏れてしま
2019年11月29日 22:22
11月29日 妹が子供を連れて施設に会いにくる。朝、布団がめくれて、父親の足が見えていた。私は唖然とした。骨と皮しかなくて、骸骨のようだった。腕も、今まで何度も点滴を挿し直したため、いたるところに内出血ができていた。痛々しい紫の痣が、また私を「このまま点滴を続けていいのか」と考えさせた。今日は昼から、伯母や従弟、祖母が施設に来ていた。従弟は頻繁に父親の顔を見ているわけではないので、変わり果
2019年11月28日 23:17
11月27日 妹が23歳の誕生日を迎える。妹は、この世で唯一の私の本当の理解者だ。今まで歩んできた道は全く違うが、家庭に結びつくことにおいての立場は、私と同じだからだ。具体的に言えば、同じ父親と母親を持ち、両親の離婚を経験し、それに付随する色々と不便だったことも共有した。祖父母をはじめとする親戚それぞれの良いところと悪いところを、感じたままにお互い話し、理解しあってきた。お互い大人になって
2019年11月26日 20:52
11月26日 父親のためにできることが極端に減ったことに気付く。10月半ばに受けた要介護認定調査を受けた時点では、要介護2の状態だった父親は、11月に入った時点ではすでに要介護5の状態まで進行していた。認知機能が低下し、食事や排泄などにおいて介助が必要な場合が要介護2、完全に寝たきりの状態が要介護5だ。要介護認定とは、認知機能・運動機能・日常の生活動作などにおいて、どの程度の介護が必要かを
2019年11月24日 22:24
11月23日 久しぶりに大学時代の仲間に会う。朝、父親はまた大きく暴れてしまった。その後突然以前の父親のような表情に戻り、上体を起こそうとした。私の方を見ながら、少し笑ったような困ったような顔をして、なにかを伝えようとしていた。しばらくして、父親は久しぶりに言葉を話した。途切れ途切れでとても時間がかかったが、それはしっかり文章になった。「ぜんぶパパがわるい」こんな状態になっても、父親は