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父親が「ヤコブ病」と診断された

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#介護

意識レベルの急激な低下

12月23日 呼吸が正常でなくなり、意識レベルが低下する。

おむつに大量の血がついていたことから、腸が通常の機能を失い、出血が起こっていることがわかった。そして、頻脈や高熱が起き、血圧が測定できないなど、普段起こらなかった事態が沢山起きた。ミオクローヌスもほとんど消失し、目も開かなくなってきた。酸素濃度もかなり低下していた。その時が確実に、一歩一歩近づいていることは、誰の目にも明らかだった。

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点滴の限界が近づく

12月20日 徐々に血管がもろくなり、点滴に耐えられなくなって来ていることが分かる。

ちょうど1カ月前、延命をどの段階まで行うかについて主治医と話し合った。このノートにも書いたように、私たちは無理な延命をしないという決定をした。しかし、経口摂取が困難になった当初は、あまりに意識がはっきりしていたので、そのまま命が終わるのを黙って見ていることはできなかった。

そこで、人間の自然な死に逆らわず、痛

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「そろそろ覚悟を」

12月18日 内臓の機能がかなり落ちていることが分かる。

口の粘膜がだいぶ弱くなり、少しの刺激でも出血するようになった。そして、何も食べていないのに下痢気味の日が続き、今日は血便が出てしまった。胃や腸も、口と同じように少しの刺激で出血し、ただれている証拠だった。

そろそろ覚悟を決める時だと言われた。

容態の急変が十分にあり得る時期に差し掛かってきた、と。

一気に死が身近になった気がした。今

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体力の衰え

12月15日 目を開けている時間が殆ど無くなる

ここ3日間、父親ははっきりと目を開けなくなった。以前のように大きく目を見開いてびっくりしたような顔もあまりしなくなった。そのような表情らしい表情は、1日のうちに5分見られるか見られないかだ。こちらが話す内容をわかってリアクションをとることも、一切無くなった。あるといえばある気もするのだが、それはきっと希望を持っているからそう見えるだけだろう。看護師

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久々の反応

久々の反応

12月11日 父親の意識がはっきりする時間が長く続く

夜中ぐっすりと寝ていた父親は、朝の5時半ごろに飛び起き、下半身がベッドから落ちてしまうほどだった。まだこんなに動けるとは思わなかったので、驚くのと同時に嬉しかった。看護師と一緒に体を整えると、それから7時ぐらいまでまたよく寝ていた。

7時ぐらいから唸ったり動いたりし始め、9時頃にははっきりと目を開けていた。私の方を見てニカッと笑ったり、「誰

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2日ぶりの再会

12月9日 2日ぶりに父親と再会する

この二日間、叔母が大阪から来ていた。今まで会えなかった分、施設に泊まって父親と時間を過ごしたいとのことだった。私はちょうど友達との約束もあったので、二日間父親から離れることになった。

2日ぶりに父親を見ると、逃避していた現実が一気に戻ってきた感じがした。妹の家族に会って笑顔でいる父親の写真が送られてきていたので、もしかして表情や認識のレベルが回復していたり

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家族のエゴで生きてもらうこと

家族のエゴで生きてもらうこと

12月6日 激しい手足の動きが戻ってくる。

父親は最近、以前のように何かの拍子で手足が大きく動くというよりは、突発的に呼吸筋がけいれんを起こすことの方が多くなっていた。しかし今日は、何度か手足も大きく動かし、ベッドから落ちそうになることもあった。こんなに大きい全身の動きは、もう一週間近く見ていなかった。これを見た祖父母はショックを受けたようだが、私は嬉しかった。まだこんなに動けるんなら、もうしば

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天候と体調

天候と体調

12月4日 久々に父親が笑顔を見せる。

朝の9時ごろ、父親が上体を起こそうとしていた。私はベッドに乗り上げて父親の両脇に手を入れ、せーのの合図で父親の上半身を起こした。ちょうど抱きかかえて座るような姿勢になり、父親は私の肩越しに青空を見ていた。

天候によっても、体調はかなり変化する。病状が右肩下がりなのは変わらないが、その中でもムラがあるのだ。特に晴天の日は機嫌が良いことが多い。

この日も朝

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施設の人びと

12月2日 安定剤を中止する。

父親は、今日もほとんどの時間を眠って過ごしていた。

ミオクローヌスの動きもだんだん小さく、少なくなってきたので、夜間の安定剤は必要なくなった。夜中に起きてしまうことも無くなり、ぐっすりと眠れているようだった。逆に言えば、夜中にあれだけ寝たのに、昼間も夕方もほとんど眠っていた。

父親が出す声もだいぶ小さくなった。以前は部屋の戸を閉めていても、声を出せば遠くから看

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「要介護5」に対して家族ができること

11月26日 父親のためにできることが極端に減ったことに気付く。

10月半ばに受けた要介護認定調査を受けた時点では、要介護2の状態だった父親は、11月に入った時点ではすでに要介護5の状態まで進行していた。認知機能が低下し、食事や排泄などにおいて介助が必要な場合が要介護2、完全に寝たきりの状態が要介護5だ。

要介護認定とは、認知機能・運動機能・日常の生活動作などにおいて、どの程度の介護が必要かを

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ミオクローヌス

ミオクローヌス

11月25日 父親が深夜に3回飛び起き、ベッドから落ちそうになる。

こんなことは久しぶりだった。どのくらい久しぶりかというと、自宅で見ていた頃、リボトリールというてんかん発作を止める薬をもらう前によく見た症状だった。症状が出てから薬をもらって再入院するまでは良く眠れていたので、約一ヶ月ぶりになる。

一ヶ月前は自分の足で歩けていたので、夜中に私が風呂から出て戻ると、ベッドから落ちて布団の上に座っ

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人の命を延ばし、断つことは残酷か

11月5日 延命のための入院を決意する。

朝、父親はいままでにないほどしっかりと意識があった。私の方を向いて、名前を何度も呼んだ。発音はできないが、音はそう言っていた。私は、「自然のままにしていたらもって2週間」という話がずっと引っかかっていた。意識があるのに父親がこのまま死んでしまうことが、急に怖くなった。私たちの判断は間違っていたのでは?と。

このまま「自然のままに」自宅で看ていては、意識

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無呼吸の罠

11月4日 「中枢性無呼吸」というヤコブ病の罠を知る。

ミオクローヌスや失行失語など、まだ本人が動ける時期の症状については、素人なりに勉強してきた。治療はなくとも、接し方や対症療法を打診することはでき、できる限りのことをできたとは思っている。

私たちには、末期症状の知識が抜けていた。父親は、いつのまにか、あっという間に末期段階に来ていた。

今一番苦しんでいるのは中枢性無呼吸だ。脳幹という呼吸

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どこで看取るか、どこまでやるか

11月3日 父親のこれからについて、家族の意思をひとつにする。

嚥下が難しくなり、固形物はもちろん食べられないし、水分もとろみをつけたものしか飲めなくなった。口に入れてから30秒ぐらい経ってやっと飲み込めるが、長い時間口の中に含んでいると誤嚥の危険性があるので、吸引器で吸い出さなければいけない。1日に食べられるものはゼリーをこしたものをティースプーン10杯程度で、あとはとろみ付けしたアクエリアス

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