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バンクーバーのカフェのオープンに関わる。#4

前回の日記からの続きです。
コロナも落ち着いた頃の2020年5月の半ばくらいに、ようやくカフェをオープンすることができました。最初の二日はソフトオープンをし、身内や業界関係者を呼び、その後はフルメニューでオープンしました。
とはいえ、コロナがまだまだ心配な時期だったので、接種確認、ソーシャルデイスタンスやマスク着用の義務付けなどで平日は暇でした。
コーヒー豆をローストしていたロースターの女性も業界では有名な方で、彼女のコーヒー豆を買いたくてくる人も多かったのですが、それでも厳しい状況でした。
場所もアングラ(という言葉は今使われているかわかりませんが)な地域にあり、なかなか軽く散歩してこれるようなロケーションでなかったので、私もデイレクターも試行錯誤を繰り返していました。
それでも夏にはブロガーの方々の投稿や地元紙に載ったりして徐々に集客ができていきました。
地元で人気のある情報誌にシェフとして記事を載せてもらった時は本当に嬉しかったです。
季節ごとにしていた私の一日レストランのポップアップをお店の閉店時間にしたりもし、私自身も料理人としてさらに認められるようになっていきました。季節ごとに仕入れる農家の野菜にあったレシピを考えたり、楽しい数ヶ月が過ぎていました。しかし、ショックなお知らせが舞い込んだのです。インターンをした日本のレストランがコロナで閉店。そのお店は、カフェの仕事を終えた後の次の目標だったのですが、その目標は永遠に遂げられなくなってしまったのです。

そして秋を過ぎた頃にまたバンクーバーのコロナの感染者数が増え、カフェの売上も伸び悩んでいきました。
賑わっていた一部の地域は荒廃し、私たちのカフェのある地域も悪い状況になっていました。バンクーバーのある地域の貧困者数の多さは有名で、お店はその地域のすぐ近くだったので、路上居住者などが増え、近隣の状況はどんどん厳しくなっていきました。

世間では持ち帰りの飲食店が人気を集めるようになっていたこともあり、持ち帰りをしやすいメニューアイテムを取り入れることにし、人目をひきやすいハンバーガー風なサンドイッチを和風にアレンジしたり、本当に色々努力していたのですが、翌年に人件費を削減しなければならなくなりました。
一人しかいない私のキッチンの部下、スーシェフをしていた子を解雇しました。
しかしながら明日は我が身。私も必死に色々努力しましたが、結局その二ヶ月後にはカフェはキッチンを閉め、コーヒーだけを売ることになり、私は解雇されました。一瞬路頭に迷ったように思えますが、ピンチは活かす人間なので、解雇後はお店のキッチンを借りオンラインで興味のあるシェフの料理学校のコースをとったり、ときどき週末にお弁当をイベントで売ったりしてお店に少しでもお客さんが集まってくれることを祈っていました。
結局その後何ヶ月かするとそこにも希望がない感じがして、ついに他で働くことを決めました。
そして知り合いのバーでフルタイムで働きながら休日はカフェのキッチンを借り、オンラインの料理学校の続きを学んでいました。
カフェはその後コーヒーとお菓子のみのサービスとオンラインで豆を売る形でしばらく開けていましたが、結局2022年の秋に閉店。
閉店の際は器具などを売るのを手伝いました。
他のお店の閉店を手伝ったことは過去にありましたが、自分でオープンに関わったお店ではなかったので、こんなに切なかった経験は今までにはなく、最後の日には泣きました。
一年半という短い期間でしたが、このプロジェクトに参加できたことはとても有意義で自信につながりました。
採用していただいた上司やボスに感謝の気持ちしかありません。

私のカフェ日記はこれでおしまいです。
今後はランダムにレストランで働いて経験したことを綴っていきます。





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