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理系とFF比

フォロワー。多い方がいいよね。
フォロー中。少ない方がかっこいいよね。


フォロー中  0         フォロワー  1,000,000


そんな風潮が、SNSにはある。
だがそれはただの過激なアピールに過ぎない。
フォロワーの多さを競う争いが激化し、フォロー中の少なさがある特別な意味を持って語られるようになった。
そんなの中身が広報アカウントになったことの証明に過ぎないのに。
そして行き着いた先が11種類のハーブとスパイスだ。ケンタッキーだ。
いまはありとあらゆる企業がアカウントを持っていて、そんな状況の中、きょうびFF比など意味を持たないのかもしれない。

だが、そのような論理は周回遅れでトレンドに乗るわれら一般庶民には通じない。
未だにフォロワーの数だけでなく、フォロー中の数字にまでこだわるやつがいるのだ。どこのどいつだ~い?


あたしだよ!


中途半端にネタを擦ることほど恥ずかしいことはない。にしおかすみこ、知ってる人はいるのだろうか。自分はYoutubeみてたら久々に思い出した。ぎりぎりモノゴコロつく前に流行ったことを思い出す。つまりあまり知らないのだ。よけい恥ずかしい。言わなきゃばれないのにね。

自分がnoteを投稿すると、ありがたいことに読んでくれる人がいた。フォローしてくれる人がいた。コメントしてくれる人がいた。おかげでとても楽しい。

ぐわ!人並みの感謝の言葉しかでてこねえ!もっと嬉しいのに!こんな自分に人並みになんて言葉を出させるほど、つまり未知、不理解、嫌悪、得体の知れなさ、そして理想。そのすべてが詰まったワード、「人並み」を使わざるを得ないほどうれしいのに!これが感情ってもんなのか?伝わらねえよ!言葉、伝わらねえよ!


辞は達するのみ!


ふぅ…。すみません。孔子が出てしまいました。感謝だけしてたいですが、そんなnoteは経験上つまらないので続きは好きなこと書いていきます。

noteにフォロワーがつきました。どんどん増えていきます。えーと、現在のフォロワー数、41人。すごい。だいたい学校のクラスとおなじくらい。つまりこのnoteはクラス新聞にくだらんことを印刷して配ってるのと同じくらい人に見られてるってことですかね。いや、この場合親や兄弟は勘定にいれてないので違いますが、まあそんな感じです。意外と恥ずかしくない感じですかね。クラスというのがまあ親しいイメージがついてるからかもしれません。小学校低学年のクラスは平和でした。ぼんやりと。

そして現在のフォロー中数。47人。話を聞きたい人が多すぎます。みんないいことを書いてくれてます。俺のために! なぜなら自分以外の存在がいると仮定することは無意味だからです。すごく傲慢で気持ち悪いです。冗談でも言うべきではなかったような思想でしょうか。でもそれくらい皆さんの書くことが為になってるということです。いつもありがとです。

ではでは、この数字を使ってF/F比を計算しましょう。
41/47=0.872340425532<1
要はフォロワー<フォロー中ってことです。計算いる?
そして、自分の中の一つの目標として、これが>1になればいいなー、とかをぼんやり考えてました。いや、別にそこまで意識してたわけじゃないです。正直、フォロワーが増えるよりnoteを読んでもらえた方がうれしいです。ここ、たまにすっ飛ばしてフォローしてくる方がいるので…。

おい、フォロバ100。おまえのことやぞ。

うさんくさいビジネス系アカウントにフォローされてもうれしくないです。どうせ読んでくれてないでしょう。こっちも似たようなことばかりで読む気になりません。あいにく、こちらは返報性の原理を知ってます。残念だったな!

そして、これだけでもう数字に意味はなくなってしまいます。売名目的野郎が紛れている以上、こんな数字は正確ではなくなってしまいます。自分が熱力学や統計学が苦手なように、正確さから少しずつ遠くなってしまうのです。だったら、もうフォロー数なんて意味はありません。正確でなくてはならない、自分の完璧主義の悪いところですね。特に自分では干渉できない事象なのでどうしょうもないです。なんでこんなに悩んでるのでしょうか。この数字、嬉しいはずなのにね。

ではフォロー中。これを減らせばいいのでしょうか。いや、そんなことはできない! 自分は前述のとおり完璧主義なので、読みたい人はすごく選ぶ。なんならずっと読み続けたいという覚悟がないと恐れ多くて他人にちょっかいなんて出せない。たまにフォローしたときのコメント読みたさに規フォローの人のフォローボタンぽちぽちして遊ぶけど、それは許してほしい。だから厳選こそすれ、わざわざ減らすなんてできない。

あれ? そんなことを考えていたら、FF比なんて言うものに価値が見いだせなくなってしまった。そんなものより、どっちの数字も大きい方がかっこよく見える。なんか、大家族を養ってる、みたいな感じしない? ちゃんと設計思想どおりにシステムを使っている感じがする。

自分は理系だが、別に数字にこだわりはない。まあ、統計より原理の方に興味がある、というのもそうだが数字の意味を考えたときに興味を失うことがある。まさに今回みたいに。だが、アインシュタインやらファインマンやらが活躍した愛しき理論物理学は昔の話。最近の理系といえばやっぱり情報だITだ統計だマクロ経済だみたいなものがトレンドだ。そういうの、まあ必要なんですけど、あまり好きじゃない、個人的に。アドテクとかマジで嫌い。でも心理学的背景は好き。そうやって数字だけを見ているってのは本当にいいことなのかな、って思ってしまう。

めずらしくお気持ち表明してしまった。いや、ただの自分語りだったかもしれない。でも初めて言いたいことがはっきりしているnoteが書けたかもしれない。めでたいね! でも途中で感謝入ってしまったのは減点ですか? まあ、それも自分ってことで。人間だもの! 最強の言葉で〆させてもらいます。ではでは~。