#11 デンマークの医療環境から考えるアートとデザインの役割 ゲスト:河東梨香さん
第11回チア!ゼミのゲストは、医療福祉ビジュアルディレクターの河東梨香さん。医療福祉の現場で、テキスタイルやインテリア、ビジュアルディレクションのお仕事を手がけられています。河東さんが2023年の夏に視察したデンマークの複数の医療施設についてお話ししていただきながら、医療環境におけるアートとデザインの役割を考えました。
チア!ゼミとは?
チア!ゼミは、医療福祉従事者、クリエーター、地域の人々、患者さんやその家族、学生など様々な背景を持つ人たちが集まり、参加者同士の対話によって、医療や福祉におけるアート・デザインの考えを深めるプラットフォームです。実践者や当事者の方に話題提供していただいた後、参加者同士で対話しながら、異なる視点や考えを共有します。多職種の方が集まって話し合うことで生まれた発想や新しい視点を、参加者のみなさんがそれぞれのフィールドに持ち帰ることで、医療や福祉環境を変えていく社会的なアクションへ繋がることを期待しています。
アートとデザインの役割を感じた経験
福祉に興味を持ったのは、祖母の影響が大きいと思います。デンマークで一人暮らしをしていた祖母が車椅子が必要になり、自身で高齢者施設に引っ越しを決め、その後、環境のせいなのか、施設で楽しく過ごしていたせいか、ぐんぐんと明るくなったことがありました。それを機に色んな国の高齢者施設や病院、福祉施設を見て回るようになり、環境の力を感じるようになりました。アートで「表現する」ことが心の平穏に繋がっていること、デザインやアートが目で見て美しいだけでなく、役割があってこそ必要とされていることを実感しました。
現在は、テキスタイルデザイナーとして活動してきたスキルを活かし、医療福祉ビジュアルディレクションの仕事をしています。「大切な誰かを思う気持ちをデザインに」がテーマです。
今回は、デンマークで見てきた5つの病院の事例を写真中心に紹介するとともに、医療環境におけるアートとデザインの役割について考えていきたいと思います。
デンマークと日本の制度の違い
デンマークでは、国家予算の42%が社会保障費、17.7%が保険医療費に使われています(2022年度公共支出DANMARKS STATISTIKより)。日本の国家予算を占める社会保障費は33.7%なので、日本に比べてかなり大きな割合を予算としてつぎ込んでいることがわかります(政府発表2022年度予算案 西日本新聞より)。病院へのアクセス構造も違います。デンマークでは、患者さんは最初に総合診療医、日本で言う家庭医に診てもらいます。保険証に自分のホームドクターが割り当てられていて、家庭医に診てもらった上で必要であれば、専門医が紹介され、病院に行くようになっています。そして、日本との大きな違いは、建設費の1.5%がアートに充てられることです。スウェーデンの1% for Artを聞いたことがあるかもしれませんが、デンマークも同様に国のルールで決まっています。
事例1:Herlev Hospital(コペンハーゲン)
1976年に建てられた古い病棟と2021年に新しく建てられた救急、小児、産科病棟を見学しました。古い病棟は、デンマークのホスピタルアートを語る上で外せない有名な病院です。デンマークで一番大きなアート作品と言われるぐらい、病院全体がPoul Gernes(ポール・ジャーンズ)という現代美術家のデザインで埋め尽くされています。21色のビビットな色が使われ、見る角度を少し変えるだけで全く違う色合いが目に入ってくる病棟です。トイレや病院内の地図、エレベーターのサイン、ドアの取っ手、バックヤードなど患者さんの目が届かない細部までデザインが施されていて、壁に近づけば筆さばきなどもわかります。
一方、新しい病棟は、古い病棟とは打って変わり、光や植物の緑に包まれていました。内庭は、生命を感じるよう原生林をイメージして作られています。患者さんのご家族とお会いした中で、「母の病状が思わしくなくて、日々どんどん弱くなっているけれども、原生林があって、そこで生まれた動物や植物が元気よく育っている命を感じるとすごく元気をもらえるの」と言っていたことが印象的でした。
病棟には祈りのスペースがあり、イスラム教の方が礼拝前に手や口、足などを流れる水で清めることができるようになっています。デンマークには、沢山の移民の方がいるので、イスラム教だけでなく、キリスト教を含む他の宗教の形に向けてもお祈りできる場所が病院に設けられています。悲しい時や自分の病状が心配な時、大事な人が亡くなってしまった時の心のケアが考えられてのことだそうです。
事例2: Copenhagen University Hospital(コペンハーゲン)
1960年代に建てられた古い病棟と2020年に建てられたノースウィングと呼ばれる新しい病棟があります。ノースウィングは上から見るとジグザグになっていて、その中心に廊下が通っているんです。病院の中のセクション同士の距離を縮める効果だけでなく、公園に面した窓数の増加につながり、日光がたっぷりと入るようになっています。また、病院の中は、いつも忙しなく、様々な機械音も聞こえ、入院患者さんが休まらないことがあります。そこで、外来や検査室などの人の出入りが多い機能は中心の廊下周辺に集められ、入院患者さんの部屋はジグザグの外側に配置され、静かに心地よく過ごせる環境を確保しています。
新しい病棟に入ると、Malene Landgreenという芸術家による40メートルの壁画があり、上からの日光で、教会のような雰囲気になっていました。少し進むと今度はErik A. Frandsenという現代芸術家の7階まで続く螺旋階段のアートがあります。150万個のガラスモザイクが使われていて、製作のためにイタリアから4人の職人が来たそうです。タイルを見ながら階段を上がることで、リハビリができるよう考えられているそうです。
一方、病棟の中はとてもシンプルで、せっかく新しく建てたのにもかかわらず、居心地の良さをあまり感じない空間になっていて、古い病棟の病室や食堂もがらんとして寂しい印象がありました。アートだけでなく全体の空間も同時に建築計画の中で同時進行していったのか気になるところです。
中庭では、The Red Dragonというアーティストを乗せたワゴンに出会いました。入院中の子どもたちが少しでも辛い治療を忘れられるようにと、ワゴン内は様々なボードゲームや本、アート道具などで埋め尽くされています。遊びに来たきょうだいや家族とゆっくり時間を過ごせるようになっていました。また、2025年に新たな小児病棟ができる予定で、将来できるであろう病室のモデルルームがテストハウスとして設置されていました。市民は予約をすれば入ることができ、どうすれば病院での経験をよりよいものにできるか、建築前から患者さん、家族、スタッフにヒアリングを繰り返しているといいます。
事例3: Kolding Hospital (コリング)
小児病棟に入ると、廊下の床に映像が映され、患者さんの年齢に合わせてパズルやサッカーなどのゲームを足で操作して遊べるようになっていました。また、廊下には、自転車を置くパーキングスペースがあり、子どもたちは好きな時にこれに乗って、自由に病棟の中を移動できるそうです。小児病棟を囲むようにして幾つもの公園が設置されていて、一階に病室がある子どもたちは、自分の病室から親と一緒に公園に出られるようになっていました。
事例4: Aarhus University Hospital(オーフス)
デンマークでは、2007年頃から小さい病院を廃止し、大きな病院に統一していくスーパーホスピタルプログラムが進められています。この病院は、最初に作られたスーパーホスピタルで、一つの町ぐらいの大きさがあります。
素材感にこだわっていることを感じる病院で、周りの素材を踏まえて、その空間に合うアートが選ばれているようでした。デジタルアートも色んな場所にあり、CTスキャンの画像が動画になっていてアートが少しずつ動くなど、アート自体が変化していることが面白く感じました。そして、点在する庭を好きに出入りできたり、カフェのような空間、リビングのような空間があったり、思い思いの時間が過ごせるようになっていました。
小児病棟で面白かったのは、廊下のスペースを活用していたことです。廊下のあちこちに、入院している子どもと家族が日光を浴びながら遊べるスペースがありました。うまい具合に船などの大きなオブジェが廊下を通る人の視線を遮り、程よいプライベート空間になっています。私が訪れた日も廊下を通っていた病院のスタッフがここで遊んでいた患者さんご家族に壁越しに「どう元気?あなたの声が聞こえたから会いに来たよ」と楽しそうに話しかけているところを目にしました。
事例5: The Department of forensic psychiatric ward 3(オーフス)
ここでお見せするのは、重大な犯罪を犯したグリーンランド人の方たちが入る精神病棟です。グリーンランドはデンマークの自治領で、グリーンランドでは、予算やスタッフが足りず、同レベルのセキュリティーの高い建物を作れないといった理由から、オーフスに患者さんが送られてきます。
印象的だったのは、壁一面のグリーンランドの写真です。言葉が通じない国で、いつか帰れるのだろうかと不安を感じる患者さんに対して、故郷への思いや希望を持たせる目的があるそうです。別の壁には、実際に治療が終わってグリーンランドに帰った先輩患者たちからのメッセージが貼られていました。メッセージを見ることで、ここにいた人たちが実際にグリーンランドに戻れたことがわかり、治療を頑張ろうという気持ちにさせるそうです。
病棟は、グループホームのように8人ずつのユニットに分かれています。患者さんが心地よく過ごせるよう家庭的な人数にしているそうです。作業療法としてキッチンで料理をしたり、みんなでショッピングに行ったり、この治療が終わった後にどのような生活をすることができるのかトレーニングを通して見せているとのことでした。
外来は、Tal Rという美術家がデザインしています。Ovartaci という56年間、精神病院に入院していた有名な芸術家の作品からインスピレーションを受けて壁画を描いたそうです。病院をデザインする芸術家はコンペで選ばれていて、働くスタッフさんたちの意見が入るようになっています。
事例から考える7つのアートとデザインの役割
以上の事例から、アートとデザインの役割を大きく7つにまとめることができます。
1つ目はKære(ケア)です。デンマーク語のKæreには、親愛なるとか、愛するといった意味が詰まっています。どんな患者さんが来るのか、治療中どんな思いがあり、どうすれば治療後の生活が彼らにとって理想的なものになるのか。色んなシチュエーションを考えながら、一人ひとりのことを大切に思う気持ちをデザインやアートに表現することが重要なんだと再認識しました。
2つ目は、生命です。特に新しく建てられた病棟は、日光が当たり、植物の緑が見え、自然の力を感じられるようになっていました。体が弱る中で、新しく芽吹く緑を見たり、風の動きを感じたりと自然や命に繋がることが重要なのだと思いました。
3つ目は、居場所です。写真からも病院という言葉に捉われない家具・調度品や色合いが見て取れたと思います。家庭にあるような家具を置き、自分の弱さや施設さを感じさせないことが大切だと思いました。そして、「今日は一人で静かに過ごしたい」とか、「今日は誰かと出会える場所にいたい」とか、患者さんが気持ちに合わせて選べる居場所作りが必要なのではないかと思います。
4つ目は、変化です。目線を変えるだけで違う色が見えたり、自分たちのことを考えて作ってくれたんだと細部から人の思いを感じられるような場所があったり。そういう変化が、患者さんにとっても、スタッフにとっても大事だと思いました。
5つ目は、サイトスペシフィックアートです。ホスピタルアートは、どこにでも飾ることのできるアートを持ってくるのではなく、そこの病院にどんな患者さんがいて、どんな思いのスタッフさんが働いているのか、アートが置かれるのはどのようなことをするための場所なのか。そういったことを踏まえた上アートを配置するからこそ、最大限の力を発揮するんじゃないかと思います。
6つ目は、発散です。長く治療が続くと、どうしても内にこもってしまうので、そのふつふつとした気持ちを発散したい、表現したいという思いが出てくると思います。表現している時は、一瞬だけでも治療のことや不安を忘れられると思うんです。それもアートが力を発揮できるところだと思いました。
7つ目は、地域との関わりですね。地域の子どもが参加できる病院でのイベントや、地域住民、患者さんの意見を取り入れたテストハウスの取り組みなど、地域の人に向けた情報発信もアートやデザインのできるところだと思いました。
デンマークにおける医療の課題の一つとして、医療従事者になりたいと思う若者が減ってきているそうです。また、スーパーホスピタルのように今まであった病院を一つの場所に集約するなど、予算を削減しながら国民の健康を保とうとすることで、治療が選べなくなったり、待機時間が増えたりすることが不安だといいます。医療従事者の労働環境としては、光の入る環境、機械による負担軽減など改善してきており、コーヒーを飲み、リラックスしながら仕事をする現場は日本と異なります。しかし、デンマークと日本、文化に根付いたそれぞれの医療環境があり、どちらが良いと感じるかはそれぞれの患者さんや医療従事者によるのではないかと思います。
——————
河東 梨香
tona LLC.代表、医療福祉ビジュアルディレクター
日本人の父とデンマーク人の母の間に生まれ、多数の国や文化の中で暮らした経験を活かし、医療福祉分野をはじめ、幅広い領域で色と素材感を大切にしたものづくり・空間づくりを実践。当事者やご家族、現場の想いにデザインでアプローチする「大切な誰かを思うデザイン」をテーマに活動を行っている。
tona https://tona.rikakawato.com/
——————
第11回チア!ゼミ「デンマークの医療環境から考えるアートとデザインの役割」
日程:2023年10月6日(金)19:00-20:45
場所:オンライン
主催:特定非営利活動法人チア・アート https://www.cheerart.jp/