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Thousand sheep's

初めて、職員会議を眠らずに聞き続けた。というのは大袈裟だけれど、一面隈無く冴え渡った状態で話を聞くのは、後にも先にもこれで最後かもしれない。大人の事情とやらで波をつくるピリピリとした話よりも、窓の外でしんしんと降る雪の方が気になった。無理して大人の顔をするにも、30分に渡るまどろっこしい議論の前でこの顔を続けるには些か無理がある。いかにもこの話し合いに参加しているような顔をしながら、僅かに影を作りながら降っている雪の粒を横目でずっと追っていた。
雪なんてもういいっすよ…みたいな態度で外へと駆け出す子供を追い掛ける。ふざけているのかというくらいに天地共々白銀に包まれていて、陽光よりも少しばかり眩しい。
3センチほど積もったくらいでは雪玉を作るには頼りない。指先で薄雪をこそげ取って、子供の背中に投げてみる。思いの外強い北風によって散り散りになった粒が顔目がけて返ってくることが何とも、冬だった。
身を粉にして動いている間は他にやりたいことが浮かぶ割に、無為に時間を空費している。
36インチの世界で過食嘔吐をするヒロインの口先から流れ出る透明な唾液を見るなり、深い考えもなく「綺麗だ」とぽつり考えた。
嘗て、窓際の級友も過食嘔吐をしていて、右手の関節には薄紅色の吐きダコができていた。同情を誘いたげな眼をして一世一代の告白をする彼女の傍らでもまた雪が降っていて、青二才の私はおそらく薄情な返しをしたと記憶している。錯乱状態になって真夜中に電話をかけてきたあの頃も、至って冷静で頼りない返事だった。電話越しで 死にたい と暴れていた彼女も大学時代には2度の転学を経験し、細々とコスプレイヤーをやっていると、人伝いに聞いた。時が経った今でも情の芯の部分は薄い私だから、生きていてくれて良かったなどと思うことはない上に、「結局生きてたんだ」くらいにしか思わないのだけれど、雪も降っているし、雪と言えば、という走り書きから出てくる精一杯のエピソードだから、こうして思い出して書いている。

冬が苦手という部分だけはどうにも揺らがないでいる。しかし確かに降雪によって心を揺さぶられてしまった浅はかな私はそこに居て、4年分の記録を手繰ってみても雪にまつわる文章を毎年吐き出していることからすると、どうも冬に対して満更でもない気持ちを抱いているのではないかと思ったりする。凡そ10時間近く降り続けていた雪は帰りがけにこぬか雨へと変わって、道路とその周辺を、私の靴の中敷を泥濘に嵌めたまま何処かへ消えた。後はアイスバーンになるのを黙って見つめるだけで、一瞬小綺麗に整えられた街の後味は間違いなく悪い。しかし余程の奇跡が起きない限りは大抵のものの後味は悪いから、そう思うとあまり気にならないかもしれない。桜並木の枝から降りていく柔らかな雪が、国道沿いのナトリウム光線と乱れる一瞬、それを雪だと見紛った私の傍らにはもう既に春がいるのかもしれなかった。

ハイパー起きられない部分につけても、死んだように静かな地表につけても、冬というのは「眠りの季節」というのが私的な表現で、いずれの状況にももう飽きている。ほんの出来心で数え始めた羊の匹数も22匹の部分で事切れた挙句に、その晩には思い出せないくらいの恐ろしい夢を見てしまったから、いっその事 眠り の要らない世界へ身を投げたいと思う今日のこの頃だ。流石にこじつけが過ぎるかもしれないが、こうなると溶けるのを待つ雪でさえ羊毛のように見えてきて、少しばかり苛立った私は、今目の前にある白銀に向かって、唾を吐こうと思う。

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