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できたてのバランス / 創作

厚焼き玉子を焼く。キッチンペーパーに含ませた油を器用にフライパンに塗って、卵液を少しずつ広げて焼く。私一人で食べるならそれが焦げてしまっても、見た目が悪くても構わない。でも人と食べるとなるとそれは別で、形が崩れないように、焦げ付かないように、少しずつ焼く。
切り分けていくと大抵端の方は小さくなって、盛り付けてもあんまり可愛くない。
両端をふた切れ、ひょいと摘んで二人で食べる。昨日の厚焼きは " やさしい味 " だった。やさしい味の真相、「濃くもなく薄くもない、味の表現がしにくい食べ物に捧げられる言葉」らしい。

見た目が悪いところを私のお皿に入れて 良いところは貴女のお皿に入れる。上手に巻けなかったベーコン巻き、少しほつれた厚焼き玉子、見てくれは異なっていても、味だけは同じだった。

スーパーへ行って食材を買う。私は好き嫌いが殆ど無いので、献立なんてごく簡素な扱いで良い。
非日常を意識して、貴女が苦手だと言っていた食べ物を口の中でモゴモゴしながら考える。オクラに生魚にもずく、食わず嫌いも多いからこの先はまだ解らない。固まったチーズは苦手で、溶けたチーズは大丈夫。トマトはご法度だけど、ソースになれば大丈夫。不思議だ。
カットフルーツを買った。普段の私なら絶対に買わない。人から出されれば喜んで食べるのに、私一人の生活となると缶を開けるという作業そのものが億劫だった。フルーツなんて、せいぜい安くなってシュガースポットの出まくったバナナを買うくらい。結局それも黒くなって、冷蔵庫の端っこで眠っていたりする。

冷えた桃が美味しかった。季節的にも感覚的にも。一人で食べるにはつまらない 5つに切られた桃。2つ と 3つ に分けてお皿に入れた。


貴女が眠る間に料理を作る。何としても出来た瞬間に起こしたいから、小さな音を立てながら少しずつ料理を進める。シンクでちょこちょこと食器を洗って、蛇口を小さく捻って水を出して、戸棚からありったけのお皿を出した。
普段なら盛り付けなどどうでも良い。私一人で食べるなら、パスタなんてボウルを抱えたまま、うどんに至っては湯がきが足りなくてもそのまま咀嚼を開始する。洗い物が少なければ何よりだから、後々溜めてしまうことも知っていてのライフスタイル。しかし今くらいは増えても良いと思っている。

テーブルにおかずを並べて、貴女を起こしてからご飯と味噌汁をよそる。何となくの拘りと、一緒に居るという瞬間だけ披露することの出来る、精一杯の余裕だった。

ワカメが苦手な貴女だから、おたまで器用にワカメを避けてよそる。これがなかなか難しい。
嫌いじゃなくて、苦手と表現する所が好きだ。少しだけワカメが入ってしまっても、きちんと食べてくれるところもまた何とも。悪戯心で少しだけワカメを増やす日もある。
時間ギリギリでも朝ごはんは噛み締めるようにして食べるらしい。食事にかける余裕は一丁前だけど、眠りにかける余裕はもっと大きく、海と水溜まりくらいの差がある。時計をいちいち確認して、さりげなく急かす。ヘアブラシを寝惚けた頭に入れる。

食べるのが遅かった私。食べるのが早かった母。幼少の記憶が窓辺で揺れている。幼い頃のそれと、今流れているこの時間は何だか似ている部分があった。あの母の子なのだと改めて自覚する明朝、開け放しのカーテンから弧を描く鳩の群れが見えた。

夏掛けで眠った日、お腹を壊したことを覚えていた。明け方、フローリングの上でくしゃっとなった夏掛け、お腹が出ていた。掛け直してもまたお腹が出ている始末。
真夜中の攻防戦に打ち勝つ為に敢えて冬掛けを引っ張り出した。更年期障害かと言うくらい寝汗が酷い私は、半身だけ失礼する。
平熱の低さに伴わずして手足が温かい私、貴女は足だけがひんやりと冷たい。もったりとした重みを持つ冬掛けの中でするりと足を忍ばせては、足を小さく温めた。

2人分の温度だから、エアコンの表示を2マス戻して、2人分のスペースだから、枕は2つ。どうやら枕の間が好きらしい。ゆりかごに設けられた余剰にピタリとはまって眠る赤子の如く、小さな寝息を立てて眠っていた。

ジャスミン茶派閥と烏龍茶派閥で戦争になりかけている。くすぐりの弱さにおいては、お互いの弱点を理解してしまったので沈静化は早かった。
散々烏龍茶を馬鹿にした挙句の果て、 夜中にふと目が覚めた時に烏龍茶がどうにも美味しそうに見えて、コップに注いでちびりちびり飲んだ。美味しいことは知っていた。

断じてお花畑には勝てないけど。お花畑と揶揄されるのも案外悪くない。綺麗なので、お花畑。


ヘアオイルを互いの頭に付けて、互いの頭を乾かした。ヘアブラシ、温風、冷風の順に時間が流れる。乾かしている間、口だけは暇を貰った状態になるとあまりに寂しく、ドライヤーの残響のみ聞こえているとあまりに静かな気がして、聴き齧った歌の、朧気なメロディを鼻歌にして歌った。

同性であろうと異性であろうと、ヘアオイルの共有を許す人間はそこまで多くない。空間の共有より、香りの共有を簡単に許してしまうのは私の中ではばかられる。それを許すのも愛で、他人から香ってくる同じ匂いを吸い込んでいくのもまた愛だった。

冬の約束をする。冬生まれのクセして昔から冬が大嫌いだった。どんな言葉の後にも、「冬、嫌いだけど」という符が付く。約束も嫌いだった。するにせよ叶った試しが無い。季節を超えた約束は尚のこと叶わないのは冷たいジンクスだった。単なる惰性で約束を作りたがらない訳では無く、約束に嫌われている気がしていて、自分から離れていた。クリスマスに何をするか、という言葉が口からまろび出てきた時、正直自分でも驚いてしまった。クリスマスの私は何をしていて、またどうしているんだろうか。

愛という表現、言葉だったりの真にあるものは一人で無いという実感、ないし実見にあるものなのでは無いか、そう思いながら、貴女と私と、混ぜこぜになった洗濯物を取り込んで畳む週末の昼下がり、貴女が家を空けた瞬間から段々と空は曇天へと変わり始めていて、雲がゆっくりと流れている。


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