メロンソーダフロート / 創作
メロンソーダフロートの上に乗せられたバニラアイスクリームが緩やかに溶け始め、液面の混ざりが春の海らしい色を示し始めていた。細いストローを器用に持ち替えてその牙城を崩すと同時に反対側の液面がふわりと持ち上がり、それに倣って私も少しだけ不安定な気持ちになる。
「楽しいままで終わりたい」と書かれた遺書を残しつつ、僅か14歳でこの世を去った中学生の記事を横目に見ながら、もし仮に私が死ぬ時はどんな遺書を残すだろうかと、じっと考えていた。
飲み物につけ、食べ物につけ、生まれつき甘いものが好きなタイプでは無かった私は、慌てて頼んでしまったメロンソーダフロートを仕方無しに飲んでいる。
起き抜けの晴天があまりにも綺麗なものだから これ幸いと日傘を持参して外へ出たというのに、突如として出現した雨雲は天気予報を180度裏切る形で大雨に変えてしまった。海月の柄が施されているお気に入りの日傘は瞬く間に雨傘となってしまった。
降り込められた雨から必死で逃げた暁に入ってしまったとは言えど、特に頼むものなど無かった。表に掲げられた看板の色褪せを考えれば、引き返して帰途に着いた方が遥かに良かったのではないかと思うほどである。青白色で染め上げられたワンピースは雨水を浴びて、所所が藍色の水玉模様になっていた。頭だけが異様な程に濡れているのは、傘を畳みながらテントの雨水を存分に浴びてしまったことによるものだった。毛先からぽたぽたと垂れた水はテーブルに水溜まりをつくり、、というのは流石に大袈裟ではあるが、少し時間を置けばまあまあな量の水を集められそうなくらいには流れ続けている。これがなかなかに酷いもので、雨水で汚しては悪いからとハンカチーフを申し訳程度に座面に敷こうと立ち上がった拍子に滴った雨水がテーブルの上のグラスに入ってしまうほどだった。
その様子に見兼ねたマスターらしき老爺が水を入れ替えてくれる次いでに、タオルを一枚差し出してくれた。擦れた看板、日に焼かれたメニュー表。屋外に放り出されたナポリタンの食品サンプルの上に、いつ死んだのかも分からない蛾が鎮座していたところを見るだけで、タオルを手に取ることすらはばかられた。
しかし " 助かります " と言ってしまった手前使わない訳にもいかない。廃れた店の姿がタオルとザッピングして、思わずその場でまごついてしまった。そんな最中に「ご注文は」という言葉まで差し出されるものだから、真っ先に目に入ったメロンソーダフロートを頼んでしまったというわけである。
都市の急速な成長と共に、周辺の地域はベッドタウンと化していくような流れがあり、私の地元もまた例外では無かった。時代の潮流に倣って田地田畑がひっくり返された結果、幾つものマンションに生まれ変わっていくような地域で育った。
" 一生ここで暮らせる環境を " という思惑も大きく外れて、築30年を経過した集合団地は手の施しようがないほどの寂寞感に包まれている。嘗ては近所の間柄だった友人もとっくの昔に居なくなってしまった。
部屋のひとつひとつのカーテンが団地を彩って居たのもいつかの話、団地を窓側から眺めると入居者を募集する貼り紙がゲリラ的に掲げられているような始末で、唯一私はそこから逃げることが出来ずに居る。この場所が好きだとかそういった類の気持ちは微塵も無いが故に、穏やかな気持ちでは居られるはずも無く、そんな鬱屈を払拭する為に暇さえあれば団地とは反対の方向へと出掛けていた。
汗をかいたグラスから今にも零れそうなバニラアイスクリームは表面張力を器用に使い、すんでのところで踏みとどまっている。歳不相応な台詞で " 遺書 " という形を残した彼女も、閉幕を迎えた舞台は団地の三階、階下に拡がっていた植え込みの、ネモフィラの海上で発見されたという。テレビ画面に映る規制線と青々と光るネモフィラのコントラストは19インチでも充分過ぎるほどに生々しかった。
三階の鉄柵に手を掛けた時に彼女は何を思ったのだろうか、ネモフィラの繁茂する地表を見ながら何を思ったのだろうか、飛び出す場所など幾らでもある中でどうしてそこを選んだのか、私に無性に知りたくさせるものがあった。かねてより死という存在に後ろ向きな気持ちは微塵たりとも無かったけれども、幸せであるという一握の感情を死に持っていく発想など、これまた微塵たりとも無かった。その斬新さが私の好奇心を掻き立てて行くのが分かった。
三階の共用廊下に立ちながらふわりと防護柵を掴むと、外気によってそれらがほんの少し温もっていることを知る。立ち竦んで柵を手に取ったところで死の匂いなどする訳も無かったから、両手で力いっぱい掴みながら、身体をひょいと浮かせてみる。ここでバランスを崩そうものなら、空を切って下へと落ちてしまうだろう。しかしながら、その高さは必ずしも死ねるわけでは無いのではないか、死ぬには不十分な余白ではないのかと言う考えが湧くのだった。
死ねそうに見えて死ねない。生きていられるように見えて生きていられない。三階という階層は生死の狭間という階層を厭らしい形でゆらゆらとしていた。
氷が溶けて無くなっても、グラスの口元からメロンソーダが流れ出る様子は無かった。ストローをゆっくりと沈めない限りは、ずっとこのままで居られる、突出したバニラアイスクリームの脳天から、そんな自信すら感じられる。
店の脇を流れるバイパスを貨物トラックが劈く度に、液面が微々たるゆらぎを見せる。そのたゆたう様子を静かに見詰めながら私は、ひょっとしたら彼女は本気で死ぬと思って居なかったのではないだろうかと思った。死んでしまっても良い、という牧歌的な覚悟はあっても、直接的な死に対する覚悟など初めから無かったのかもしれない。あの言葉だって、あくまで " 遺書とされるもの " に過ぎない。たった数秒で書き終えることができるような数文字の言葉の中に死んでも、生きていても、という究極の二択を染み込ませていたなら、それはどんなに美しいことだろうか。もし仮に生き永らえた彼女がそこに居るなら、私は話をしてみたいとさえ思う。
手許でほどけて漏れそうで漏れないメロンソーダフロートも、沈む場所を失ったバニラアイスクリームも、一か八かの決断をした彼女の後ろ姿に似て、溢れそうなままでずっと同じところをゆらゆらしているのかもしれない。哀悼の意を捧げるにはあまりにも繋がりの無い関係性ではあるが、少しだけ、彼女に生きていて欲しかった。と思った。
グラスがやっとの思いで空になる頃には通り雨も止み、群青一色の空があちこちから顔を出していた。何かを悟ったような気持ちで会計を済ませた私の、頬の中にはさくらんぼがひとつ。たくらみがひとつ、入っている。
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