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子供の頃のサンタさん

今日は、11/29。早いもので、今年も後一ヶ月と少し。


コロナで、生活変わりましたね。


いつも、このブログをご覧いただき、心より感謝いたします。


真と心です。


12月と言えば、クリスマス。


キリスト教でも無いし、なんら関わりは無いのですが、


貧乏だった小さい頃、ケーキの食べられる嬉しい日でありながら、


サンタさんの来ない、悲しい日でもありました。


親の実情も知っているし、弟にはサンタさんがいることを話しながらも、


小学一年の自分には来ない、それこそが悲しい我慢の日でした。


救いは、学校が冬休みに入っているので、サンタさんが何を持ってきたかなどの話をしなくて良いこと。


パレンタインデーにチョコを貰えない事よりも、子供心には重い日でもありました。


貰えた子の喜びの顔で自慢する話を聞きながら、指を咥えて自分の境遇の悲しさを実感させられていました。


この辺りにも、自分の受け取る事に対するブロックが有るのが分かります。


欲しい日に貰えないって、子どもには酷ですよね。


みんなが貰っている日に、その話を耳にしながら、知らぬふりをしている子供の頃の自分を、


今、心から抱きしめてあげています。


「よく、我慢したね。よく、乗り越えたね」って。


子どもの自分に対して話すのですが、


どんなに欲しくても、手に入らないものは沢山あるんだよ。


身長がもっと欲しくても、それ以上は無理な事を実感する日も来るし、


肉体的なことは、何をどうしようと、変更は出来ないし、する必要もないんだよ。


医学的に、手を出せることは多いし、企業が生き残るために人と競い合わせている物事も沢山あるけれど、


そんなのに惑わされる必要もないよ。


もっと言うなら、好きになった人でさえ、相手にも意志があるから、自分には振り向いてくれない場合も多々あるんだよ。


逆に、自分を好きになってくれている人に、自分にはそんな意志は無いから、


冷たく当たったり、無視したり、酷いことをしている場合もあるんだよ。


そんな事に気づかないなら、いつまで経っても、つらい、悲しい思いばかりするんだよ。


貰えない人や相手にされない人の気持ちが分からないから。


それらが分かると、自分が好きな人から、好きだと言われた時の喜びが、


10倍にも100倍にも1000倍にも嬉しく感じられるんだ。


だから、手に入らないことを悔しがるのではなくて、


今手にしているもの、これから手に入るものに、感謝の心を持つと良いよ。


子ども同士の競争意識は、痛みを知るためにも、必要な時もあるんだ。


それを知らないで、大人になったら、いつまで経っても、「人と比較をするから、人を蹴落とそうとしてしまうんだ」


それに気づかない、そんな大人ばかりだから、いい大学に入って、いい会社に入ってとか、いい職業に就いてって、自分が出来なかった、


自分では、環境が整っていても出来るはずのなかった理想を子どもに押し付けたりするんだよ。


出来ないことがあっていいんだよ。


出来る人は、そこで頑張ってもらえばいいし、自分は自分で出来ることをがんばればいい。


その自分で出来ることが、我を忘れて集中してできたりすることなら、もっといいよね。


それによって、人が喜んでくれたら、とても良いね。


早く大人になりたいと思っているよね。


自分で稼いで、好きなこと、好きなだけするんだって、思っているでしょ。


実行していいんだよ。


やりたいことを好きなだけやったら、


やりたい人の応援をしたくなるから、


それを感じたら、


そこから、幸せの始まりなんだ。


それまでは、自分のためだけ。


人のために役立つ物事をしていて、喜ばれるのも大切なんだけれど、

関わった自分だけが喜んでいても、他に誰も何も反応しないから、なんにも面白くなかったでしょ。


でも、人がやりたいことが実現するように応援し始めたら、その人が喜んでいる事も、自分の喜びになるだよ。


子供の時は、友達にサンタさんが来ていることを素直に喜べないどころか、憎く思ったり、ひがんだり妬んだりしたと思うんだ。


それがばねになって、社会人になって頑張っている間は、全部自分のためだった。


だから、幸せは、自分だけで、直ぐに消えてしまう。


これからはね、人がやりたいことが実現できるように応援したり、お手伝いしたりするんだ。


人が幸せになったら、その人を見るたびに幸せを感じられるから。


こんな事を、子どもの頃の、サンタさんが来なくてしょげている自分に伝えました。

あの頃の子どもの私は、全てが全て手に入らなかった訳では有りませんが、


サンタさんは来ないし、誕生日プレゼントはプラモデルくらいが関の山でした。


中学生になった時の野球部のグローブもスパイクも、友達から笑われるネタとなる恥ずかしいものでした。


全く諦めていて、3年生になる前だったでしょうか。


突然、父と母が、グローブとスパイクを買ってくれました。


最新モデルではないにしても、友達並な物で、飛び上がるように嬉しかったけれど、


今更的でどれだけ嬉しさや感謝を表現できたのか分かりません。


全くあきらめていたから、手に入ったことが、今ならわかります。


生まれて3歳くらいで、物心ついて、それから直ぐに良い子で生きる事を自分に課した上に、


どれだけ手に入らないブロックを強く育てたことか。


もしかしたら、近所のおじちゃんが野球部の練習にたまに来てくれてましたが、


見かねて、父や母に口添えして、お金も出してくれたのかもと、思ったりもします。


父母であれ、おじちゃんであれ、今は、有り難い思い出であり、ブロック外しの経験まで貰えた、嬉しい思い出です。


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