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※御徒町・上野周辺を歩く※③上野公園周辺を歩く

御徒町駅から上野駅の東側を歩いた今回の街歩き。線路を越えて上野駅の西側、すなわち上野公園のある側にやって来ました。上野駅の東側はディープな上野でしたが、西側はある意味おなじみの上野かもしれません。そんな界隈をちょっとマニアックな目線で見てみたいと思います(笑)。
(前回の記事はこちら)

■上野公園の北縁を歩く

寛永寺の案内図。徳川将軍家の菩提寺。とても広い敷地のお寺です。
両大師とは、寛永寺開山堂の別名です。
残念ながら閉門時間を過ぎていました。

探索範囲を今昔マップで明治迅速測図と比較。明治時代の地図には、上野公園で開催された、「内国勧業博覧会」の会場が記されていて、その北側に徳川墓地がある形です。今回は徳川墓地の前を歩きたいと思います。

明治迅速測図との比較。まだJR線は無い時代です。
上野公園の台地上の線路沿いを歩くと、近代的な建物。
「日本鳩レース協会」という、なかなかインパクト強い団体を発見

鳩レース協会、結構活発に活動されているようで、ブログもあるようです。


その北側には、東京大空襲の慰霊碑が。
こちらは、殉死者の墓。徳川将軍が亡くなるたびに、
その家臣が命を落としたことを供養する石碑です。


こちらは寛永寺の厳有院殿霊廟につながる門。
ここは、徳川歴代将軍のお墓などが建ち並ぶエリアです。
左の林は、東京国立博物館の裏手、右が徳川将軍家のお墓という立地です。
そこにひっそりと通じる道路。
葵の紋章のついた墓地です。

■国立国会図書館 子ども図書館へ

ひっそりした道を左に曲がり、少し歩くと、見えてくる洋館。
国立国会図書館子ども図書館 です。昔の帝国図書館をリノベーションした建物。
玄関にある像。誰の像でしょうか?
昭和10年に作られた像。「先生原名 らふかぢお・へるん」すなわち、
ラフカディオ・ハーンこと、小泉八雲の像です。

小泉八雲さんは、英国人で41歳で来日し、東京帝国大学の教授として英文学を教えていたそうです。(後任は夏目漱石だとか)とても素敵な像が飾られた帝国図書館。そこが今も子ども図書館として使われています。

帝国図書館の内部を耐震改修し、リノベーションした美しい館内。
扉に「おすとあく」「しめきり」と書かれているのが、何とも素敵。
昔の帝国図書館時代の様子が紹介されています。

この建物は、1906年にできた帝国図書館を、2000年に改修したものです。改修の際には、坂本勝比古氏、安藤忠雄氏などがかかわったとのことです。とにかく素晴らしい空間ですので、是非立ち寄ってみて下さい。

■上野公園を歩く

ひっそりと佇む、「文話」と書かれたマンホール。文部省管轄だったからでしょうか?
少し歩くと、東京芸術大学がある交差点へ。その一角には・・。
京成電鉄 博物館動物園駅跡です。
とても重厚な地下駅の入口です。

博物館動物園駅跡ですが、普段は公開していませんが、2018年に一般公開した時に訪れています。

京成線の上野駅近くの地下線の途中に、20年以上前に廃止された、博物館動物園駅があり、建物も現存しています。その一部が一般開放されるアートイベントがあったので、やって来ました。文化財的な価値がある建物で、20年どころか、それ以上前から時間が止...

Posted by 加藤 隆 on Saturday, December 8, 2018
こちらは、上野公園周辺の方角を示すオブジェ。
茂みの下からは、列車の走行音と風が。京成電鉄の換気塔の上の空間のようでした。
東京芸術大学の奏楽堂。とても古くて趣のある建物です。
そして、上野公園へ。人は多いですが、広い空間です。


広い空間の一番先には、東京国立博物館があります。
昔の内国勧業博覧会は、この地で開かれました。
やはり有名どころである、西郷さんの像には寄り道しましょう(笑)。
明治政府から去った西郷は、西南の役に敗れて亡くなりましたが、
明治30年には、この像が再建されました。やはり支持者が多かったのですね。
内国勧業博覧会が行われていた頃の図が西郷さんの像の近くにあります。
その隣には、寛永寺の敷地が広大だった江戸時代の図があります。

■終わりに

上野公園の北端部は、鳩レース協会や徳川家のお墓がひっそりある場所。そこから西側に行くと、国立国会図書館こども図書館があります。静かできれいな空間は、しばし時のたつのを忘れさせてくれます。建物探訪や歴史探訪をするのにもとても心地いい空間でした。

この後最後に訪れた上野駅で、もう少し発見がありました。続きは・・
(続きは、こちら)


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