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【南大沢土木構造物めぐり】No.109 沼への入口(パートⅡ)

多摩ニュータウン・南大沢のすぐ西南隣は、町田市。八王子市と町田市の境界に尾根があり、それを越えると町田市になります。多摩ニュータウンのエリアの端部でもあるこの場所。そこを越えると、多摩丘陵の雰囲気を残す、味わい深い場所だったり、急坂のある崖があったりと、ニュータウンとはまた違うイメージの場所があるエリアがあります。

そんなエリアに、少し前の探索で、「沼入口」という、とてもインパクトの強いネーミングのバス停を見つけ、それはこの地区の地名であることを知りました。今回は「沼」集落をもう一度改めて探訪し、別角度から沼集落を眺めてみたいと思います。
(前回の探索はこちら)

■改めて、今昔マップで沼地区を確認

今回の探索エリアの沼地区を今昔マップで確認します。多摩ニュータウンのある、南大沢エリアがこの地図の北側(左の地図では「由木村」の領域)で、南側は「堺村」の小山字中村・沼・御岳堂という集落の名前です。

町田市の沼集落。古い地図で「沼」と書かれた集落の東側も、沼地区のようです。

今回は、古い地図で「沼」と書かれた集落の一つ東側にある谷部を訪ねるのが目的で歩きました。

■まずは、尾根幹線沿いから

尾根幹線沿いから探索開始。
この場所から遊歩道に入ります。民家が無く人気の無い遊歩道です。
遊歩道を登り切ると、坂上バス停。
後ろは南多摩斎場です。


斎場周辺には霊園が多くあります。その片隅にあるのは・・
丘の上にある、水道施設。
地図上で青点線で示される水道施設。
川崎市の水源となる水道のようです。
尾根から遠くを見ると、丹沢山系が。
町田市に入り、少し歩くと、谷底に向かう道が。
こういう道があると行きたくなります(笑)。
階段を降りる途中の斜面に、ヤギが(笑)。
坂を降りた住宅地にある、電柱のプレートには、「沼」の地名が。

坂を降りた先の電柱に、「沼」の文字がありました。先日探索した、沼集落は、もう一つ西側の谷筋かと思っていましたが、東の谷筋も「沼」なのですね。

谷底にも住宅地が広がります。
複雑に水路が通る場所です。暗渠でなくまだコルゲート管の水路が健在です。

複雑に水路が通る、住宅地の谷底。谷もなかなか複雑な形をしていて、昔はどこかに平坦な低い土地があり、そこに沼があったのかもしれない、などと想像できそうな場所です。その場所にあるのが・・、

その名も、「沼団地」。
今では「町田市小山」になっていますが、興味深い地名です。

沼団地。元々の地名が「沼」だったので、そのままのネーミングですが、沼にある団地というと、なかなか家が売れないイメージもしなくはないです。これと同じように、「パークタウン」や「瑞穂町」「緑ヶ丘」みたいな感じの良いネーミングの地名に変えられる場所(瑞祥地名)が多い中で、そのまま地名が残っているのは興味深い気もしました。瑞祥地名は、現代だけでなく、昔からついている場所が少なくないようです。川崎市の「幸区」だとか、北海道の「千歳市」みたいな地名です。

沼団地の看板の脇に、さらに深い谷底が。
谷底にある公園。このあたりが「沼」だったのかもしれませんね。
意外と新しい家も建ち並ぶ谷底です。

このあたりを、町田市の「洪水・土砂災害ハザードマップ」で眺めてみましょう。今歩いているのは、地図の上の「ふれあい町田ホスピタル」の脇から階段を降りたところにある谷底です。この谷底には、やはり浸水想定域や浸水実績がある場所がありそうです。宅地造成のために盛土等はされているのでしょうが。

歩いている「沼」は、避難する矢印の先に見える黄色い縦の帯。
ピンクの範囲は過去の浸水実績だそうです。
古びた「通学路」の標識を発見。昔からの住宅地だったのですね。
境川沿いの低地を走る、メインストリートの町田街道近くに来ました。
町田街道にある歩道橋から、歩いた谷戸を一望します。
谷の上も下も宅地化されている、なかなか高低差のある地形です。
沼団地付近を歩き、町田街道を渡ると、小山小学校に着きます。
創立149年という、とても古い学校です。

■終わりに

元々「沼入口」というインパクトの強いネーミングのバス停を見つけたことから訪れた、2回にわたる2つの谷戸の散策。「沼」っぽい場所がいくつかありました。そういう地名がきちんと残っているのは興味深いです。防災的な観点からは、谷底に宅地が広がる姿は、浸水等のリスクをきちんと考えないと危険な場合もあるので、こういう観点で街を眺めることも重要だと改めて認識しました。

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