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【南大沢土木構造物めぐり】No.81 沼への入口

今回の探索のきっかけは、街歩き途中で知った、インパクトの強いバス停の名前の存在です。バス停の名前が気になり、是非現地に行ってみたいと思い、行ってみました。

その名前は、「沼入口」。なかなかインパクトのある名前です。

神奈中バスHPより、南大沢・多摩境エリアの路線図を抜粋

主役となるバスは、南大沢駅から相模原駅に向かう、路線図でいうと緑色の系統。南大沢から南へ走り、八王子市と町田市との境界にある、「坂上」というバス停の次が、「沼入口」というバス停です。このバス路線、これ以外のバス停も、かなり興味深い地名が由来のバス停が並んでいます。それらの紹介は次回以降に譲ることとして、今回は、町田市内にある、沼入口のバス停近くを探索したいと思います。

沼入口バス停。パンチ力のあるネーミングです。

このバス停は、町田市の、南多摩尾根幹線道路の旧道を町田街道に向けて下る坂の途中にあります。普段から交通量が比較的多く、町田街道や尾根幹線道路の交差点では、多くの車で混みあっていることも多い場所です。南大沢から相模原に行くバスは、1日数本しか走っておらず、バスの時刻を下調べしておかないと利用が難しいバス停だと思います。今回の探索では、バスではなくて歩いてアクセスしました。まだバスには乗ったことが無いので、是非一度チャレンジしてみたいと思います。

尾根幹線道路の新道の高架下にある公園の名前は、ずばり「沼中央広場」。

バス停の周りを歩くと、尾根幹線道路の新道の高架下に、「沼中央広場」という名前の公園がありました。

沼町内会の防災倉庫

同じく、高架下に、「沼町内会」の防災倉庫がありました。どうやら、沼入口というバス停は、いわゆる「沼の入口」という意味よりは、「沼集落」への入口というネーミングだったのではないかと推察されます。

尾根幹線道路旧道に架かる歩道橋
歩道橋の名前は、「沼歩道橋」

【沼歩道橋】
2010年8月 東京都
立体横断施設技術基準(1979)
施工 親和興業(株)、製作 (株)加藤組鉄工所

この道路に架かる歩道橋も、「沼歩道橋」というネーミングです。
歩道橋ができたのは、2010年と比較的最近のことです。隣接する尾根幹線道路の新道の工事の影響で架け替えられたのかもしれません。

今昔マップでこの場所の新旧を比較してみたいと思います。

古い地図には、やはり「沼」という集落名が。

左側の1900年前後の地図では、このあたりは「沼」という地名になっています。ちょうど新道の北側に谷戸があり、谷戸の周りだけ、水田の地図記号があります。谷部でないところは、一面桑畑だったようで、水を得やすい水田の部分が、昔は沼だったと想像してみました。今の地図でも、新道のすぐ北側に、池のようなものがあるようになっています。そこに沼があったのではないかと考え、行ってみました。

駐車場の裏手に、池のようなくぼみがありそうです。

駐車場の奥に、少しくぼみになっているところがありそうです。

ちょうどこの部分が、池のようになっている。

確かに、少し池のようなものがあります。これが、「沼」の痕跡なのかもしれません。

坂の上には、何だか大きな貯留槽があります。

さらに坂を上がると、大きな貯留槽のようなものがある場所に出てきます。この貯留槽の下流に、先ほどのくぼみの池のようながあります。

貯留槽の正体は、町田市立 小山上沼公園

この場所は、町田市立 小山上沼公園と呼びます。先ほどのくぼ地の沼の上の部分という意味で、上沼公園というネーミングになっているのではないかと思われます。

一段低い部分に雨水が溜まる部分があり、その一段上に公園が併設されています。

雨水貯留施設は、お隣の運動公園のような場所と一体で整備されています。豪雨の時は、先日ご紹介した三ツ目山公園と同様に、水没してしまう設計になっているようです。

やはり「ここまで水がたまります」の標示あり

「ここまで水がたまります」という表示があります。

雨水貯留施設の概要説明板

【小山上沼公園雨水調整池案内】
名称 小山上沼調整池 管理番号 63番
貯水量 64,200m3 水深 12.7m 面積 51.74ha

やはり、境川流域は、こうした施設のバックアップが無いと、自然災害が頻発してしまうような脆弱性があるのではないかと思います。そのために、このような貯留施設が数多く作られているのだと思います。

尾根幹線道路沿いに建つ、公園入口の看板

尾根幹線道路に面したところにある、公園の入口の看板です。すぐ近くは、多摩境通りの交差点という場所です。こんな場所に沼の上流の調整池を伴った公園があるとは、知りませんでした。

【終わりに】

沼入口というバス停を見つけたことから始まった今回の探索。沼という地名と、その由来ではないかと思われる谷戸を歩いてみました。沼があったということは、そこは溺れ谷があり、沼の堆積物の粘土層など、少し地盤が弱いところがあるのでは?など、土木技術者としては、そういうことをイメージしておく必要があるのではと思います。昔の地名を知ることは、こんな感じで今でも役に立つことがよくわかりました。



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