講とネット
民俗学についてのTV番組で「講」を取り上げていた。元々は寺院内で僧同士仏典の研究や講義をするものであったが、それがやがて一般宗徒への仏典の講義の段階を経て、村や集落での集会へと転じていった。
それらは更に宗教的色彩がなく、集落で年代別・性別等の単なるおしゃべり会に転じていったものもあると言う。そして集会では家庭内の愚痴や悩みごとまで持ち込まれ、ある意味ガス抜きに利用されることもあったという。家庭内の悩みごとをそこに持ち込めば秘密はなくなるが、集団の力で解決されることもあったという。
しかし現代、特に都心部ではそんな集落のつながりのような秘密のない息苦しさはないものの、自分の愚痴を持ち込む場はない。やがてガス抜きが出来る場所がなく自分の愚痴等をため込んだ者のために、ネット空間が出来上がった。だがネットは愚痴の吸収力はあるが解決力はない。発展途上と思えるネット環境。どの方向へ行くだろう?
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