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アラフォー看護師4年目 ~新たな挑戦~

怒涛の3年目を終えて


3年目は所属病棟担当のRSTリーダーとして、慣れない業務をなんとかこなしながら怒涛の3年目を終えました。

けっこう頑張りました。NPPVやCPAPの導入、マスクフィッティング、呼吸器の設定調整の為の観察や日々のケア+医師との連携、分からないながらもいろいろな人に聞きまくって、なんとか食らいつく日々。

4年目に差し掛かると、呼吸器の経験がまだあまりない研修医の先生に名指しで呼び止められて、「CO2の値が高いんですけど、設定をいじりたいんですが。」と相談を持ちかけられたりして、(いや、、指導医の先生にまず相談してくれよ、、聞きにくいんかな、、。)とか思いつつも、どこか少しうれしい気持ちもあり、検査値や呼吸器のログデータを一緒に確認しがら、「理想体重を出しましょう。やっぱとりあえずは1回換気量を増やしてみます?それとも換気回数を上げますか?」など、まあベタっちゃベタなんですが、具体的な対策を提案するなどの場面も増えました。

疾患の進行により効果的な自発呼吸が難しくなってきた、気管切開を希望しないNPPVユーザーの患者さんの呼吸器の設定変更を、MEさんやリハ職やRST統括医師を巻き込んで検討したことも印象深い経験でした。
完全に機械換気に乗せてしまうのか、もう少し自発呼吸との同調性に重きを置いた方がいいのか。そして本人の希望と安楽を確認していく。
最終的には完全に機械換気の乗せ、次第に呼吸器に同調していく(=自発がなくなっていく)様子は、肉体の生命維持機能が残っていようが失われようが、患者さんの安楽を確保したことで目に見えて表情が和らいでいったことで、訪問介護時代に触れたある障害当事者の考え方を呼び覚ましました。

呼吸器も眼鏡も、おんなじようなものだと思わないか?

人生の質を上げるために、なんらかの道具を使いますよね。
その道具の中に、眼鏡があったり、杖があったり、
車イスや呼吸器もそのなかに含めていいのではないか。
ストマやペースメーカーなんてものもありますよね。


人生、これでいいのかな?

分からないなりに、なんとか少しずつ勉強して、その勉強した内容を病棟に持って行って試行錯誤する日々は、毎日毎日マンパワー不足で業務内容も整理されていない混乱した病棟状況であっても、実りあるものでした。

ただ、朝7時に家を出て、帰ってくるのは終電間近。
帰ってくると家は暗くて、ツレも子どもたちも寝静まり、
起こさないように台所だけに電気をつけて、ツレが作っておいてくれた夕食のおかずをツマミにビールを3本くらい飲んで寝る。
だんだん、心身に不調が現れてきました。

ツレにも、かなり負担がかかってきました。
ツレも週5で看多機で介護職として勤務していて、
定時で帰ってこられる分、ほとんどの家事育児はツレが担っていました。

そうこうしている間に、不整脈が出たり、
起床時に鉛のように体が重かったりと、
私の心身に具体的な症状がぽつぽつ出てきました。
ちょっとヤバイな、、、。

それでも所属する国立病院は、
独法化、コロナ禍、運営悪化、人員削減、給与や手当減、
補助金に頼り切った運営から、不採算医療分野でもなんとか黒字化しなければいけないという雰囲気がスタッフを覆い、余裕なんてありませんでした。

それでも「質の向上」という大義名分は鞭となって、
疲弊したスタッフを打ち続ける毎日。

人員も、モノも、お金もかけずに実現できる「質の向上」の
非現実性に気づきながらも、表面上は取り繕わなければならない毎日。

クレームやインシデントがどんどん増えていき、
それらはすべて現場の対応力不足で片づけられる毎日。


急に開かれた新たな道 ~ホスピス~

自分の心身も健康と家族の生活の質を取り戻したい、
病棟看護師3~5年目あたりで地域在宅ケアを目指す、
その2つの動機が強くなった時に、1枚のビラがポストに入っていました。

自宅近隣で、ガン末期や神経難病の方のターミナル期の方が利用する施設が立ち上がるにあたり、スタッフの募集をしているという事。
福利厚生は国立病院ほどではありませんが、手取りの額面としては遜色ない額でしたし、調べてみたところほとんど残業はないようでした。

神経難病の看護経験を活かせる。
在宅分野では必須となる、在宅ターミナル期のがん看護も経験できる。

すぐに問い合わせ、面接のアポを取り、面接日となりました。


有り難い事に、即採用となりました。
若いころにケア職種ではない食品業界にいた事や、年齢はアラフォーですが看護師経験年数自体はそこまでではない事はあまり否定的に取られず、訪問介護経験があることや、神経難病看護の経験を評価されたように実感しています。

もちろん、
面接の担当者に雇用条件や給与体系、福利厚生についても忘れずに確認。
退職金制度がまだない事については、面接官と「今後一緒に作っていきましょう」と含み笑いをして、iDeCoの加入を心に決めました(笑)。

キャリアアップはお考えですか?
施設長をやる気はありませんか?
お話していて、そういうこともご一考くださればと感じました。

面接官が唐突に,,,

正直、面くらいました。そんなつもりはなかったので。

が、これについては、実際の職場風土や、施設長や管理者がどんな様子でどんな働き方をしているか、それを見定めたうえで考えていくつもりです。
 
「私に務まるかどうか分かりませんので、今お返事はできません。実際に働く様子を見てまたご判断くださればと思います。」
そう伝えて採用面接は終わりました。


急に吹っ切れた人は近いうちに辞める人説

職場に退職時期を告げ、
限られた期間で然るべき成果を上げなければならなくなりました。

4年目の私は4月から、
病棟RSTリーダーとプリセプターチームのリーダーを兼任していました。

引継ぐことを念頭に置いて、自分でそれらの仕事をしていきながら、
かなり恐ろしい事に気づくことになりました。

新入職者指導に関するプリセプターに関わるマニュアルや指導スケジュールが存在しない事でした。

今までやってきた人の頭の中だけにそれらはあって、
中途半端な資料が病棟のPCのハードディスクに眠っているだけでした。
ここ数年間の前任者たちからの引継ぎ内容も、「自分たちはこうやった」という体験談レベルの「お話」のみでした。

そして、看護部の教育委員会も「感染管理を理由とした集合研修の中止」を大義名分に、ほとんどの新人教育のほとんどを、OJTとして内容の薄い計画と一緒に病棟に下ろすのみで、「あとはよろしく」と言わんばかりでした。

私は残された期間で、病棟における新人指導の標準化を目指して歯を食いしばる事になりそうです。理解できないタイプの人もいるにはいるのですが、これはきっと、私にとって今後に活きる良い経験になるでしょう。

残りの期間が決まっているからこそ、しがらみを振り切って、
価値ある何かを残したい。そんな気持ちであと数か月、働きます。


前の記事『アラフォー看護師3年目 ~お前はどこへ行く~』で、

来年度、私はいったいどこで働いているのでしょう?

と締めくくりました。その答えが今回の記事になりました。

私は秋から、ホスピスで働きます。
形式的には、最近増えてる住居型の有料老人ホームに訪問看護くっつけて看護師や介護士を常駐させているタイプの在宅サービスです。

ガン末期の看護ケアを中心に事前学習を進めているところです。

さあ、来年はどんな事を記事にしているのやら。

船出に乾杯


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