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【小説5】麻子、逃げるなら今だ‼︎〜プレ就活〜


全話収録⤵️

前日譚•原案(ノンフィクション)⤵️


5.プレ就活

 長らく専業主婦だった前田麻子は、夫には内緒で夫からの経済的自立を目指すことにした。
自営業の夫の手伝いはしてきたが、いわゆる「お勤め」からはご無沙汰だ。
正社員の由美とアルバイトの修については心配ないだろう。
高校生の進には今後、大学の費用が必要になる。
 きっかけは夫からの生活費の入金が遅れていることだ。
謝ってくれれば良い。
謝らなくても理由を説明してくれれば良い。
ところが夫は開き直った。
そこから芋づる式に、旅行用のお金や子どもにもらったお祝い金を夫が使い込んでいることが判った。
気持ちの面ではとっくに夫からは自立しているつもりの麻子だったが、気持ちだけでは生活できないのだ。
「夫の夢」だけでは生活費を捻出できないのと同じことだ。

 「実は就職活動なんてしたことないんだよね…」
麻子は学校推薦で就職した。
娘の由美もだ。
修は大学時代に始めたスーパーのアルバイトを中退後も続けている。
家族の誰も就職活動らしきことを経験していない。
加えて麻子はれっきとしたオバサンだ。
それを思うとスーパーでレジ打ちをしている人も、クリニックの受付をしている人も、ショッピングモールでお掃除をしている人も、お弁当屋さんで調理をしている人も尊敬に値いする。
どうやってその職に就いたのだろう。
自分には何ができるのだろう。

 取り越し苦労性の麻子は、やる前から先のことを心配しては尻込みしてしまう。
 「やりたいって言ってたのに申し込まないの?」「行きたかったら行けばいいんじゃない?」と今までに何度修や進から言われたことか。
 今度こそは行動を起こしてみる。
先ずは日曜日の新聞に折り込まれている求人チラシを見比べてみる。
スーパーに行っては店頭のラックから求人情報誌をもらってくる。
図書館に置かれているフライヤーや冊子をもらってくる。
市の広報誌に挟んであるチラシにも目を凝らす。
地域のフリーペーパーの求人欄も真剣に読む。
 「就労支援を受けて3ヶ月で就職できました」というシングルマザーの体験談に吸い寄せられる。
今は10月だから3ヶ月後の1月には仕事を始めようと目標を定めた。
それにしても就労支援って何だろう。

 最初に訪れたのは体験談の文末に書いてあった就労支援センターだ。
今では平仮名の優しげな名前に変わっている。
どきどきしながら電話で予約をし、指定の日時に担当者を訪ねた。 
職場を紹介してくれる訳ではなかったのは期待外れ。
担当者が丁寧に麻子の状況を聞き取って、就職に向けてどういう手順で進めば良いのか、どんな準備が必要かを教えてくれた。
 「一発目で決めてやる」くらいの意気込みはぺしゃんこに萎んでしまったが、担当者が話しやすく麻子の意図も汲んでくれる女性だったのは助かった。
次回の予約を取り、その間に具体的な希望をまとめておくよう宿題を出された。
職歴もなく運転免許しか持っていない家族持ちの女性がいきなり「正社員で末長く働きたい」しかも「何ができるのか、何をしたいのか判らない」では支援をする方も大変だろう。
いっそのこと母子家庭の方が支援をしやすいのにと言われた。
気持ちだけは何年も前から母子家庭のようなものなのだけれど。

 できれば空調の利いている屋内で働きたいと思ったが、事務系の仕事に正社員は要らないと言われた。
若くてパソコンスキルがある派遣社員が居れば良いそうだ。
事務系の資格を取ろうかとも考えたが、最近は優秀なソフトがあるのでパソコンスキルがあれば特別な資格はなくても構わないらしい。
腰を上げるのには時間はかかるが走り出したら止まらない麻子は、他の就労支援も調べてみた。

 自治体が主体ではないが最初の支援センターとも連携しているらしい。
偶然にも麻子の担当者とかつて同じ職場だったという人がここでの担当になった。
しかも「あの人は頼りになるのよ」と聞けば心強いことこの上ない。
ここでも同じようなことを訊かれ、家庭の状況と麻子の気持ちを包み隠さず答えた。
 「あのね前田さん、失礼だったらごめんなさい。
実はねシングルマザー向けのパソコン講座があるの。勿論無料よ。
前田さんのご家庭って母子家庭みたいなものじゃない?
その気があるのなら私から申し込んでおくけどどうされる?
講師は違う自治体で就労支援をしている女性だから、パソコン以外のアドバイスももらえると思うわよ」
麻子に異存などあろう筈がない。
一歩踏み出してみるだけで勝手に繋がりができるなんて…

 夫が出張で殆ど居ないのは有難い。
子どもには手がかからないし、それどころか麻子のプレ就活に協力的ですらある。
麻子より子ども達の方が、父親と離れたがっているような気がするのは気のせいだろうか。
 他市から来ているパソコン講師も麻子の担当者を知っていると言う。
別々にアクセスしたのに不思議なことに全員が繋がった。
ご縁とはこういうものなのか。
無信論者ではあるけれど神様に手を合わせたくなる。
そして揃いも揃って「求職現場の現実を知る為には一度ハローワークに行ってみるといいよ」と麻子に提案する。

 就労支援の予約とパソコン講習のない平日に思い切ってハローワークに行ってみた。
案外明るくてきれいで静かで、職を求めてガツガツという雰囲気はなかった。
 初回の登録を行い、順番を待って窓口で相談する。
今回は男性だが誠実で話しやすく、初回から思いがけず話が弾んだ。
就労支援を受けていること、パソコン講習を受けていることを褒められ嬉しかった。
 男性は、正規ではなく契約職員なのだと言った。
一流メーカーをリストラされ、ボランティアを経て正社員として介護の仕事に就いたが腰を傷めてやむを得ずハローワークで働いていること、いつかは正職員として介護の仕事に戻りたいこと、介護は成長する業界だということを熱く語り直通電話番号を書いた名刺をくれた。
 「前田さんは絶対に向いていると思いますよ。前向きに考えてみませんか」
確かに空調の利いた屋内で働きたいとは思っているが、麻子の選択肢に介護の二文字はない。絶対にない。
 「良さそうな人だっただけに残念だったな…」
差し迫って生活に困っての求職じゃないから別にいいか。
次の機会に頑張ろう。
途中の商店でコロッケを買って家路についた。
(2525文字)


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