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53 人は死に時を選ぶ

今日は昨日の残り物もあるし、一品でいいか、とできたおかずを手にいつもみんなでご飯を食べていた母の部屋に行く。


すると、父と姉が母の様子を近くで見ていた。私も急いで近づくと、母の呼吸が変わっているのに気がついた。さっきまで聞こえていた呼吸音は消え、すぐに、これこそが死の直前、最後の兆候、下顎呼吸だと理解した。


息が喉を通る音はもう聞こえない。呼吸のために必死に働いていた腹筋はもうお休みしていた。


口を微かに動かし空気を入れようとしている。


20分間、離れなかった。離れてはいけないと思った。 


耳元で伝える言葉は感謝しか出てこなかった。


これまで頑張ったね一緒に暮らせて楽しかった本当にありがとう大好きだよ


人は最後まで耳は聞こえている、と医療従事者の方は口を揃えて言う。ネットにもそう書かれていた。


意識もない、白目をむいて、口をなんとか動かすだけの母。


言葉が届いているかなんて分からない。むしろ聞こえているとは思えない状態だ。でも届いてほしいと思った。届いていなくても、届けることやめてはいけないと思った。これが母の最期、59年間の集大成。本当は一分でも一秒でも、もっと長く生きてほしかった。もっと一緒に居たかった、もっと、もっと。


でも彼女はずっと頑張って、我慢して、頑張って、戦い続けていたんだ。


満身創痍な肉体からやっと開放される時がきたのだ、止める権利は誰にもない。


呼吸間隔が伸びる


胸に耳を当てる


静かだった。


19時57分彼女の時が止まった。


まさに私の調理が終わった時。家族が揃うのを待っていたかのように下顎呼吸が始まった。


人は死時を選ぶとはこのことか、と。母は私を、待っていてくれたんだ。



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