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びっくりするくらい左遷させられたけど、給料が上がった――自己啓発をバカにし、インフルエンサーを否定する

 恐らく筆者はもう出世しない。

 筆者の所属している部署の平均年齢は52歳らしい。入社9年目の筆者が若手の域を脱せないのも納得である。ちなみに筆者の部署出身で偉くなった人は一人もいない。逆に言えば、「偉くなり損ねた人」がたくさんいるのだ。
 筆者の直属の上司はこの前、55歳を迎えた。
 役職定年を迎えて、ちょっとガッカリしていたが、それなりにエラくなっていたのでそれなりのポストに落ち着いた。周りから見れば「十分じゃないか!」と思うが、長いこと仕事に人生のほとんどをブチ込んできた人だったので、ちょっと気の毒な気もしている。
 先述の通り、筆者は泣く子も黙る花形部署から恐らく過去最高クラスに左遷させられた。あまりのスピードと距離に「大谷の打球みたい」と思った。様々な年齢層の社員がいる大企業にあって、毎月のようにやれ役職定年だ、定年退職だ、再雇用だなどという言葉を聞くのは結構珍しい。

■上司と今日もケンカをする


 ほんで、筆者は何をしているのかというと、SNSとかネット対策周りのことをやっている。話題になりそうなものがあればそれを拾って、それを生かしてマーケティングっぽいことをする仕事だ。冒頭の上司は元々、超一線級の社員で社外講師とか任意団体の講演会に呼ばれたりするエライ人だった。で、筆者はこの上司としょっちゅうケンカしている。

 で、ある日、ゲームのRTAについて熱く語っていた。
 筆者「○○さん、RTAって知っています? ドラクエをね20分とかでクリアするんですよ」
 上司「どうやってそんなことできんの?」
 筆者「ホットプレートで温めたりするんですよ。面白いですよね」
 上司「へー。なんかもっと役にたつことすればいいのにね」
 筆者「生きるのに、役に立つことばかりが必要なわけじゃないでしょう。なんでもかんでも啓発しちゃだめですよ
 上司「そうかなぁ……」

 上司は少し首をかしげて、筆者の話を聞いていた。

 思えば、筆者が花形部署にいたとき、脳のほとんどが思春期の中学生の如く承認欲求で満たされていたような気がする。とにかく上司の言うことをクリアして、クリアして、クリアして……。その先にその上司に上に導いてもらって――。そんなことばかり考えていた。自分は違うぞ! と言い切れる人はそう多くはないはずだ。一生懸命仕事をしているなら、なおのこと。

 でも、筆者は左遷させられる直前に気付いたのだ。
「あれ?ウチの会社の社長と原宿のワタアメどっちが有名なんだろう」
 以来、自分の考えはしっかり上司に言うようになった。すると、仕事をすることが少しずつ楽しくなってきたから不思議だ。

■ぶっちゃけ、多分、今のインフルエンサーだって歴史には残らない


 世は承認欲求の大全盛期。SNSのフォロワーの数を皆競っている。登録者が数百人程度の人でも「オンラインサロン」「副業」だのウサンクサイことを歌って、自己啓発本がバカバカ売れている。

 ちょっと前までよってたかってボロクソ言っていた青汁王子だって、ヤンキーが集まった大会出身の格闘家だって、情報商材を売っている左右の髪色が違うユーチューバーだって、フォロワーが増えたことで「影響力がある」と自ら公言するようになり、実際その人達の一挙手一投足に注目が集まる。

 筆者はまだまだ30代前半。おそらくは同世代であろう皆さんの活躍ぶりに、少し情けない思いもすることがある。

 優秀だった大学時代、何の疑問も持たずに入った大企業。でも、挫折し、転がり、大谷級の打球速度で左遷された。更新の止まったnoteのフォロワーが急速に増えるわけでもなく、お金は決まった額しか入ってこない。それが現実である。

 ぶっちゃけ、疲れる。

 だけど、おそらく、人生の価値はそんなところで決まってこない。確かに筆者は明らかに窓際部署にいるが、最寄り駅について家路を急ぐとき、2人の娘と妻を思い浮かべる心の安らぎは本物だ。地元の古本屋で心躍る作品と出会ったり、妻の作る美味しいご飯を「デブなんだから食べ過ぎないで」などと言われながらおかわりしたり、そういうときに心躍る。会社で座る座布団が上がったり、noteのフォロワーが増えたりすればもちろんうれしい。でも、どこかで「なんかウソっぽい」と思ってしまうのも事実だ。

 幸せを感じるのは自分のハズだ。昔、フランスの社会学者が「世の中は消費ばっかりでクソ。マジ、記号でモノを判断しているからクソ過ぎる」(要旨、ジャン・ボードリヤール「消費社会の神話と構造」)と言ったが、全くその通りである。

 もう目先のモノばっかり追いかけて、マインドフルネスして、コミットして、フォロワー増やして、フリーランスで副業して、トライアンドエラーして、インフルエンスして、サクセスして、ナイトプールしても、もう満たされない。またナイトプールしたくなるのだ。無限ナイトプールの円環は、眼前に迫っている。

 そんなことより、筆者は2人の娘を抱きしめる。元風俗嬢の妻の言葉に耳を傾ける。筆者の命をこの3人に預け、この3人の命を筆者が引き受ける。きっと、そこに幸せがある。人生がある。

■ワタアメに勝てないんだったら、もう別にいい


 筆者の会社の名前を知らない人は、この日本にそういないと思う。だが、社長の名前を知っている人は、原宿の七色のワタアメを知っている人よりも少ない。だから、ぶっちゃけ偉くなったり有名になったりしても、そこで持つ影響力なんて、けっこうシレているのかもしれない。

 30代に入り、思い通りの人生を歩めなくなった友人が増えている。
 この話をある友人にしたときに「前も聞いたけど、そのワタアメ理論いいよな」と言っていた。結局友人は、雑魚部署に赴いた。だが、どこか納得いった様子だった。筆者はこの友人が、今まで重ねてきた努力を知っている。全部は報われなかったけど、「最後までやった」という清々しさは、おそらく人生を貫く。

 連休が明ければ、筆者はまた上司とケンカをする。
 次はもう外に出向するしかないと分かっているが、今はただあるもの全てをぶつけていきたい。もう出世しないから、もう誰から認められなくたって、自分の思ったとおりに生きてみたいのだ。

 こんな風に思って仕事を始めてはや1年半。なぜか今までにないように昇給し、別部署と連携する仕事が増えた。その理由が今なら少し分かる気がする。

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