今年も最後ということで

今晩は。現在2022年12月31日0:00です。普段はこのチャンネルではnoteを作成するということはまったくと言っていいほど無いのだけれど、本日は2022年最後の日ということを理由に記事をだらっと書いてみることにした。
夜七時とかでもいいではないかと言われそうだが、それは同でも良いことだしそもそも俺はその時間帯は友と通話をしているのでnoteをその時間帯に書くという気がまるで生じないというだけのことだ。

①まずは前振り

とりあえず、本日の曲を紹介しておこうか。

今となっては少し懐かしい曲かもしれないな。藤原竜也主演の青のSPの主題歌を。

あとはこんな曲も良いかもしれない

夜に聴くにはかなり気に入っている曲だ。雨がしとしとと降り、雨粒が窓ガラスに付着したなか、少し冷たい長雨の状況が目に浮かんでくる。天気の子はまだ見ていないのだけれどそれはまぁ、許してくれ。ってなんか獅白ボタンがグランドエスケープを二周記念でねぽらぼで歌っていた動画を見つけて少し驚いているのだが。

最後は12月の曲と言えばこれということで

騒音のない世界というアーティストが作った月面の鯨と言う曲を。

さて、前置きというか本日の記事のお供の曲はこんなところにしておくか。とはいえ、今回は久しぶりということもあって相当程度長期に渡りそうだからこの三曲だけで収まるわけないが。まあその時はこの記事を読んでいるという世界でも類を見ない極度のお人好しさんの好きな曲でも肴にしながら読んでいただければ幸いである。

②最近の一週間

実はこの一週間、俺は新型コロナウイルスに感染していた。感染経路は100%これとは断定できないが、家庭内感染。父親なる存在(俺としては、もはやあれは人と認めるに値しない存在だと思っているのでなる、と言う言葉を付けている。あれは人間失格だ。人間になり損ねたゴミである)が今月19日に外出したらしいが、その翌日に体調不良だったらしい。まぁ声の調子がおかしかったから嫌な予感はしていたが、本人は新型コロナウイルスなどに感染していないと愚考し検査も一つも受けていなかった。そのうえ体調不良を家族には報告等することもなく、洗濯物とか触るわ台所の手拭きに触れるわで細菌をばらまいたのだろう。おかげで俺らも二日後(すなわち21日だ)には喉に違和感があった。んで、22日には俺は喉がひりひりするような症状が本格化、母親は39.4℃の高熱だった。どう考えてもコロナに感染したとしか考えられなかったので、俺は21日の段階で新型コロナウイルスのPCR検査を実施してくれる病院や、保健所、対応マニュアルとかを検索して調査しておいたのだが、調査しておいた甲斐があった(なお調査時刻は21日23時後半)。22日に俺らは検査を受けたのだが、当の疫病神は「俺は熱が無いからコロナなわけがない」と一点張り。検査を受けることを拒絶。殺してやろうかと思ったがな。まぁ運が良いことに自宅から徒歩5分ほどの病院が検査を受け付けてくれていたのでそこで検査。25日に結果が出たが、陽性だった。だろうな。母親には高熱の中無茶をさせてしまったかもしれない。そこはちと申し訳ないなと。緊急搬送してもらえばよかっただろうか。当の疫病神は23日金曜日に受けてきた。未だに俺はコロナじゃないと言い張る疫病神に、母親は堪忍袋の緒が切れたようで(当然だがな)、検査受けろ!と怒鳴っていた。23日には俺が体調悪化のピークで、午前中は体を動かすこともままならなかった。どうやら母親の一日遅れで体調変動をしていたらしい。その日の午後にはインフルエンザの可能性があるのではないか?という母親の知人的存在から受けて、先の病院とは別の病院でインフルエンザ及び新型コロナウイルスの抗原検査を受けてきた。結果、新型コロナウイルスの抗原が陽性反応を示したので、「あーあ、やっぱりか」である。俺らはインフルエンザの予防接種を受けていたし、通常のインフルエンザであれば、感染してもワクチンを受けていれば39℃にまでは上がらないはずである(俺は少なくとも上がったことはない)し、喉がひりひりすることも無かった。新型コロナウイルス以外に考えらえるわけがないのである。検査を受けた後、諸々の登録(病院側から渡された)を行い、食料等の支援請求を行った(スマホに機種変更してもらっておいてよかったとこの時ほど思ったことは無い)。食料は26日にやってきた。その時には、俺も母親もだいぶ回復していたが、頭痛だけがあるような感じだった。しかし、世間ではクリスマスとやらでうっきうきのハイテンションクライマックスなマインドコンディションのなか、俺は新型コロナウイルスという災いを味あわなければならないとか言う理解不能なこの状況。最悪なクリスマスである。おまけにクリスマスファスカは手に入れられなかったし。無課金の宿命とはこのことか?とは思ったものの、これ以上最悪のクリスマスは少なくとも俺のクリスマスにおいては存在しない。てかそもそもクリスマスが俺にはやってこなかったようだ。俺が何をしたというのだ。まったく。とりあえず、29日には俺も母親もほぼ回復しきったが、療養のなかで相当程度体力を消耗してしまった。おかげで大掃除は出来てはいない。いつも通りの掃除にとどまってしまった。動きすぎるとお互い息切れを起こしかけるし。後遺症ではないことを祈るばかりだ。

東京都による援助

マジで東京都に感謝である。クーリッシュやソルティライチは俺は飲みまくった。療養状況にはありがたいものばかり詰まっていたので助かった。
さて、とりあえず、ここからはどんなことを療養中にしていたかをざっと書いておく
・薬をもらったので、ちゃんと飲んで寝た。
・水分は取りまくる。
・加湿器を枕元に持ってきて加湿をガンガン行う。
・De'Longhiがあったので、部屋をこれで暖めておく
・換気は絶対1回以上一日に行う。
・大正製薬のヴィックスVapoRubを塗りまくって肺への影響を出来るだけ抑え込む
・当たり前だが室内でも寝るときであってもマスクは必ず着用。
・体調悪いと思ったら速攻で医療機関調べて即検査を受ける
こんなところだ。26日にはたまたまTVで孤独のグルメを放送していて、急に食欲が刺激されてしまい、家に残っていたおでんを食べまくった。いささかしんどかったがしっかりこの時食べたことも回復速度を底上げしてくれたのかもしれない。

次に、今回の感染を通じて思ったことは、体調不良だと思ったらすぐにでも(可及的速やかに)検査を受けて欲しいということだ。当の疫病神は感染したと思われる日から3・4日後とかなり対応が遅かったため、一番治りがわるい。俺からしたらざまぁ見やがれゴミカスが。という程度で冷笑して終わるだけだが。いい気味である。とはいえ、俺がそう思うのはやつのゴミさに由来する(横領行為まがいなことを平気でするしな)ためなので、他の一般人には別に恨みはない。初期対応の早急さは完治や回復状況に大きく影響しうると思うし、コロナではないという根拠のない自信は他人を不幸にするだけだ。検査を受けたりするとかの対応をせずに普段通りの生活を送れば最近は拡散される。他者にとっては迷惑以外の何者でもない。こういうのが無ければ感染者は少しでも減らせると思っている。そうすれば医療負担者への影響も減るだろう。体調が悪いと思ったら速やかに新型コロナウイルスを疑い、対応していただきたいものである。
あと、日常生活における感染対策も怠らないで欲しい。マスクを着用する、アルコール消毒を行う、手洗いうがいは石鹼を用いて行う。最近、大学とかで外に出かけることがよくあるのだが、お手洗いから出てきても石鹼を使って手を洗わないという人が多すぎて驚愕している(当の疫病神は石鹼を使って手を洗わないです)。しかもハンカチすらも持っていない。非常識か?と疑ってしまったくらいだ。ワクチンうんたらかんたらいうのはそれはそれで構わないけれど、そのくらいの基礎対策くらいは履行していただきたい。家庭内感染とかどうしようもない事情で感染したらそれには帰責性はほぼないと思うけど。
そんなところかな。

➂とあるテレビ番組を見て

さて、そんなコロナ療養期間中、ほぼ症状も回復したなかで、とあるテレビ番組を見ていた。たしか、今年歌詞検索が多かった音楽家トップ10みたいなことが取り上げられていた。そのなかでRadwimpsというアーティストがいたのだけれど、その方の曲が5つほどあり、その一つに正解という曲があった。18歳がたくさん集まって歌うというのがすぐに想像されるだろう。テレビ映像ではその歌い手たちが涙を流すというシーンもあったが、俺は正直に言うとその心境があまり理解できなかった。何故涙を流すのだろうか?と疑問であったのだ。まぁこの時は「俺って相当心が枯れてんのかな?ww」なんて半分冗談、半分真面目に思った。
ぶっちゃけると、俺からすると何もかもがアタリマエ?のような言葉にしか聞こえなかったのだ。そこら中にありふれた言葉。でもそこらにある言葉が俺からするとなにか間違っている、というようなもので。
そもそも中学高校という時代においての勉強というものとは全く違うものだし、そもそもそういったことを他人は教えてくれるほど親切なわけないし。結局個人の問題なのだから他人に教えてもらおうなんてなんか違和感あるハナシだし。さらに言えば人間同士が分かりあうなんてまぁめちゃくちゃきつい話だよなぁって思うし。

まぁ中学が義務教育にあるとして高校の存在意義が何だろうって考えたときに、あまり明確な目的を持ってる人ってたくさんいるだろうけど、その一番密度が濃くなりうる時期って結局は通過点として認識していることが多いんじゃないかなって。金が無いとまず生きていけないけど今の日本社会って高学歴じゃないとまず金も満足に入らない。ただでさえ人は他人を人として見ていなくて、道具とかコンテンツとかそういうようなものでしか見なくなっていってしまうのだけれど、そうされないようにするために受験戦争と言う名の斬り合いを行う戦場に立たされることを多くの人間は余儀なくされるってのもまぁメタいんじゃないかな。本来そこの内部ではカネのしがらみとかも無い中で過ごすべき場所なのに現実的にはそうではないなんてこと少なくなくて。なんとも窮屈だよね。

っと話がそれた。ただ、その「時代」にバカやって、はしゃいで楽しく生きる選択をしても、受験戦争学歴戦争と言う名の戦場に身をゆだねる選択をしても、誰もあの歌の歌詞にあったことは教えてくれない。てかそれがアタリマエだと思ってる。人間は不親切なイキモノだよ?世の中の99.9%は自分のことなんて石ころのように思っている。酷いこと言えば、生きてても死んでてもどうでも良いのさ。関係ないのだから。そして残り0.1%のうち99.9%は自分のアンチって奴らさ。自分のことを忌み嫌い、憎悪を向けてくる。まぁネットでよく炎上っていうのが起こる傾向にあることからすれば自分のことにプラスの感情を向けてるなんてそう滅多にないよね。自分の本当の仲間って、世の中の0.01%?もいないでしょ。てかそれは多すぎか。80億人もいるなかでその計算だったら絶対値換算したらかなり多いもんなw自分のために世界的に回してでも自分の命捨てる覚悟で戦えるって覚悟無いなら仲間なんて名乗る価値無いと思ってるから、そう考えると自分の本当の仲間って10人もいないんじゃねえかな?10人もいたらめちゃくちゃ出会いに恵まれてる幸福な人間だと思うよ俺は。とは言ってもその無関心な階層にもそれなりに「まぁいいんじゃないのそれはそれで?」と受け入れてくれた俺にとってはかなりのアホなお人好しはいるのもまた事実よ。俺にとってはかなりありがたいよね。みんな違ってみんないいっていう気持ち悪さが無い。自分を認知してくれていること、どう思うかは別として他愛もない話を出来るということ。これだけでどれだけ人の精神は救われるか。これはぶっちゃけると、発達障害のグレーゾーンと言われ、異常者というレッテルを張られ世間で存在までをも否定的に評価され、当然周りからも言動すべてが忌み嫌われている俺だからこそそのありがたみが分かっているつもりだ。対人関係ではそこそこ苦労したかもなって思ってる。それに、他人に拒絶されるのがなんぼだと思ってしまっているから、拒絶されてもあまりどうこう思わないし、まぁ所詮そこがそいつとの限界線だったのかもね、と切り捨ててしまうことにしたのだ。高2の後半くらいかなぁ。まぁそういうのもあるからか、あの歌にある悩みってかなり対人関係の中では贅沢な悩みだなぁと思わざるを得ない節もある。恋愛関係もかなりの贅沢ものだし、悔しいことがあってもそれって大抵自分に非があることが多いから単純に悪人が自分である以上自分の心を慰めるなんてふつうは甘ったれてるし。傷ついた友を励ますことはしたいと思っても、それって知ったような口を利いただけではないかと思うこともあるから積極的に励ますなんてことは絶対にしないって決めてるし。話を聞くことはしたいけれど、過剰介入は非合理的だから。怒鳴り合うということもまずないかも。自分が正しいかどうかなんてわからないし、それは一つの呪いだからだ。正義感や信条は時として呪いになる。

それに、答えが無い、といっても、それは絶対解が存在しないだけで、最も妥当というべき正しさを持つ解というべき『正解』を持たない問は存在しないのではないかと思う。結論から逃げられないことも多く、必ず結論を出さないといけないのかもしれない。いろいろ解答はあるだろうけれど、『正解』は社会的に見て妥当な範囲内にあると言え、かつそれが最大利益をもたらすということだと思った。それが本当なのかは俺も分からない。存在するのは証明不可能な【戯言】で満ち溢れた【混沌】『だけなのかもしれない』。実際、じゃあたとえば名探偵コナンのジンやウォッカのような殺し屋になりたいですとかいったらそれはあかんやろっていう人多いと思うよ俺は。だってそれはあなたの中では正解でもそれは間違いだと世界で言われるのだから。やっぱり正解が存在しない問題は存在しないって思うけどなぁ。答えがすでになかったら社会の中で極論人が生きてくことすら難しくなると思うで。

そんなことまで思ってたからか、俺はあの曲に対して全くと言っていいほど感動するなんてないし、自分のことなんだからそんなの自分で対処しろよ他人が教えてくれると思うなよ甘ったれんなで吐き捨ててしまうのだろう。歌詞は悪くないのだろうけど、何一つ琴線に触れることは無かったかなぁ。
だからと言って別にこれはダメだとか言うわけじゃないよ。俺にとっては何とも思われなかったって少し過激に言ってるだけね。

これだから俺は心が枯れてる、なんて自分のこと冷笑してたのかもねw

④呪いであふれかえる地球

最近、時々呪術廻戦というのを調べたりするのだけれど(漫画は買わない主義です理由も誰にとってもどうでもいいので書きません)、人間=呪いじゃね?なんて思ったりする。呪いって言うとなんか『人に災いをもたらす』とか『災厄』とかのマイナスなイメージ持たれがちだけど、ここでの意味はそうではなくて、【拘束してしまうもの】ってことね。天与呪縛の呪縛っていうのがいい例かも。天から与えられた『縛り』。縛りってのは至る所にあるわけで。だって、価値観が無い人間がいますかね?って考えた時にいないでしょ多分。夢を持たない人間がいるかって言ったら乾巧はそうかもしれないけど、彼は夢を守りたいと思ってるわけでしょ?その思いに縛られていないとは言えないのだからそこには拘束或いは拘束にきわめて類似した何かがあるわけで。拘束されまくりだよね。人格形成に資するものも呪いだし。人間社会のすべてが呪い。雇用関係なんて典型的な呪いだよね。雇用を受ける代わりに、仕事をするという役務提供で金を得る。まさに両者を縛り付けている。素晴らしき呪いではないか。てかさっき人間=呪いって言ったけど、地球=呪いでも過言ではなさそうな気がしてきたwwww
だってさ、植物が光合成するためには水と二酸化炭素と光が必要だし、葉緑素も必要なんでしょ?植物が生きるための条件だよね?縛りだよね?野生動物だって階級とかあるらしいじゃん?あれで団体・集団というのを守る代わりに個々も生き残る策でしょ?呪いじゃん。もうこの世のすべてが呪いで出来てるじゃん。呪いのない世界ってかなり厳しいものがある気がしてきたね。
でも俺はその呪いっていうのを別に否定的にもポジティブにも捉えているわけではなくて。その呪いが災いをもたらすこともあれば、通常では起こせない奇跡を生み出すこともあると思ってる。実際植物の光合成とか水素結合とかいう呪いが今の地球環境作ってきたと言っても間違いではないだろうし。
って考えると、呪いって悪いことだらけじゃないんだなって。問題事項は呪いの無い世界は存在することが不可能ないし不可能に近いほど困難なものだと考えた先に、その呪いを如何に活用するかだよなって。プラスでもマイナスでもないものの使い方ですべて変わりうるっていう。
そんなことを思ってた。

呪いのすばらしさを共有しよう!感動できる!呪いが大好きだ!
ってことなのかもねww

ってやば。もう3時じゃん。今日何やろうか決まってないんだよなぁ。さーて今日はどんな呪いを自分に掛けようか楽しみだなぁ

さて、今日はこんなところで終わりにしようかな。ほいでは皆様、良いお年を~!

The End ~Curse is THE ONLY And PERFECT Element on The Earth!!~

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?