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修正することの恐怖

「修正=マイナス」という考え方を改める。

 肯定だけでスムーズに進む人生は120%存在しないことを私達はいつしか忘れてしまい、まるで予定調和の生活を歩んでいるかのような立ち入る振る舞いに精を出す。

 名門大学を出身しなければ仕事がスムーズに運ばないだろうか。それも一つ可能性としては考えられる。当然、必要となる熱量に差異が生じるだろう。その差異の幅だけ他の物事に力を注ぐことができる点を考慮すると有利である。ただ、目標設定に向けて''修正する力''を備えていれば必ずしもそうとは言えないのではないだろうか。

実に極端で非現実的な例を挙げる。マラソンについて。多くのランナーが目指す舞台へ向けて逆算してマラソントレーニングを積むはずだ。日々辛いトレーニングに勤しむ中で、「これはマラソンではなく100mを走るための練習だ」という事実が発生したとする。当然、自身の身体は長距離に対応するような作りとなってしまっている。そこでどのように考えるか。

 ①マラソンを走りたかったが、短距離の身体になってしまったので諦めて好きではないが短距離や他のスポーツを行う。

 ②マラソンに適応する身体作りは現状できていないが、短距離練習で培った利点を活かしながら残り期間をマラソン練習に充てる。

 どちらも間違っていない。ある意味ではどちらも賢い選択である。しかし、修正する力(上方修正)が発揮されるのは後者であるだろう。

 冒頭でも述べた通り、「修正すること=自分のこれまでやってきたこと(努力)を否定すること」の認識がプライドを傷つけてしまう。思い通り計画通りに全てがうまくいった経験があるだろうか。少なくとも私には一度もない。絶対に上手くいくだろうと前夜から考えていた取材も商談もどこかで予想外の展開が発生する。これは必然だと思う。そして面白さの一つだ。あの時は上手くいったから・・・。ここまでこうしてきたんだから・・・。そう考えてしまうのは仕方ない。只ここでどういう選択をするかが最も大切となるはずだ。

 軌道修正を恐れないこと、下方修正より極力上方修正を目指すこと、そして何よりもそれ自体を楽しむことが私には必要だと心底感じた。




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