私は、音楽を語りたくないけど、今日だけは語りたい。
音楽は語ることができないし、言葉にできないもので構成されているって知ってる。けど、そんな音楽が美しくなる瞬間を、私は語ることができる。
それは、音楽と現実とがリンクした瞬間だと思っている。
はぁとため息をつきたくなるとき。
私はため息なんて絶対つかない!つかないと決めている!なんて、なんの利益もないことを考えついて、勝手に行っているのが私。
そんなときに味方になって、隣に座っていてくれているのが、音楽だ。
「人間なんて辞めてしまえ」と、イヤホンの奥から耳へと伝わってくる。
そんな時、私の中の勝手なルールは解き放たれ、ため息をつくことができる。
私がこれをめちゃくちゃに実感したのは、藤井風さんという方の「もうええわ」というタイトルの曲を聴いていた時。
ちょうどウイルスによっておかしくなり始めている時に聞き始めたものだから、一日中聴いていられた。
その時私は、外に出て歩いていた。
空は晴れ晴れとしていて、生き生きとしていた。人間はどうだっただろうか。
日々のテレビのニュースやネットのニュース、ネットの声を、耳が受け取ることを一切やめない、やめようとしていなかった。そんな時のことだった。
「もうええわ。自由になるわ。泣くくらいじゃったら笑ったるわ。」
歌詞と音楽とが合わさって、これまた、私の耳の中を潤わせてくれた。
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「間違ってるんだよ。わかってないよ、あんたら人間も。
本当も愛も世界も苦しさも人生も
どうでもいいよ。
正しいかどうか知りたいのだって、防衛反応だ。
考えたんだ、あんたのせいだ。」
これは、ヨルシカというアーティストの「だから僕は音楽を辞めた」の歌詞の一部。
歌詞の一部といっても、これはサビの部分。
ぜひとも、音楽にのせて聴いて欲しい。
風が吹いているけど、決して気持ちいい風ではない時はないだろうか。
雨は降っていないのに、空を見ても空は振り向いてもくれない、空に無視されている状況だってあるよな。
この曲はそんな時に聴いていた曲。
私もあなたも間違ってるんだよ。でも間違ってないんだよ。なんて、どこに問いかけても誰も答えてくれないような問いをふと、どこかに投げたくなる。
「音楽を辞めた」というのが妙に、心にくるのは何故だろう。
それは、音楽が、私だけのものであり、私のためにあるものだっていう幻想を、私やあなたが抱いているからだろう。
音楽とは、その程度のもの。
程度と言っても、私にとっては、見上げてしまうくらいの高さを指すけど。
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音楽と現実とがリンクする瞬間は、結構ある。
そんな時に生きてるんだって感じる。
なんだか、音楽のことを考えながら書いていたら、口調が歌詞みたいになってしまっているのは、自分の気のせいかな?
音楽を辞めたのは私の意思だけど、心のどこかで私は音楽を続けていて、どうしても自分に嘘をつけずにいる自分がいるということを、今日知ったよ。
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