待ち・望む 2Q20.11.7(存在給とは)

今日は街を望む丘へ行ってみた。
前回、2920年へ行ったときにサーシャが言っていた「存在給」について、猫太郎と話してみたかったからだ。
存在給についてサーシャに詳しく質問してみるのも一つの方法だが、それよりも同じタイムラインに存在している猫太郎の考えを聞いてみたかった。

最近の「待ち望む丘」の周辺の自然にも秋が深まり紅葉が始まっていた。丘から望む1Q84年の街も同時進行で季節が進んでいるようであった。もう11月だ。木枯らしも吹いたらしい。朝晩は特に冷え込むようになってきた。
丘に登ると猫太郎が待っていた。
おーい猫太郎!私は遠くから声をかけた。
ニァーーオ、ミァオ~と猫太郎は答えた。

私:最近寒くなったね。北海道では雪が降っているよ。富士山も雪をかぶっているね。

猫太郎:そろそろ冬がやってくるね。僕たちの世界にも季節はあるよ。

私:今年の冬も暖冬なのかなぁ。最近も日中は暖かいしね。

そして天気や季節の話題を手短に済ませ、さっそく本題に入った。

私:この前、2920年を訪問した時の話を覚えている?あの話の中の「存在給」について今日は話したいんだ。

猫太郎:覚えているよ。存在しているだけで価値があるって話だろう。そして実際にその価値に対してお金が支払われる。

私:そう。サーシャは存在給について嫌な感じでは話していなかった。たぶんあの時代には存在給を不正につり上げて高額なお金をもらおうとする人はいないのだろうね。でも、それはあの未来の話だ。そこに至るまでには大変なこともあっただろうし、しかもサーシャたちのタイムライン上の話だからね。俺達のタイムラインでの未来では少し違ってくるかも。あるいは同じかもしれない。とにかく今日は存在給の制度が生まれるまでにどのような現象があったのか想像してみたいと思うんだ。

猫太郎:君たちの世界のこれから先の話だね。

私:そうだね。存在給の仕組みが生まれるきっかけは何か。いつ頃になると登場するのかなど。

猫太郎:分かりま千円、分かりま二千円、分かりま三千円・・・。

私:変なギャグを知っているんだね。1Q84年の時代の影響かもね。さて、存在給につながるキッカケは何だろうね。

猫太郎:う~む。これは僕が今の人間社会、特に日本の社会を観察していて思うことなのだが、既に存在給のきっかけとなる意識が日本人に生まれていると思う。

私:それは何?

猫太郎:例えば、夫婦で奥さんが担当することの多い家事や子育て。これについては昔は専業主婦の当然な役割とされていた。でも最近は日本の女性も結婚してからも働く事が多いよね。働いてから家に帰れば家事と育児。家事や育児も仕事と同じように大変だ。男性も毎日仕事で疲れるが、女性も早く家に帰っても同じように疲れるのだと。つまり家事や育児も仕事と同じ価値がある。その労働に対しても給料を払って欲しいーっていう思いがあるよね。

私:特にここ数年で女性が発言しているシーンが目立った印象があるな。確かに仕事が終わってからの炊事や洗濯、育児は大変だ。海外ではベビーシッターを雇うほどだからな。それだけ労働の価値があるってことか。

猫太郎:しかも最近は家事や育児を男性が行なうことも増えてきた。夫婦によって役割分担のやり方は様々ってことだね。そうすると、必ずしも女性だけに限らないってことだね。家事や育児に賃金が発生するのは性別は関係ないってことさ。

私:今後の家庭内での家事や育児がどのように変化するか分からないけど、今の世の中の価値観どおりに家事や育児、子供の教育などの生活スタイルを維持しようとすると、確かに働きながら行う親の家庭内での負担は大きいよね。

猫太郎:家事や育児に給料を受け取るだけの価値があるという発想。それが一つの存在給の原点かもね。

私:ニャるほどー。じゃなかった、なるほどー。猫太郎の口癖がうつってしまったよ(笑)。

猫太郎:三千年を解くすべをもたない者は闇のなか、未熟なままにその日その日を生きる ————ゲーテ

私:それは「ソフィーの世界」の本の最初に書いてある言葉だね。少しカッコつけたね、猫太郎。

猫太郎:ぴえーん、ぴえーん、僕だってたまにはカッコつけたいんだよー。ぴえん、ぴえん。

私:さて、他に存在給のきっかけとなりそうな兆候は現代にあるだろうか。ほかに何かありそうかなぁ?

猫太郎は答えなかった。猫太郎はさっき言ったギャグを後悔しているのか、それとも私に相手にされなかったことで機嫌が悪いのか、少し無愛想な顔をしていた。それは昔のアメリカの漫画に登場する猫のガーフィールドがみせる無愛想そうな顔の表情に似ていた。そのため、私は自分で考えてみることにした。

私:その人の役割。働かなくても果たしている役割。特定の人間関係の中でエネルギー的にみるとその人が役割を担っている事。ある場所にいるだけで癒しを施している人。そういった目にみえない現象にも価値がある。お金は発生しないけどその人から恩恵を受ける人にとっては重要な意味を持っている。私は抽象的ではあるが思いつくものを考えてみた。すると、猫太郎は気を取り直したのかしゃべってくれた。

猫太郎:さっきは家事や育児の話が出たけど、家族がする介護も一緒だね。これも大きな仕事の一つだよ。

私:あぁ、そうだね。重要なことを忘れていたね。自分の親の介護かぁ。もっと先の話だと思っているから抜け落ちていたよ。いったいどうなっちまうのかなぁ。

猫太郎:人間も最期の期間をどう過ごすかは人それぞれだけど、僕たち猫の世界もそれぞれなのさ。家族と一緒に住むのか、一人で住むのか、どこかに共同で済むのか。

私:そうだよね。何が幸せなのかはそれぞれだよね。全ては心の内にありってことか。

猫太郎:親と一緒に住まなくても介護の役割を担っていることもあるよね。定期的に実家に行って軽い介護が必要な親の家事を手伝ったり、買い物をしてあげたり。トイレ掃除をしたり草むしりをしたり、いろいろありそうだね。例えば、夫婦のどちらかが週に何度か親の実家へ手伝いに行くとする。仮に奥さんとしよう。それをサポートする旦那さんも介護のサポートをしていることになるよね。

私:そうだね。そういう人達も多いのかなぁ。親が老人ホームに入る前段階の介護ってことかなぁ。でも、老人ホームも金がかかるから全員が入れるわけではないよね。それに俺自身はそんな所に入りたくないなぁ。そうなる前に早く自然に死にたい。

猫太郎:君たちが老人になる頃は少し違っているかもよ(笑)。

私:とにかく、その介護も家族という特定の人間関係の中で果たしている役割ってことか。これも存在給のきっかけかもなぁ。あと、介護じゃなくても困っている人の役に立っていたり、場の浄化をしていたり。

猫太郎:場の浄化って何だろう。

私:うーん、エネルギー的な話になってしまうけど、その人がいるだけで場が癒されるというか、その人が組織にいるだけで和むというかぁ・・・。お金では計れない価値だね。

猫太郎:僕たちの世界にはあるよ。心地よいエネルギーに価値を置く仕組みが。そういう猫たちが発しているエネルギーの役割は大きい。量子場にも大きな影響を及ぼすんだ。

私:でもエネルギーに価値を置くのは分かるけど、それにお金を払う仕組みはもっと先の話になりそうだな。

猫太郎:いや、そんなことはないよ。君が想像しているのは国や町が払う場合だろう。個人間では既に発生しているよ。例えば、さっきの君の例でいうと、実家に介護の手伝いに来てくれている娘に親はお金を払っているかもしれない。

私:あぁ、ありがとうっていう気持ちのお金かな。お手伝い料ってことか。

猫太郎:お金の名目は決まっていないし、タイミングがその時とは限らないよ。例えば、この先の人生も短いし金もそんなにいらない、だから、自分の子供達に対してお小遣い感覚で与えているだけかもしれない。それが、たまたま介護の期間に重なっているだけかもしれない。もしくは、孫へのお小遣いとして渡しているのかもしれない。

私:なるほどねぇ。お金も少額だし、名目なんてどうだっていいよね。だけど、そうやって親からお金をもらえるのは親が年金を多くもらっている場合だよね。年金の少ない親からはもらえないよ。

猫太郎:これは例えばの話さ。どういう形でお金がやってくるかなんて分からないって話さ。いろいろなケースがあると思うよ。違う例だと、宝くじが当たるとか。

私:1億円当たってくれー。現実的じゃないか(笑)。

猫太郎:僕もお金が欲しいよー。まぐろの缶詰がたくさん欲しいよー。

私:ペット用の缶詰のことだね(笑)。

猫太郎:あと個人間の例ではさ、YouTubeとかの動画投稿もあるよね。その人の動画に価値があると判断したら、投げ銭をする人もいるでしょ。あれも存在給の支払いに似ているよね。

私:なるほどねー。

猫太郎:そういうのが存在給の始まりかもね。

私:でも、それは支払いの仕組みがある場合だよね。そもそもお金を受け取らずに活動している人はどうすればいいのだろう。さっきの介護の話みたいに家族間などの人間関係が存在していれば対象者からお金を受け取れるかもしれない。でも、対象者を決めずに活動している場合は?その場にいるだけで場を浄化しているような人とか。あるいは、その人の祈りや瞑想が、その対象に対して良い効果を及ぼしているケースとか。

猫太郎:それは、その時代の物理上のお金の支払い方法による限界もあるね。でもね、それでも思わぬ形でお金を受け取ることもある。一見、関係なさそうな事柄が影響していることもある。今こうしてお金を受け取れているのは、実はその人自身の存在感のおかげだという場合もある。あるいは、その存在感のおかげで結ばれた人間関係があり、そこからお金を受け取る話に発展するかもしれない。

私:お金って血液みたいなものだよね。一人一人の存在の価値をこの物理世界で滞らせたくないから行き渡らせる。どうにかして行き渡らせる。そうしないと、体に例えると一部の組織が弱ってしまう。全体の国自体も弱ってしまう。

猫太郎:そうした考えや意識が発展して存在給が生まれたのかもね。

私:他にもあるかなぁ。存在給につながること。

猫太郎:見かけ上は2つあるかにぁ。地球変動と、きみたちの社会構造の変化。

私:あぁ、そっか。自分にも思い当たることがあるよ。地球の変動については自分にとっては東日本大震災だよ。あの災害をきっかけに、自分の中で何かが変わった。大きな災害の報道が続いたことによって少しずつ悲しみが広がった。
社会構造の変化もそれに関連しているかもしれない。震災以降、悲しい事件が報道されると心が痛みやすくなった。その時はニュースを見たいと思わなくなった。同時に、ここ数年で世間では社会の不正や膿が暴かれる報道が多くなった。その間に並行してネットやSNSの情報発信がますます活発になった。
人々は毎日、自分から情報の渦に巻き込まれて疲弊している。仕事で疲れて、メディアやSNSの情報で疲れて、脳の疲労はすぐに限界に達してしまう。
だから、人々は昔に比べてより傷つきやすくなった。あらゆる情報が瞬時に受け取れる時代にはそうした弊害もある。だから悲しい報道や情報は遮断するようになる。しかし、一方で楽しくなる、心地よくなる情報にはたくさん繋がりやすくなった。自分にとって価値のある情報は積極的に取り入れるようになった。そういう情報を発信してくれる会社や個人にはお金を積極的に払うようになった。
つまり、人々はあらゆる情報に敏感になっている。大量の情報の渦に疲れ、うんざりしている人々がいる。そうした中で、本当に自分にとって価値あるもの、もしくは癒しを提供してくれる人とはつながりたい、その人という価値を購入したいと思っている。
もしかしたら、そうした側面からの延長上にも存在給はあるのかもしれないね。

猫太郎:そうかもしれないにゃ~。

私:でも自分のように、何かを作りたいとか発信したいとか、これといった事が思いつかない人はどうすればいいのだろうか。

猫太郎:また就職すれば良いにゃ。

私:そういう結論ですか!?

猫太郎:冗談だよ。でもそれも選択肢の一つだよ。

私:猫太郎の言いたいことは分かっているよ。見かけ上の形にこだわるなってことでしょ。でもねぇ、いま世間の経済情勢は厳しいのですよ。コラプスウイルスによって失業した人達も多いでしょう。

猫太郎:だねー。このウイルスは何で登場したのだろうね。

私:あー今回も考えるのが面倒になってきた。もうどうでも良くなってきたよ。

猫太郎:にゃんですって?

私:自分で話を振っときながら悪いね、猫太郎。もう今日はいいや。もうどうでもいいのさ。

猫太郎:諸行無常の響きあり。

私:そういうことさ。おしまい、おしまい、今日は終わりじゃー。

猫太郎:でもちょっと待って。他にもありそうにぁ。例えば、どこか自然の多い場所で犬や猫と一緒に暮らす。仕事は抜きにして考えてみるのにゃ。その人にとってそれが心地良い状態であれば、他の全てもうまくいくかもしれないよ。

私:だいぶ楽観的な話になってしまうね。でもそうかもしれないなぁ。自分にとって心地よい波動が心地よい生き方を引き寄せるのかもね。

猫太郎:他にも存在給につながりそうな例としては、誰かの話を聞いてあげる人。自分の話を聞いてもらうだけで救われる人もいる。そういう役目の存在として生まれてきた人もいるかもよ。

私:まさに存在給の対象だね。結局、生まれてきた人は何かしらの仕事をしているという訳か。それが現在は実際に賃金をもらう形の仕事なのか、そうでないかの違いがあるだけなのだね。そして究極的には未来に存在給として支給されるようになるのだね。

猫太郎:そういうことかもね。

私:今日はたくさんの存在給につながる例を考えることができた。ありがとう猫太郎。でも存在給は彼女たちのタイムライン上での出来事だよね。自分達の未来ではどうなることやら。

猫太郎:ほとんど同じような未来になる可能性はあるよ。大幅に変わることはないんじゃないかな。

私:そっか。そうだよね。いろいろありがとう。今日はもう帰るよ。

その後、猫太郎と別れた。今日はなかば強引に終わらせた。もっと多くの存在給につながる現象を思いつきそうだったが、今日はもう考えたくなかったのだ。しばらく休憩が必要かもな。そんな風に思った。
そしてなぜ自分は2Q20年へ来てしまったのだろう。
空に浮かぶ白い月を見ながらそう思った。

存在給っていうのは現代での表現に置き換えると、一人一人が自分なりの役割を果たすってことなのかもな。その役割というのはその人にとって得意なことを指すのだろうなぁ。それは目に見える形でお金を貰える仕事の場合もあるし、現在では仕事として認識されていない種類の仕事の場合もある。

でも、役割っていう言い方も押し付けがましいよなぁ。働くために生まれてきたみたいじゃないか。そうじゃないよなぁ。存在給って何なんだよ。そんなものが貰えれば苦労はないさ。
そう思いながら家に帰った。
今日はテーマが大きかったせいか、実りのある話はできたものの、あまりすっきりした気分にはなれなかった。

夜になってから夜空を見上げてみた。
今日は月は見えなかった。
その代わりに火星がひときわ明るく輝いていた。
その輝きは線香花火から最後に落ちる一粒の火の玉のようでもあり、遠い彼方で燃えている激しい炎のようでもあった。



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