正論、だけどイライラする
今日は昔の記憶がうずいた。
「chichiの言っていることは正論、だけどイライラする。」
もう何十年という歳月が経ってもその言葉、その場所、その声や表情を思い出せる。
その瞬間、私はどうしてそんな言葉が返ってきたか分からなかった。
でもそれ以来、その答えを探すかのように私は人の話を「聴く」ということはどういうことかを考え続けた。
初めはスタバで友達の話をひたすら聞こうとした。
うん、うんと「聞く」ということをした。
その前までは会話のキャッチボールさえできていればいいと思っていた。
でも人の話をうんうん「聞く」ということすら、その時は苦痛でとても疲れた覚えがある。
それから心理学科でロジャーズのクライエント中心療法を学び、「傾聴する」技法を知ると
カウンセリング法実習でクライエント役にその方法を試すのはもちろんのこと
普段の生活でも「傾聴法」を意識して人の話を「聴く」ということをするようになった。
今では、相手の反応を見るとおそらく「聴く」ことを意識せずともしているんだなと思うこともある。
そんな今、あることがあってどうしても昔の記憶がうずいてしまった。
その場でそのことを相手に話すということはしなかったが、どうこの想いを伝えたらいいか迷ってしまった。
きっと向き合いたい相手だからこそだったと思うが、
どうせ話しても分かってもらえないだろう。
そんな気持ちもちょっと混ざっていた。
それでもこうして、ここにそのことを書いているんだから、私も次の展開を少しは期待しているんだろう。
「正論、だけどイライラする」
私は今日まさにそんな感情で相手の話を聞いていたら、いつの間にか涙声になってしまっていた。
こんなつもりじゃなかったし、今まではそういうことを言われてもこんなに感情が揺さぶられる感じではなかった。
やっぱり相手に期待し始めてしまったんだと思う。
そんな自分の変化に驚きつつも、人の話を「聴こう」としない人に対して話が通じるか?という疑問もうまれる。
それは過去の私が正論を言う側だったからそう思うことだった。
言われる今は、また正論が戻ってくるのが怖いしこちらもそれ以上話す気にもならないと諦めにはいるから、通じるか?の先に希望を見出せないのだ。
期待と失望が行き来する。
あの時の
「chichiの言っていることは正論、だけどイライラする。」
それは私の兄の言葉だった。
自宅のキッチンで、統合失調症と診断されていた兄に向かって私は正論ばかりぶつけてしまった。
その時の兄は、閉鎖病棟から一時帰宅していてるところだった。
兄と言っても私と兄は二卵性の双子なので同じ高校2年生だった。
多感な時期の私にとって兄の病気による奇行は理解不能だった。
それに対する「正論」を兄にぶつけてしまった。
その後に起きたことは、自死だった。
あの時の私はそんな展開を予想していなかった。
兄は
「chachiは俺のお嫁さんにしたいくらいだ。」
あの時のあのキッチンでそうも言った。
そんな言葉、素直に相手に伝えたことなんてないその頃の私は、むず痒くてなんだか嫌な気分になった。
兄はその後閉鎖病棟に戻って行った。
そして2週間ほど経ったある日、兄は病院のデイケアに行くため下の階に降りるはずが、なぜか上の階に上り、人が通れるかどうかの排煙窓から落ちてしまった。
あの時は、家族がそれぞれ後悔をしたと思う。
今日うずいた記憶は、自分自身への戒めというか後悔であり
だからこそ、私は人の話を「聴ける」人になろうと思ったわけだけど
どうやってこのことを伝えたらいいのか分からなくなってしまったのだった。
普段ならこんなこと伝えないし、記憶がうずくなんてことも滅多にない。
でもきっと、この人には分かって欲しいという想いが少しはあるから困惑しているのだと思う。
同時に
「昔のことを話しても仕方ないじゃない」
それもまた正論すぎて、そんな言葉が返ってきそうで話せない自分がいるのもわかる。
さて、どうやっていこうか。今ここに書きながら考えている。
ちなみに今、キャリアコンサルタントの資格勉強中で、もう十数日後に試験なのだ。
本来ならこんな事で悩んでいる暇はないのだけど、それでも大事にしていきたい関係と思うから、こうして書いているんだなと思っている。
後はアウトプットしてとにかく頭の中を空っぽにしてから勉強に取り組みたくて。
深夜に起きて勉強し出して今は朝7時台、もう少しだけ過去問を解いてから朝の支度をすることにする。
そしてキャリアコンサルタントはコンサルタントという名がついているが、実はカウンセリング要素が多く、学生時代に学んだことが多く含まれている。
「病理を扱わないカウンセリング」
そんな感じで、今またあのロジャーズのクライエント中心療法をベースに学んでいる。
さ、ちょっとアウトプットできたので、モヤモヤは一旦ここに置いておき、今日もまた頑張る!
そしてまた向き合うタイミングが出てきたら、このアウトプットできたことを少し伝えてみる、それも一つの手としてもっておこうと思う。
一緒に生まれた家族の死をきっかけに、人生を楽しんでやりたいことやろうと過ごしてきた私の日常や思い出を、優しさの伝染を心がけて記事にしていきます☺︎今の夢は子どもに絵本を書くことです。あなたから頂いたサポートは優しさにかえて記事にしたり夢を叶える為に使わせていただきます☺︎