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自分の中に安全基地ができた話

自分の内側に 安心する居場所ができた!
この体験をしたのは今年の夏です。

私は物心ついた時から理由の分からない
生きづらさを強く感じていました。
機能不全家庭、神経発達症、そしてカサンドラ症候群、
このようにカテゴライズすると人に説明しやすくなりました。
(伝わりやすくなりました)

幼少期から自閉症的傾向が強く、人や社会に興味が持てない、
友達は不要、一人が楽しいという状態でした。
独特の空気感を纏っているようで
ずっと社会と私個人の間には分厚い壁がありました。

興味が持てるものもなく、楽しくもない俯瞰の視点

押し付けられるものばかりで私の好奇心は大切にされない。
ふつう/ 世間体 / 常識的に、 は腹落ちしない言葉でした。

自分の世界にこもって絵を描いていましたが、
「そんな世界にこもっていてはダメだ!」と
描いた絵を目の前で親に全て破り捨てられた光景が忘れられません。
自分の絵を自分の部屋に飾っていたのは
ある種の結界のようなものだったのかもしれません。

世間で生きづらさを感じながらも
様々なコミュニティーに所属する活動はやめませんでした。
ストレスから引きこもったり体調不良も起こしました。
それでも分母を増やせばどこかに引っかかるかもしれないという
希望は捨てなかったようです。話も噛み合っているか分からないけれど。

ただ、その都度 自分の居場所のなさ、価値のなさを痛感し
自分が役立てそうにないという思い込み、
皆がする雑談の意味もわからず
自己満足で学んで退出することを繰り返す日々でした。

そこに身を置いたことには価値があると信じて。

それでも居場所を自分の "外" につくれば
それなりにやっていけると思っていました。
自己開示をすることもないままに。

年齢が40を過ぎた頃、似た空気感を感じる人間に会いました。
少し生きづらそうなところは似ていますが
それ以外は真逆でした。

好奇心旺盛で、それについての学びは深く、喜んで仕事をし
プライベートも楽しいという人でした。
そして、そのご家族にお会いする機会があったのです。

そのご家族とは2時間ほど喫茶店でお茶しただけですが
私は初めて「心地良い安心感」を感じていました。
否定語がないのです。彼らのあたたかい眼差しには吸い込まれそうでした。
一緒にいても圧を感じない、そして私のことを肯定から入ってくれる。
なんて優しい「家族」の形なんだ…

その瞬間 いつもは痛いみぞおちのあたりに
フワッと優しく温かい大きな "空間" が生まれたのです。
初めての経験です‼︎ 軽くて軽くて…

それは私の内部に出来た安心できる "居場所" でした。
誰にも壊されることのない 私だけの。
初めて自分を自分で抱きしめられそうな気がしました。
「もう大丈夫」と。
これは 自己受容をできる準備ができた合図のようにも感じました。

何をやってもすぐに限界が来たり、
どこか人を信用できない自分がいたり
すぐ飽きたり、真面目過ぎたり、過集中になったり
人よりも遅かったり、過敏だったり…
周りから「それじゃダメだ」「残念」と
360度どの体勢でいても言われている気がしていましたが

今は自分の特性をゆっくりと理解することから始めています。
同じように頑張ればできるとか、同じ結果が出ないのは努力不足だとか
そのようなことで周りと一緒になって
自分で自分を責めることからも解放されつつあります。
一人を楽しむことが好きだということもしっかり自覚しました。

私自身が私を愛することができず、
本来愛してほしかった自分自身の母親の代わりに
その家族が包み込んでくれたのかもしれません。

愛されたかったんだな その気持ちを受け止めました。 

そこから、少しずつ発信をするようになりました。
周りに見える世界の色が なんだか鮮やかです。



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