茶々木遥☆グレーゾーン/カサンドラでも幸せに生きる方法

1978年生まれ。グレーゾーン(神経発達症)と性格、生きづらさについて当事者の茶々木が…

茶々木遥☆グレーゾーン/カサンドラでも幸せに生きる方法

1978年生まれ。グレーゾーン(神経発達症)と性格、生きづらさについて当事者の茶々木が気がついたことを明るく語ります。ヤングケアラー。自閉症から脱去中?好きな漫画は『ゴールデンカムイ』好きな食べ物はタンパク質。ひとり旅が趣味の方向音痴。日々幸せに暮らす方法。

最近の記事

45歳から始める新たな歩み

人生の転機が多すぎて、ちょっとお疲れながらも もはや動じない茶々木です。 会社勤めはストレスMAX。 社内政治にうんざり。 体調まで壊す始末。もう就活するエネルギーは残っておりません。 今一番やりたいことは、内臓の疲れを回復させたい。 とめどなく考えてしまう脳みそにしっかり休息をとって欲しいです。 自閉症傾向や、ヤングケアラーの特性もしっかり持ち合わせた 「自分」を踏まえた上で楽しみたい‼︎  自己受容した上で。もう自分のお部屋大好きw そんな中でも、また閃いて門を開けて

    • 「もういいや!」って体が言うまでやってみる

      昼夜逆転睡眠障害の強かった茶々木です。 1日中起きられない 買い物に行く気がしない お風呂に入る体力すらない 日々ムラがある こんなに寝てばかりでなんてダメなやつなんだ あの勉強も途中で放置したままになっている… うぉぉ ジャンキーなものが食べたくて仕方ない!! など負の連鎖が止まらない時に自己嫌悪に陥るのは仕方がありません。 そんな時に、とにかく 自分を許し 全てとことんまでやってみました。 嫌と言うほど寝る。 本能的にお風呂に入りたくなるのを待つ。 ジャンキーなもの

      • 親の生い立ち 知っていますか? 其の2

        親に悩む多くの人は 親に対して不自然なほど無知である 親の口癖は「私にも面子がある」「私の世間体が」でした。 それがあるから、父をはじめ娘たちも外での振る舞いにきをつけなさいと。 さらには私の職業や存在の否定もありました。 親戚に対して「あなたのことはちゃんと隠してあるからね」と。 「私は恥ずかしい存在なのか??」と謎でした。今でも忍ように生きてしまうのはなかなか変えられませんw 【母親について私が知っていること】 出身地。兄姉妹が多い。雪の深い地域で育ったこと。 兄弟が

        • 親の生い立ち 知っていますか? 其の1

          親に悩む多くの人は 親に対して不自然なほど無知である この一文を読んだ時、ハッとされられました。 今はそれなりに 親と良い距離を取れている私ですが 親の生活背景や時代背景、その時の気持ちなどほぼ知りません。 私は虐待サバイバーです。 自閉症傾向、ASD傾向の父と、自分が家庭では絶対ルールの母。 父親は子(私)に関して我関せず、母親は父親と喧嘩したり気に触ることがあると私を殴る人でした。また、私の友人も食べるものも着るものも 母親のジャッジが入り、私の行動は親の機嫌次第で決

          〜その道の達人?〜

          私の "資格" 遍歴はこちらです。 ◆介護福祉士…専門学校や大学には行っておらず無資格からの叩き上げ。 現場で実務経験を経て取得しました。HSP的な能力から介護現場で優位に発揮できる能力もありましたが、結果、適応障害になりました。 ◆介護事務…取得したは良いのですが実務経験なし。どのような仕組かを知ることは勉強になりました。 ◆福祉住環境コーディネーター3級…なんとか受かった感じ。 実務経験なし。数字が出てくると困惑する。知識として勉強になりました。 ◆普通自動車第一種運転免

          成功体験と「好き」は比例する?

          好きなこと100個挙げると良いよ なぜなら、そこから得意や仕事に繋がったり 自分の人生で続けられること、癒やされること、 やりがいなんかが見えてくるから… そうだなぁなんて共感しながら3年ほど経ちました。 時間に少しゆとりがある今、この100個出してみるかな? ◆ブログ記事を書く 好きだなぁ   色々整理されるから 新しい発見があるから ◆人の話を聞く 好きだなぁ 説教や理不尽な物言い出なければ ◆ご飯を食べる 好きだなぁ 胃腸の調子が悪くなければ  外食はほとんどしない

          自己受容が出来るときっと楽 そして少し痛い

          現在は傷病手当にて生活しています。 小・中・高校生と成長する中で  どんどん違和感が大きくなり 共感できないことが増えたり、 自閉的である自分に多少気付いたりしていました。 時折「生っぽい情報」が苦手になり脳が現実逃避していたかもしれません。 専門学校志望でしたが  そもそも見学の段階でプレッシャーに負けていました。 「大学と名のつくところ以外許さん!」という 当時の親の世間体もあり 全く興味の持てなかった短期大学を1つだけ受けました。 親への反抗心は前々から爆発していま

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          自分の中に安全基地ができた話

          自分の内側に 安心する居場所ができた! この体験をしたのは今年の夏です。 私は物心ついた時から理由の分からない 生きづらさを強く感じていました。 機能不全家庭、神経発達症、そしてカサンドラ症候群、 このようにカテゴライズすると人に説明しやすくなりました。 (伝わりやすくなりました) 幼少期から自閉症的傾向が強く、人や社会に興味が持てない、 友達は不要、一人が楽しいという状態でした。 独特の空気感を纏っているようで ずっと社会と私個人の間には分厚い壁がありました。 興味が

          何度でも再スタートする

          読んでくださりありがとうございます。 気さくに語らい表現できたら喜びます‼︎ 茶々木です。 最近は発達障がいを総称して 「神経発達症」と呼ぶそうです。 私は診断グレーのASD,ADHD, 自称&他称HSS型HSP, 虐待サバイバー/ カサンドラ,  暗算ができない、算数が分からないことは 小学校2年でモヤモヤと自覚がありました。 誰にも気づかれず学校の勉強についていけなくなりました。 改めてこれらの特性について学ぶ,気づきを得ることは大事だと思いました。 今までは自分

          はじめまして

          はじめまして。茶々木遥(チャチャギハルカ)と申します。 エッセイが書ければ嬉しいなと思っています。 どうも幼稚園の頃から  他人との違和感を強く感じながら生きてきました。 でもそれがなんなのか分からないまま 忍ぶように生存中。  記事を書きながらも自己理解が進み 生きやすくなったら良いなという期待と、 似た感覚をお持ちの方、同じような思いをされている方と より幸せを感じる生き方を一緒に模索していければと思います。 どうぞよろしくお願いいたします。