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『わたしは、こーゆーものです』(自己紹介)

皆さま、どこのサカナの骨かもわからない私のnoteを読んで頂きありがとうございます。今更ですが、noteを読んで頂くにあたり、ちょっとくらいはどんな人間かを書いておこうかなと急に思いつきました。主に仕事のことについて書いてみます。

<性別>

女です。あれ?今、おっさん入っちゃった?みたいな時もあります。

<生まれた年>

1965年。こんなに生きてきた自覚が全くない。年齢に関しては忘れん坊!

<結婚>

ケツコンするのをコロっと忘れていた(来世がんばる)。学生の頃は、一番に結婚するんじゃないかと言われていたのにみんなの嘘つき(笑)。

<うまれたところ>

西日本(ざっくり←とりあえず誰にもバレずにnoteを書きたい)

<現在の住まい>

東京。「大好きなエリアのめちゃ狭〜い所に住む」か「駅から離れていて広々と住むか」という2択で前者。6畳1間(ロフト付)日陰の庭付き(日陰かーい)。猫さんと住みたいのにペットダメなんだってぇ。とても便利なところだけど自然もいっぱい。

<性格・特徴>

飽きっぽい。大雑把。重度の方向音痴。お節介。好奇心旺盛。人並みの優しさ。人と違うことをやりたがる。

<引っ越し>

生まれてから今日まで14箇所目。数えてみてちょっとびっくり。

<好きなこと>

健康オタクだけど、飽きっぽい性格が邪魔をして長続きしない。でも常に健康になることについて職業柄もあるのか関心あり。読書好き。才能はまだ発掘されていないけど(笑)、突然何かを作ったり、描いたりしたくなる実力が伴わないクリエイティブな精神だけはあり。健康オタクにも関連していますが、アロマやハーブのこと←これは20年以上前から。薬草コーディネーターのことを学んだり、リンパドレナージュの資格に挑戦したり、興味あることはどんどん頭を突っ込むタイプ。

コロナの前は、映画によく行っていたし、スタバにも毎週行く生活。今は、再開した「note」を書いたり、他の人のnoteを読んだりするのがいい時間。仕事は、大好きですね〜、もちろん体力的に大変な時もありますが(笑)。断捨離も興味あるけど今ひとつダンシャレていない。ネトフリに「ただいま〜」と言って、韓流ドラマを見ながら夕食。テレビは、1年くらい見てないけど、ネトフリとYouTube、SNSはよく観てるなぁ。瞑想も時々、もっとしたいのにな。スピリチュアルなことを学んでいた時期も結構長かった。今でも「ホ・オポノポノ」とか潜在意識のことを考えるのは好き。

猫と戯れたり花を愛でるのは至福の時間。通勤中に出会う猫のなーちゃんに出会うのが楽しみ。いつでもちゅーる持っています。誰かを輝かせてあげるのが凄く好きかも。

<悩み>

24時間常駐の耳鳴りさん。あれこれやっていますがずっと治りません。どなたか治ったよ!というかた、伝授してください(T . T)。体温計のピピッが耳鳴りと同化して聴こえないです。

<ざっくりした職歴>

看護師(職場は今のところで6箇所目)やっています。

内科・脳外科慢性期病棟・・・近畿地方
整形外科(一般性系及び骨肉腫などの多い病棟)・・・中国地方
外科・泌尿器科・胸部外科・ICU病床の混合病棟と緩和ケアチーム兼任(ここが一番長かった11年間!)・・中国地方 

緩和ケア認定看護師になるための研修・・・近畿地方
緩和ケア病棟・・・近畿地方 途中でボッダー式リンパドレナージュの資格取得
緩和ケアチーム専任・看護専門外来・・・近畿地方

訪問看護(受け持ち制)2箇所・・・関東地方
訪問看護(チーム制)・・・関東地方(現在に至る)

*緩和ケア認定看護師は10年間のみ。

看護師人生、なんせ「がん」のかたとの繋がりが多い人生です。


認定看護師とは関係なく縁あって何故か講演をしていた時期があり、認定看護師中は、役割として院内・院外で講演活動していました。そして、気付きましたが、この資料を作ったりする作業やみんなに伝えたいことを伝える作業は結構好きだと言うことを。今は、もう無理っすね(若者風に言ってみました)。代わりに少しずつnoteで発信できるのでとても嬉しいです。

<どんな活動をしてきたか>


あっという間に人生の時間が流れています。看護師をやめて何かしたいという時期もありました。「何か」を探しているうちにこんなに時間が・・・。
でも最近思うのは、遠回りをしましたが、改めて自分にとって今の職業は、天職なんだろうなぁと今更思っています。前世で何度も看護師をしていたらしいので、「それでなのかぁ〜」というほど仕事に関してはスムーズで本当に恵まれていると思います。いろんな職場を渡り歩きましたが、こんなに一看護師になんでも好き放題やらせてくれるところばかりで幸せな看護師生活だと思います。

今では、病院で名前くらいは聞いたことがあるのではないかと思う緩和ケアチーム。当時、まだ緩和ケアチームというものがなかった時代に院長室に「緩和ケアチームを作って」と言いにいきました。「じゃぁ、やってみなさい」とすんなり。え?いいの?みたいなノリで。
一人の先生を引きずり込んで手探りではじめました。その先生も私の好きにさせてくれました。当時は、病棟に所属しながら完全なボランティア状態でしたが、病棟を横断的にアロママッサージをしながらお話を聞いていました。このアロマが有難いことに好評でクチコミで広まりました。院内の全病棟に痛みのオイルと癒しのオイルを配置して、使い方などレクチャーしていきました。最初の半年は、アロマオイルも全部自腹でしたが、最後には医師が、研究費でアロマオイルを出してあげると言われたり、カルテに「アロマ」という指示も出たりしました。看護学校も併設だったので看護学校でも在宅看護の授業に取り入れました。
アロマのことを院内で伝えたり研究発表をしているうちに他の病院からも講演依頼が度々くるようになり、「心に届く」ということをテーマにアロマの話や精神的なアプローチのお話をしてきました。

ある時は、クリスマスが殺風景だったので院内の患者さんたちにクリスマス気分を味わって欲しくて、講演で頂いたお金でクリスマスツリーを買ったり光る鹿のオブジェを買って、許可をもらい玄関に飾らせてもらったりしました。設置も片付けも全部自分でするという・・・。そんなんってあるぅ?(笑) 

その他、オルゴール療法というものもやってみました。オルゴールを取り扱っていた知人の協力を得て、真っ暗な会場の中、素敵なステンドグラスのライトもあちこちにセットし、たくさんのオルゴールを並べてオルゴールの振動も感じてもらい、泣かす会!おじさんたちもみんな泣いていました。オルゴールの癒しで多くの人の心の奥に溜まっていたものが出てくれました。会場に来れなかった人には、出前もしました。どうやら演出好きでもありますね。

知人の紹介で有名人(今では絶対に呼べない歌手)が病院に来てくれることになり、それを病院に持ちかけたら全部自分でやるならいいよと言われました。有志の先生たちや看護学生さんたちに手伝ってもらって、患者さんの搬送の手順や会場セッティングなどの段取りを行い、病院のホールでライヴが実現しました。やればなんでもできるもんですね。

ちなみに2回くらい1年くらいのニート生活も体験しています。その時、大工さんもやってみたなぁ。CADも3ヶ月間だけ挑戦し、フォークリフトの免許も取った(笑)何に使うねん!何かのとき。

まぁ、その後も色々続きますがやりたい放題させてくれたことに深く深く感謝しています。

<看護師を辞めるつもりがなぜか緩和ケア認定看護師に>

長年働いていた病院を辞めてアロマやヒーリングなどをしていきたいなぁと思っていたのですが、凄く不思議なことが重なりなぜか緩和ケア認定看護師の学校の試験を受けることになりました。またこの話はいつかしてみたいと思います。退職するつもり満々の私が急遽、数週間で試験勉強やら出願資料を準備しなくてはならなくなりました。その頃は、認定看護師になっている人もほとんどいなくて緩和ケア認定看護師は、地元では私が初めてでした。院長は、研修費用も全部出すから帰っておいでと言ってくれましたが、全部自腹で出して、自分の思うところに自由に就職しようと思いました。でもいつかは地元に貢献できたらいいと願っていました。

認定看護師の勉強中は、これまたいつかゆっくりお話しする機会をいただきたいと思いますが、「知識」って本当に大切だなぁと痛感しました。いろんな分野の先生方から多くのことを学べて勉強になりました。

研修は、レポートなどとても過酷で、ついに私はストレスで喘息にもなってしまいました。研修が済んだらけろっと治りましたけどね。呼吸困難になるほどでした。

研修して、試験に合格してからのことは全く考えていませんでした。なんせ看護師を辞めるつもりだったのですから。私は、時々、違う人になったみたいに行動派になることがあります。その時もそうでした。研修施設だった病院がとても気に入ったので最後の研修の日に看護部長室に寄り、直に就職のお願いにいきました。なので、面接らしきものはほぼ受けずに就職が決まりました。

そして、私の緩和ケア認定看護師としてのお仕事が始まりました。
最初に緩和ケア病棟で仕事をしました。その後、看護部づけの勤務となり緩和ケアチームの所属となりました。新しい試みで看護専門外来の立ち上げもしました。

以前の緩和ケアチームと違って今回は、かなり専門的な活動となりました。そもそも認定看護師の役割というのが看護協会より抜粋すると以下のようなものです。

1 個人・家族及び集団に対して、高い臨床推論力と病態判断力に基づき、熟練した看護技術及び知識を用いて水準の高い看護を実践する(実践)
2 看護実践を通して看護職に対し指導を行う(指導)
3 看護職に対しコンサルテーションを行う(相談)

このような役割を持って働いていました。緩和ケアチームでは、がんのかたの症状コントロール・・・トータルペイン(身体的苦痛・精神的苦痛・社会的苦痛・スピリチュアルペインの4つのペイン)を癒していく方法について実践したり、病棟看護師に指導したりしていきます。家族ケアも深く関わっていきました。また、地域に貢献していく役割もあるので市民や院内はもちろん他の病院での講義なども必要になってきます。おかげでプレゼンも技術がないながら回数だけはこなし、いい経験でした。緩和ケアチームの先生たちも病棟で一緒に働いていた先生なのでやりやすかったです。なかなかいいチームだったと思います。先生たちと一緒に大変な事例もたくさん乗り越えてこれました。病棟の困難事例も一緒に看護師さんたちと考えていくことができました。

知識を持った中での疼痛コントロールは、こんなにもすごいのかと感動していました。逆に一般病棟で働いていた頃、知識がなかったことで痛みから救ってあげられなかった患者さんたちのこともたくさん思い出しました。とにかく多くの患者さんたちからいつの日も教わってきたわけです。

ま、一般の方は、看護師ってこんな世界もあるんやなぁくらいで聞いておいてください。ざっくりいうと、ちょっとだけ、がんの緩和の勉強をしてきたよっていうだけの内容を思い出深く語っただけになりますね。あ、先にも書きましたように、満喫したので、10年くらいでもういいかなぁと思い、認定看護師は更新制度があるのですけど、更新しませんでした。

緩和ケアで働いていた時のことを話すと1週間くらいかかりそうなので、今回はこの辺にしといたろ。(上から?)

その後は、大好きな居場所を離れて、また何か違うことをしようと思っていたのに、関東で訪問看護師になっていました。なんでや(笑)

<今後のこと>

私は、看護師以外に何かをやりたいと思っていた人間だったので、中間管理職(看護師長)ということに全く興味がありませんでした。管理職の試験を受けるよう指示があり、受けて合格したので管理職にならないといけなかったけど、なりたくなかった〜。年齢的にもずっと言われてきていたので申し訳ない気持ちになりましたが、私は向いていない。訪問看護ステーションに入職後も、まー、経験年数的にでしょうけど、2箇所で管理職の話がでましたが、その話をしたら辞めると脅して今に至る。悪いやつです、私は。申し訳ない。

組織の中で中間管理職になるというのは興味がないのですけど、独立して何かをやってみるのは、面白いだろうなぁ!と思っています。何かをするならもうとっくに動かんかーいって話にはなりますけどね。 口ばっかりなんでしょうね、私。
誰かがサポートしてくれたらやれそうな気がするのですけど、中々、一人では勇気が出ないものですね。誰か一緒にやってくれないかな。そんなこんなの私です。

長いプロフィールになりましたが、最後まで読んで頂きありがとうございます。このプロフィールは、今後も修正・追加をしていきます。加筆していくので、1時間後には違う内容になっている場合あり(笑)時系列もぐじゃぐじゃやないかいっ。語尾も酷すぎるっ。

今後ともよろしくお願いいたします。はじめましての人にもついついコメントしてしまっています。からんで欲しいわけではなく、コメントしたくなったときには、もう書いて送信しています(笑)


★一番読んで頂けたら嬉しい記事は、看護の現場で体験させて頂いた記事です。特に『⭐️にゃむの備忘録⭐️看取り.緩和ケア』マガジンの中の記事を読んで頂けたら嬉しいです。











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