見出し画像

「割れ鍋に綴じ蓋」とはよくいったもの。私たち夫婦の場合

自分にぴったりの配偶者がいる。

そういう意味で「割れ鍋に綴じ蓋」という言葉が使われるが、まさに言い得て妙だと思う。

割れ鍋と綴じ蓋。どちらも壊れて修理されたモノ。綴じ蓋は壊れて修理された蓋であるし、割れ鍋は壊れた鍋のこと。双方とも「決して立派な存在ではない」といえるだろう。

ところが、互いを必要とする関係になった途端、相性ピッタリの「同志」となる。似たもの同士よき人生のパートナーとなり得るというのだ。



私の夫と私も、まさにそのような夫婦だ。

「変わりモノ」として周りから浮いてきた人生。そういう部分が似ていたりする。

だが、似ているようで似てない。それぞれが個性的であるから、似ているわけがない。だが「変わりモノ」という立ち位置が似ている。少しトリッキーなロジックに聞こえるが、実際にそうなのだ。

もっとも、私たちは、そういう部分を互いに確認してから結婚を決めたわけではない。

「この相手とならうまくやっていける」などと結婚後の相性をジャッジしたこともない。

だが、2人とも互いに似たような感覚を確実に抱いていた。言葉で意志疎通する「手応え」を感じていたのだ。



想定できる未来についてキチンと話し合ってから結婚するというのも、結婚後の生活を円滑にしていく方法のひとつだろう。無難で賢いやり方である。

だが、結婚前に「話ができる」「意思疎通できる」という見極めを行うだけでもよいのではないだろうか。つまり、詳しいことは必要に応じて話し合う方針だ。

事前に想定できることには限りがある。その時になってみないと判らない。そういうことは多々ある。

人生は、想定外の連続。

共に生きるパートナーが「意思疎通できる」というのは、何よりも心強いコトなのだ。




その時になってみないとわからないとはいえ、時事問題や流行りのトピックで、「あなたはどう思う?」という意見の交換をすることはある。

最近では、安楽死について話し合った。

この手のデリケートな話題のとき、お互い、必ず口にする言葉がある。

それは、「実際、その時になってみないと判らないが、今の気持ちでいったら」「実際、その時になってみたら、考えは変わるかもしれないが、今の気持ちでいったら」という前置きの言葉だ。

意志は変わるもの。意見も変わるもの。このスタンスだからこそ、前もって重要なことを話し合っておくということはナンセンス。

意志疎通ができる2人だから、このスタンスでも上手くやっていけるのだろう。



結婚をしたくないわけではないが、結婚願望は低かった2人。

そもそもの結婚観にも「その時になってみないと」という意識が反映されていた。「結婚したいと思える相手に出会えれば、結婚する」という意識で40歳すぎまで独身でいたからだ。

そういう2人は、まさに「割れ鍋に綴じ蓋」。

何が起きるかわからない未来に希望を抱きつつ、人生という冒険を2人で楽しんでいきたい。


for reference